幕間その1〜(阪神タイガースの)優勝を知らない子供たち〜2010年・後編
夏が終わり、セントラル・リーグのペナント・レースの優勝争いは、三つ巴の様相を呈していた。
8月末に首位に立ったのは阪神タイガースだったが、9月に勝ち星を伸ばしたのは、
月初めに3位だった中日は、9月中旬に5連勝で首位に立つと、強力な投手陣で安定した戦いを見せていた。
一方の阪神も、巨人とともに首位・中日に食い下がり続け、3チームによるデッドヒートは、9月末まで続く。
この年、ドーム球場を本拠地にしているため、雨天順延の少ない中日はシーズンを通しての試合消化が早く、逆に、甲子園球場を本拠地とする阪神は雨の影響で、中日よりも多くの試合を残していた。
このような試合消化の影響もあり、9月26日、2位の阪神に逆マジック「8」が点灯する。
しかし、これは、自力優勝のためには、残り9試合で8勝以上が必要という、絶望的にハードルの高い数字でもあった。
マジック点灯後の甲子園での巨人戦を1勝1敗で終えた阪神は、もう1敗もできない状況に追い込まれる。
迎えた9月30日――――――。
甲子園では、この年限りでの現役引退を表明した
優勝争いの真っ只中に引退セレモニーを予定することについては賛否が別れたが、阪神は対戦相手の横浜ベイスターズを相手に、2点のリードを付けて、9回を迎える。
マウンドには、阪神タイガースの絶対的守護神・
当初のプランでは、試合終了寸前の二死を迎えた時点で、このシーズンのレギュラー捕手であった
しかし――――――。
この回の先頭打者から、二人続けて四球を与えた藤川は、横浜の四番打者・
「行くな! 行くな! 越えるな……」
サンテレビジョンの
「悪夢のような現実が、そこにはありました……」
ダイヤモンドを一周した村田がホームベースを踏んだ瞬間の実況アナウンサーの一言は、小学5年生の少年の心を絶望の底に沈めるには十分なものだった。
※
月が変わった翌日。
虎太郎たちのクラスでは、午後に
ひと月前の放課後に虎太郎と会話をしたときとはうって変わって、彼女は、サッパリとした表情でクラスメートたちと最後の交流を楽しんでいる。
6時間目のお別れ会が終了し、帰りの会のホームルームも終わって、他のクラスメートたちが教室を出ていくのを確認すると、めぐみは、虎太郎に声を掛ける。
「中野虎太郎! 今日でお別れやな……色んな話しを聞かせてくれて……それに、ウチの話しを聞いてくれて、ホンマにありがとう」
「いや、僕はなにもしてないよ……」
スッキリとした表情の少女に比べて、虎太郎の表情は晴れない。
それは、この年の阪神タイガースの優勝の可能性が絶望的になった――――――ということだけが、原因ではないだろう。
「なんで、中野虎太郎が、そんなショボくれた顔してんの? 転校しても、悪いことばっかりじゃないって教えてくれたのは、アンタやで?」
「それは……そうやけど……」
「それとも、ウチと会えなくなるのが、そんなに寂しい?」
めぐみは、冗談めかした口調で虎太郎にたずねる。
「――――――寂しいのは、僕だけじゃないやろう? クラスのみんなも寂しがると思うで……」
少年が低い声で答えると、少女は、「そっか……」とつぶやき、
「中野虎太郎が、『僕は寂しい!
と、一瞬だけ寂しげな表情を見せた。
しかし、いつでも前向きな性格で、クラスの中心にいた少女は、サッと表情を変えて、笑顔で少年に語りかける。
「じゃあ、ウチの話しを聞いてくれたお礼をしたいから、ちょっと、目を閉じてくれへん?」
「えっ!? 急になに?」
困惑する虎太郎に、めぐみは、「いいから、いいから!」と、少年に瞳を閉じるよう、うながす。
少女の言葉に戸惑いながらも、虎太郎が目を閉じると、右側のほおに、柔らかな感触を感じる。
虎太郎が、初めて体験する感触に驚き、閉じていた瞳を開くと、
「ウチと同じクラスになったことを嬉しい、って伝えてくれたお礼」
という一言が聞こえた。
「じゃあな、中野虎太郎! ウチのこと、忘れんといてな!」
10月1日(金)――――――。
この日、阪神タイガースは、マツダスタジアムで行われた広島カープ戦に敗れ、中日ドラゴンズの四年ぶりのリーグ優勝が決定した。
・2010年の阪神タイガースの最終成績
勝敗:78勝 63敗 3引き分け
順位:セントラル・リーグ 2位
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