こんにちわ、大蛇さん

 佐藤望さとうのぞむにとっての王城での生活。

 それは今までと変化のない地獄、或いはいじめられる以上に苦痛に満ちた日々であった。


 戦うことこそが勇者の責務だと無理矢理剣を握らされ、ひたすらに課せられた訓練。

 想像の中にしかないと思っていた、魔法と呼ばれる現象の特訓。

 前まで通っていた学校がお遊戯に感じてしまうくらいには密度のある、知らない常識や価値観に基づく覚えなければならない勉学。


 身体能力、学力、応用力。そのどれをとっても平凡でしかなかった佐藤望さとうのぞむ

 そんな彼が背負うにはあまりに重すぎる、ただ痛めつけられるだけの日々。少しでも逆らえば、拒否を示せば罰せられる弱音を許さない環境であった。


 そして何よりも佐藤望さとうのぞむにとって辛かったのは、彼に向けられ罵倒の数々。

 無能。ゴミ。役立たず。不良品。その他諸々、中にはこの世界特有であろう俗語スラングらしきもの。

 どうしてか通じてしまう別世界の言葉で詰られ蔑まれる日々が、ただでさえ摩耗していた少年の心を擦切れさせるには充分過ぎた。

 

 最初からこうであったはけではない。当然優しくしてくれたものだっていた。

 けれど長くは続かない。俺が体たらく晒していく内に、徐々に掌を返して冷遇してきたのだ。

 

 決して態度を変えることなく、ただひたすらに蔑んだ王。

 そんな男が紳士的で誠実なのだと思えてしまうくらいには、多くの者が失望と共に離れていったのだ。高々十四年しか生きていない少年が、そんな苦しみに耐えられるはずがなかった。

 

 少年の心は既に……いや、とっくの昔に限界だった。

 体と心は何度も何度も悲鳴を上げ、与えられた小さな個室ではひたすらに歯を食いしばりながら嗚咽を漏らし、ひたすらに後悔と両親の名を声にならないよう叫んでいた。

 

 血の滲むような訓練を繰り返しながら、それでも目に見える成果を出せない憤り。

 信頼してくれようとした者の期待に応えられず、失望させてしまった自分への怒り。

 こんなことになるのなら、自殺なんて容易に手段に頼らなければ良かったという後悔。

 

 嗚呼、異なる世界に招かれようと自身は何も変わっちゃいないのだと。

 自分は結局、例え世界を変えようが醜く非力で情けない落ちこぼれでしかないのだと、嫌と言うほど分からされたのだ。


 そしてある日。

 ついに限界に達した佐藤望さとうのぞむは、衝動から短剣を腹へと突き刺そうとした──。

 


『どうかお止めください! 勇者様!』

 


 そんなとき、少年は出会ったのだ。

 一筋の光すら見えない闇の中、笑顔がまるで流れ星のように美しい銀髪碧眼の少女と。

 

 彼女の名はシレーナ。絶望するだけだった少年の運命を大きく変えた出会いの一つにして始まり。

 そして少年に二度目の死を与えることになる、美しき魔性の死神であった。





 

 走る。走る。走る。ただひたすらに、真っ直ぐと駆けていく。


 ぐっすりと睡眠をとり、ある程度の体力の取り戻したエレナ。

 そんな彼女を背に抱え、時に木々や獣を足場にしながら山を走破した俺は、足を止めることなく彼女の案内に従って村までの道のりを急いでいた。


「……臭うな」


 腐臭が鼻を突き、気配が変わったのを捉えたのは、エレナが村が近いと口にしたすぐのことだった。

 

 充満しているのは鬱々たる死の気配。所々に晒されているのは、獣であったものの成れの果て。

 直感が囁いてくる。間違いなくいる。この辺りにいてはならないものは、確かに存在していると。

 例え暴食蛇グラトサーでなかったとしても、人が暮らす上で放置できないであろう危険で恐ろしい何かが。必ず。

 

 ここに至るまで、未だ少し楽観視していた自身を恥じ、気を引き締め直しながらひた走る。

 現在おおよそ三時過ぎ。もう少しで日が暮れ始め、人にとって不利な時間帯が訪れてしまう頃。

 既にここは奴の領域テリトリー。僅かでも気を抜いたその瞬間、戦闘が始まっても可笑しくはないのだから。

 

「……あれです! あの村です!!」


 後ろから、小さくながらも見えてきた村の輪郭を指差すエリナ。

 周囲にあるのは、まるで大きな川でも干上がったかのような抉れ。そしていくつか空いている大きな点──人の背丈など容易く超える大穴。


 連想されるのはもぐら、或いは蛇。全ての情報を考慮すれば、可能性は一択に他ならない。

 もぐらではないのは一目瞭然。周辺に転がる白みを帯びた膜の塊を、件の生き物の抜け殻と仮定すれば、これから戦うべき相手の大きさも容易に予想出来るというもの。


 いるな。この近く……いや、この地面の下に。

 あのときとは比じゃないくらいでかい、俺も見たことのないくらいの巨大な蛇の怪物が。


「──掴まれっ!!」


 そんな大蛇の強襲は、周辺による考察を終え、僅かな振動を感じ取った直後のことだった。

 怪物が俺の体へと届くよりも早く跳躍し、魔力を足に込めて空へと着地する。

 一連の動作が終わってからようやく思考が追いついたであろうエレナは、現状に慌てふためき始める。


「な、何です今の!? えっ、ていうか空飛んで──!?」

「飛んでない。ただ踏んでいるだけだ。それより、あれを見ろ」


 その全貌に自分でも結構驚きながら、それでも一人じゃないので取り乱さずに指を指す。

 様々な疑問はあれど、俺の示す方向に目を向け、そして先ほどまでの言葉を失うエリナ。

 

 俺達がいる場所の真下。それは先ほどまで足を付けていた、緑溢れる草の道。

 けれど今、その姿はどこにもなく。蠢き滑る紫紺色によって塗りつぶされてしまっていた。


「な、何ですこれ……? 何がどうなって──」

暴食蛇グラトサーだ。……ここまで大きいとは思わなかったけどな」


 鞘で眠る剣の柄を触りながら、これから倒さなければならない敵を観察する。

 全長は恐らく十メートルほど。元の世界の都会にあったでかいビルと並べても、多分引けを取らない長さと太さだろうか。

 

 はっきり言って、ここまで大きいとは思ってなかった。

 間違いなく特異固体。もしも撤退してギルドが認知すれば、通常の二つほど上の危険度で招集を掛けられることだろう。


 ……まったく、一体何を喰ったらここまで大きくなれるんだか。ちょっと羨ましいな。

 

 さてまあ、問題はこの剣こいつでどうにか出来るかってことだが。

 こいつの切れ味は人以上に信頼しているし、よほど固くなければ魔力込みでぶった切れるとは思う。

 まあでも、考えたって仕方がない。最優先は人の命。そして依頼の達成だ。俺のことなど二の次で構わない。それにどのみち、今にも村を呑み込みそうなこいつを放置するわけにはいかないしな。


「しっかり俺に掴まってろ。絶対に落ちるんじゃないぞ」

「え、えっ?」

「これからお前を村に放り込む。少し煩くなるが、お前が安心させてやれ」


 素早くエレナに指示を出し、ゆっくりと屈んで姿勢を低くする。

 雑魚ならともかく、あの巨体相手では流石に背負っては戦えない。間違いなく重荷になってしまう。

 だが、この辺りに安全な場所などない。それこそやつが狙いを定めた村の中えさにしか。

 

 だから村へと帰す。これから起こる戦闘で不安がるであろう、村民達への説明役として。

 その方がエレナや村にとって一番安全な方法。そして俺にとってもで都合が良い、持ちつ持たれつの最善策だ。


「行くぞ。舌噛むなよ」


 返事を待たずに足場を蹴り、再度空へ飛び出していく。

 重力に逆らうことなく落ちていく体。背中の少女への負担が減るよう軽減魔法を掛けながら、落下の速度のまま大蛇の体に吸い寄せられる。

 

 そらっ、まずは一発だ。挨拶代わりで俺を認識させ、村から少しでも注意を逸らす──!!


衝撃インパクトっ!!」


 落下の衝撃に魔力を掛けて、勢いのまま大蛇を踏みしめる。

 大蛇の体に浸透する衝撃。横幅だけで俺を上回る巨躯を揺らし、苦悶を示すように呻きを上げる。


 そんな様子に構うことなく、蛇の胴へ着地して村の方向まで一気に駆けていく。

 大蛇が暴れ、その旅に鳴り続ける地響き。感触的にそこそこは効いたはず。今のうちだ。


 素早く村の蛇の頭部はじまで到達し、足に力を込めて一気に跳び上がる。

 衝撃に頭を垂れながら、それでも目の前を抜ける俺たちをぎろりと睨み付けてくる蛇の目じゃのめ

 

 その眼光に気圧されたのか、後ろで抱きつく少女の力が強まるのを感じる。

 ……怖いか、当然だな。昔あんなのに睨まれていたら、蛙じゃない俺だって縮み上がっちまうさ。


 空で身を翻しながら、掌に魔力で火を灯して捏ねるように伸ばし、弓を形作って矢を番える。

 狙いはこちらを睨むその目二つ。依頼者であるエレナを恐怖で縛る、縦割れのおぞましき瞳だ。

 

 村からの注意逸らしと俺に目を向けさせるための自己PR兼ねた先制攻撃。

 どうせ無駄だし蛇的にはおまけの器官だろうが、それでも挨拶代わりに潰してやるよ。なあに礼はいらないぜ?

 

「そらよっ!!」


 放たれた二本の炎矢。それらは空を舞う間に姿を変え、炎の鳥となって羽ばたき蛇の目を焼く。

 今度は先ほどの比ではなく、周辺の木々をなぎ倒さんとひたすらに暴れ狂るう大蛇。

 その間にするりと村の壁を越え、集まって戸惑いを見せる人々の中心へと、衝撃を殺しながら滑らかに着地する。


「着いたぞ。後は任せろ」

「は、はい!」


 呆けるエレナを降ろして村民を任せ、強く地面を蹴って戦場へと戻る。

 自身に掛けるのは今の自分に出来る全力の強化。ここまでの全力は一年ぶりくらいか。

 

 エレナを抱えていたときとは比じゃない速度で大蛇を通り抜け、腰の剣を抜いて紫紺の胴体に振りかざす。

 刃が詰まることもなく、見事二つに両断される蛇の胴体。デカすぎるこいつにとっては僅かなのかもしれないが、それでも大蛇の傷つけた確かな一撃。


 だがそれでも、大蛇にとっての致命に至ることは決してない。

 俺が村の真逆──蛇の尾にまで辿り着く頃には、蛇は魔力を滾らせながら断面を接合し元通りの体へと戻ってしまっていた。

 

「……でかいな」


 まあそれくらいは想定通りだと、剣を構えながら改めて様子を探っていく。

 大蛇はぐるりと体をうねらせ、忌々しそうに見下ろしてくる。

 めんたまも再生済みで、ぎょろりとこちらを射殺すとばかりに睨んでくると。おーおーしっかり睨んでくらぁ。まったく怖いねぇ、いやまじで。


「……上等。そっちが死ぬまで刻んでやる」


 完全に敵と見なされたことに安堵と恐怖の両方を抱きながら、剣先を向けて啖呵切る。

 口は上々。回るうちは上等。イキリも無駄口も、びびりそうになる俺を鼓舞する大事な材料。

 

 見上げた先には圧倒的な巨躯。はち切れんばかりに溢る、魔力を貯め込んだビルが如き怪物。

 剣を持つ手に力が入る。それが緊張か恐怖か、それとも興奮かなんてどうでもいい。

 さあて久しぶりの大仕事。さっさと狩って、不安そうだった依頼主を安心させないとな。


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