そら起きろ、聖剣よ

 佐藤望さとうのぞむが投獄されたのは、召還されてから大凡半年が経過した頃のことだ。

 

 僅かな日の光すら届かない陰鬱。

 滴る水が響く程の静寂の中。檻で手足を鎖に繋がれた少年にできることと言えば、声の一つも上げることなくただ俯くのみだった。

 

 最初の一日で涙は涸れた。三日も経てば声は出なくなり、鎖を鳴らすことすら億劫になった。

 最早生命維持の魔法陣に無理矢理生かされているだけ。

 そんな延命も準備が整い次第、少年を贄に新たな勇者の召喚に使うのだと、捕縛の際にあの王は口にしていた。

 

『……くしょ』


 負け惜しみは最早音にもならず。

 糸ほどにか細い掠れ声は、重く湿った牢の空気に溶けては消えてしまう。

 

 いつまでこうしてなければならないのか。

 何で俺はこんな苦痛ばかり味わなければならないのか。

 

 されど気力は有限で、とっくの昔に底をついている。

 既に負の感情すら碌に湧いてこないくらい、何かもを放棄し死を待っている。今の佐藤望さとうのぞむは、そんな生き物でしかなかった。


 勇者。

 それは少年のいた世界では英雄が如き象徴の名。

 

 けれどこの世界では違う、根本から異なるもの。

 この世界において、勇者とは人類が届きうる最強戦力。

 魔王を討ち、世界を救う存在などではなく、強国を強国たらしめるだけの存在。つまりは兵器だ。

 

 だから佐藤望さとうのぞむは人類の救済や魔王の討伐のために喚ばれたのではく、戦争の駒として召喚されたに過ぎない。

 兵器の開発が上手くいかないから捨ててしまおうと。この国にとって、この世界にとっての佐藤望さとうのぞむなど、その程度の存在でしかなかったのだ。


『……勇者様』


 その事実に、彼らの意図に気付くにはあまりに遅すぎた。

 だからいきなり鼓膜を揺らした女性の声など、最初は反応する気すら起きなかった。

 

 じめりとした暗闇にぽつりと浮く小さな灯り。

 そこに現れるのは銀髪の少女。この城で唯一態度を変えずに接してくれた、心優しき白雪の君。

 

 シレーナ。彼女の声を動力に、少年の心は僅かに息を吹き返す。

 一対何をしに来たのか。

 こんななにもない、その汚れなき美しさには似合わない底の底に、何を求めてやって来たというのか。


 そんな疑念まみれの思考などお構いなしと。

 がちゃりと、堅牢な檻の戸を当たり前のように開け、揺れる灯火は少年の目の前まで近づいてくる。

 不思議と目が潰れることはない、淡く心地好い光。

 久しく感じることのなかった温もりを感じながら、霞む視界で彼女を見上げた。

 

『嗚呼勇者様、ノゾム様。何てお労しいお姿に。……やはり、やはりこの国は、人とは変わりなく愚かなのですね』


 佐藤望さとうのぞむを戒める鎖を灰へと変えながら、シレーナは少年の頬を優しく触れて抱きしめてくる。

 

 直後、少年の体へと流れゆく白銀の光。

 文様が肩裏に刻まれる共に、終わりかけの全ては治癒され、ふらつきながらも目に光を戻すまで回復する。

 

 とても冷たい手。まるで氷を人にしたかのよう。

 けれどそれは、この世界の何物よりも暖かく。

 どこまでもどこまでも、己を委ねてしまいたくなる抱擁だと、その胸の中でみっともなく嗚咽を垂らし続けてしまう。


『勇者様。ご提案があります』


 しばらく経ち、佐藤望さとうのぞむが泣き止むまで背中を擦り続けたシレーナは、ふと提案してきた。

 

『なに……?』

『私の手を取りここから逃げるか、それともこのまま朽ちるか。貴方が選ぶのはどちらかです』


 逃げる。今更提示されたその選択に、少年は少しだけ心に痛みを覚えながらも耳を傾ける。


『この上これから、きっと多くの血が流れることでしょう。私の、私たちの目的はもとよりあの暴君。最早王に相応しくない、あの愚かな血筋を終わらせることなのですから』

『ここにいれば貴方は殺されてしまいます。けれど私は、私は貴方に死んで欲しくはありません。だからどうか、どうか! 勇者としての貴方はここで死んだことにし、新たな地にて新たな道を歩んでくださいませんか?』


 自分のことでもないはずなのに、まるで本当にそう願っているかのように、シレーナは俺を抱く力を強めながら問いてくる。


 彼女の言葉を信じ、考察するのであれば。

 何かの目的で給仕メイドとして潜入し、その過程で俺に接触しただけに過ぎないはず。

 そんな目的のある彼女が地下牢なんて通る必要のない場所にわざわざ訪れ、勇者なんて厄ネタである俺を解放するならば。

 そこには必ず意味があるはず。善意とは裏腹な打算はあり、彼女が自分の思うような善人ではないのだろうと予想はつく。ついてしまう。

 

 ……だがそれでも。例えそうだとしてもだ。

 

 本当に彼女シレーナが悪だとしても。

 俺に対して何も思うところなどなく、ただただ利用するためだけに解放したのだとしても。

 

 俺を助けてくれたのは、こんな地獄みたいな人生に救いの糸を垂らしてくれたのは彼女なのだ。

 だからどんなに彼女の手が血に汚れてようとも、この手を取らない理由はどこにもなかった。


『嗚呼、とても可愛らしいお顔。けれど今の私に出来ることなど祈ることだけ。だからどうか、どうか。誰よりも健やかに、輝かしい人生を』


 うっすらと、その瞳にハートを宿らせた銀の彼女。

 そんな人の手を俺は取り、暗い暗い牢を、そして城の外まで彼女に導かれる。赤い炎と断末魔を背にして。


 かくして、トライワールが喚んだ勇者──佐藤望さとうのぞむその日の内に死を遂げる。

 

 だがそれでも勇者であった俺は、全てを捨てながらも生き続けている。

 大恩ある彼女から渡された、仮面の剣士マスカレイドにとっての最初の木彫りの仮面を身につけて。

 そして希望あるこれからを願い彼女が付けてくれた、ウォントの名を名乗りながら。





 手強い。

 荒れ狂い俺を狙う怪物を前に、村から距離を離しながらつい舌を打ってしまう。

 

 銀の刃を空に奔らせ、反撃をかいくぐりながら大蛇の体を絶えず切り続ける。

 だがその一方で、だがそんな攻撃に意味はないと大蛇は斬撃の速度を上回って再生してしまう。

 

 理由は一目瞭然。大蛇は自ら切り落とした部位から、内に残る魔力を補給し続けているからに他ならない。


 こちらの不利は明白。けれどその巨躯故に防ぐ術なし。

 このまま根比べを続けるのなら、こちらの方が早く消耗するのは必至。そう遠くない未来にて、こちらの魔力と体力が先に枯渇してしまうことだろう。


「ぐっ……!!」


 着地した直後を好機と踏んだのか、呑み込まんと迫る蛇のかしら

 倒れたビルがエンジン付けてぶっ飛んでくるが如く、災害手前の大衝突。当然直撃すればひとたまりもない。

 

 大蛇にとってはただの捕食行為。

 けれどおれからすれば、その一挙動ですら死に直結してしまう、まさに嵐の大行進。

 

 だがこれしきのこと、特段焦ることではない。

 確かにこれほどの脅威、この数年で経験した中でも手足の指であれば数えられることだろう。


 それでも所詮は危機。今更縮こまって臆したりはしない。

 俺が負ければ村は終わる。助けを待つ人々も、命懸けで俺に依頼して来たあの少女の未来も。

 

 多くの犠牲が出てしまう。たくさんの人から笑顔が消えてしまう。

 そんな未来を俺は望まない。物語の主人公みたいに多くを救えずとも、求められた手を放したくはない。


 例えこの世界では勇者がただ血塗れの兵器なのだとしても。

 俺にとっての勇者とは、人々に希望をもたらす英雄ヒーローなのだから。


 衝突までの僅かな猶予。その間、凡そ一瞬未満。

 内で荒ぶる魔力を充足させ、一気に加速して迎え撃つ。


 大口開けて迫るは蛇のアギト

 おおきすぎる万能粉砕器が俺を呑み込むその直前。

 響く。金属同士を打ち付けたかのような巨大な音が。


 横薙ぎの一閃にて墜ちていく左牙。

 それが地に着く前に蛇の鼻を蹴り、頭部を地面に転がしながら大蛇の進路から外れる。


「……駄目か。ここまでだな」


 視線の先にはあるのは歪み、刃の欠けた刀身。

 魔力で補おうとも相手が堅牢。今の一撃でついに限界が来てしまったらしい。

 

 自分にもっと腕があればと。

 そう己の未熟さを恥じながら剣を捨て、軽い呼吸を繰り返し万全の調子へと整える。

 

 これで使える得物は一つ、本来の相棒であるあの剣のみ。


 ……出来ることなら使いたくはなかった。例え驕りと謗られようが、それでもあの剣は抜きたくなかった。

 

 何故ならあれは、あの剣は俺の手に余る代物故に。

 強すぎる力。勇者を最強たらしめる兵器。

 万が一、億が一にも観測されてしまえば、欠陥勇者の生存が余計な動乱を生んでしまうかもしれないのだ。


 だが、流石に武器を持たずに戦うのは無謀。

 あれは怪物。そこいらの魔物とは格の違う、この場で必ず仕留めなければいけない生きた災害なり。

 

 覚悟を決めろ。悩むな、人の命が掛かってるんだ。

 奴の弱点は既に割れた。だから振るうべきは一太刀だけ。

 その抗いは本能か、それとも浅知恵か。

 どちらにせよ、明らかに庇うあの部分──魔物の核たる宝石を断ち、この戦いを終わらせよう。


 甲高く、鼓膜を突き刺すような大蛇の咆哮。

 鼓膜が擦切れそうな叫びを上げ、怒りのまなこでこちらに狙いを定めたのを直感する。



「起きろ、聖剣グロリアス

 


 仮面を取り、素顔を晒してから一呼吸。

 白い台座。心に突き刺さる柄を握りしめ、一気に引き抜き空想うちから現実そとへと呼び起こす。

 

 汚れなき純白の刀身は神秘を圧縮された聖光の形。

 かつてこの光を見た一人の冒険者は、その光が人の手に余る星の煌めきだと、目を奪われながらに呆然と呟いたほど。

 

 その名はグロリアス。

 太古に失われた勇者の意義を表わす、三振りの内が一つ。そして佐藤望さとうのぞむに与えられ、王城を離れ一年ほど後にその手に収まった勇者の証。

 

「……行くぞ」


 晒した顔に当たる空気を心地好く思いながら、無尽蔵に湧き始める魔力を強化に回していく。


 怪物も俺の変化を感じ取ったのだろう、大蛇は大気を震わすほど轟かせ、今日一番の威嚇をしてくる。 

 

 だが遅い。

 固く閉じていた蓋を開け、力を解放した俺の魔力は文字通り桁違い。

 そんなのろさで這っているだけならば、最早お前は大きいだけの的でしかないのだから。


 空気の壁を突き破り、音すら置き去りに蛇を切りまくる。

 斬撃は速く軽やかに。今の俺ならそれで充分。

 ただの英雄では届かぬ聖なる剣。決戦兵器と人の歴史に上塗りされた原初との約束。

 その光の閃きは、堅牢堅固であった大蛇の肉をバターでも切るかのように断ち続けた。


 そして届く。

 大蛇の命を繋ぐ、内に眠っていた宝石かくへと。


「見事っ!!」


 露わになったのは、人より大きな脈打つ紫の宝石。

 宝石心臓トレジャーハート。それこそ魔物の核。人における心の臓。

 その大きさは宿す生き物の強さの証。その輝きこそが彼らの脅威の証明。その所持こそ、討伐者のほまれなり。


 人の安寧を妨げる、大きく賢しい強者。

 その強さに敬意を持ちながら、大蛇の核を切り離し、空へと恥から口を開けた蛇の顔を断つべく剣を構える。


聖斬せいざんっ!!」


 光の太刀は光の線となり、大蛇の首を切り落とす。

 大蛇は糸の切れた人形のように支えを失い、その巨躯を地面へと叩き付け、数秒の後に完全に停止する。

 

 完全に絶命したのを確認し、一つ大きな安堵の息。

 そして軽く剣を振り、血を落としてから魔力を解く。


 役目を終え、内の台座に帰る聖剣。

 魔力は自身のものへと戻り、どっと疲労感が体を走り始める。


暴食蛇グラトサー討伐。……ふう、好い空だ」


 蛇の骸へ一礼し、澄み渡る青空を目を向ける。

 空の色はどこも同じ。明るく、清く、吸い込まれるよう。

 そう思いながら浸っていると、やがて遠くからの人の声が耳へと届いてくる。


 守ったもの。守れた者。果たせた約束。

 その象徴たる依頼者に小さく微笑みながら、再び仮面を被る。


 素顔を晒さぬ仮面の剣士マスカレイド

 その正体が不細工な欠陥勇者だと、人の世に知られないように。

 

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