第零章 そう、言うのならば。

実を言うと、俺はほとんど何も覚えていない。

何かとてつもない失態をしでかし、が呪縛となって

今の俺を縛っている、ということは覚えている。

だが、自分の名前や年齢、住んでいた場所から家族の有無も、

何も 覚えてないのだ。

ただ、言葉や知識は覚えて…いや、忘れていない、のほうが適切か。

俺は一般的な常識以外はすべて忘れてしまったらしい。

よくある記憶障害だ。やりようによっては記憶を復活させられるかもしれないが、

俺は、自分が何をして今こうなっているのか知りたくなかった。

知らない今でも十分死にたいのだ、真実を知ったら気でも狂うんじゃないか?

と、言うわけで

「俺は君のことなんて知らないし、過去に会っていても忘れている。

そして俺は記憶を戻したくない…って感じだ。悪かったな。」

「いや、いいんです。こうやって今私と話してくれてるんですから…。」

「そうかい…ところで君は何で俺のことを知ってるんだ?」

「あ、いや…実は……知らないんです。」

「…え?」

何を言ってるんだ?この少女は。

先ほど俺を知っているような素振りでまくし立てていたのはこの少女だよな?

聞き間違いな訳ない、今でもあの言葉たちは俺の頭の中で駆け回っている。

俺は過去の俺を知らないのに、この少女の過去の俺への言葉は俺に響いた

なんとも不思議な感触だった…じゃなくて、

「あんな言葉を言っておいて『俺を知らない』はおかしいだろ?」

「そう、ですよね。私もよくわかってないんです。

自然と言葉が出てきて、口に出してて…。

いまでも混乱してるんですよ、私自身。」

「なるほどな…いや、疑ったりはしないよ。

俺も、なぜか君と話してると落ち着けるしね…。

ところで、君、名前は?」

「…忘れました」

あれ?嫌な予感が。

「…住みは?」

「追い出されました」

「……年齢とか家族とかも………?」

「もちろん忘れてます」

「…」

類は友を呼ぶとは正にこのことか。

「…奇跡ってのも、案外あるもんなんだなぁ……」

「でも、私もあなたとは初対面じゃない気がするんですよ。

もしかしたら、記憶を忘れる前に会っていたかも知れないですね。」

「そうだな…さすがに記憶障害二人が偶然会うのも不自然か…」

だとしたら何が俺らを引き合わせたのだろうか。

不安と興味、そして恐怖が募っていた。

「あぁ、そういえば。君は何て呼べばいい?」

名前なんて聞いてどうするんだ、と思いつつその質問を投げる。

「別に私って分かればなんでも…私もなんて呼べばいいですか?」

「…俺もなんでもいいな、今から新しい名をもらうにも抵抗がある。」

「そうですね…じゃあ固有名詞の今のままでいいですか?」

「構わないよ…って、聞いてどうする」

いや、最初にどう呼ぶかを聞いた俺が言えたもんじゃないがな

「…どうしましょうかね。」

「いやなんで聞いたんだよ…」

俺に特大ブーメランが刺さったのはこの際無視するとする。

少女は、少し悩んで

「私、したいことがあるんですよ。」

「したいこと?」

「はい、それは『この星を外側から見てみたい』んです。」

「今や宇宙船も多くあるし、そんな事は簡単にー」

いや、できないな。

宇宙に行くー即ち、この星を出ること自体は今の技術なら簡単だろう。

だが、膨大な金と個人コードという言わば市民権が必要だ。

見る限り、どちらも持っていない。

「簡単にはできないな。」

「そうなんですよ。

でも、記憶が戻れば多少は行きやすくなると思うんです。」

ふむ、嫌な予感が。

「ーーなので、記憶を戻すのを手伝ってくれませんか?」

…そうくるか。

「申し訳ないけど、それは無理かな。

君と俺は、過去に何らかの繋がりがあったと思う。

君と話していると、過去のことを思い出してしまう気がする。

俺は…過去のことは知りたくないんだ。」

興味はある、が、それ以上の恐怖が俺を包み込む。

申し訳ないが、さっさとこの子の前から去り…

「今更、手を引くとは言わせません…それに、あなたも行く宛てはないでしょう?

その様子だと、興味はあるんですよね?私に。」

…なんでばれるんだよ。

「死ねないのに、生きる意味も何もないでいるより、多少の不安はあっても希望を探しに行きませんか?私の手伝いをして。」

「そうは言っても…」

「あなたがどこかへ行かずに、私の前で話を聞いてる時点でもう決まってるんじゃなくて?」

…たしかにな、俺は知りたくないと思ってるが、体は知りたいといわんばかりにこの場を離れようとしない…。

まったく…俺の根負けだよ。

「そう、言うのならば。いいよ、手を貸そう。俺の負けだ」




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