第29話 囚われた紅月
「そういえば、聴いたぞ、紅月。おまえ、身の程知らずにも、皇太孫と見合いをしたらしいな。だが、お前のようなものが皇太孫妃になれるとでも?」
ははは、と、嫌な感じに
「残念だったな、紅月。太孫殿下はいま、うちの
いかにも
紅月はふいに
「わたし、は……妖女、などでは……ありません」
それでも、そんなふうに、必死に絞り出すように反論する。
しかし相手は、冷たい目でこちらを見下ろし、紅月の言葉を笑い飛ばした。
「はっ。どの口が言うのやら。――算術好きの変わり者程度のことなら、まあ、
「っ、魅入られて、など……おりません。わたしは、ただ……」
「ただ、なんだ? ――ああ、そういえば、こんな満月の晩だったな。おまえが薄気味悪くも、月蝕を予言したのは。皇宮で
圭嘉は続ける。
「今宵は蝕になる、と、おまえが最初に私に言ったときは、何を
そうだ。そのあと間もなく、圭嘉は、高家は、紅月との婚姻の約束を、正式な
月仙女を
けれども別に、紅月は人智を越えた邪悪で不可思議な
あの頃の紅月は、蝕を読むことが可能だ、と、そう気づいたこと自体が嬉しくてたまらず、算術を駆使してその日を割り出してみることができたのを得意にすら思っていた。
ただ、己でも愚かしかったと思うのは、そうしたことを理解してくれない、理解する気すらまるでなかった圭嘉などに、意気揚揚と、そして軽々と、自分が求め得た蝕の起きるだろう日の予測を語ってしまったことである。
ただ計算しただけだ、邪な術を使ったのではない、と、冷たい視線を向けてくる婚約者に紅月は訴えたが、こちらの話を圭嘉は聞こうともしなかった。ただただ、紅月を、
――紅月とは、ぴったりな
圭嘉には更に、紅月は蝕に魅入られた不吉な女なのだ、と、そんな風聞さえ流されて、その
眉を寄せる。
当時の酷い気持ちが甦って、身体を、心を、縛りつけようとしているかのようだった。気持ちが、暗く沈む。なにかを言う気力が失せ、言葉が、喉のところで詰まってしまう。
生き苦しくて、息苦しかった。
紅月は無意識に己の
けれども、ふと、指が、
分不相応だ、と、なお、おもう。どうして自分なのか、まだ、わからない。それでも、朗輝からその櫛を贈られたことが、うれしくてならないのも、誤魔化すことのできない、自分の中の真実の想いだった。
――賢しらな口をきいて、すみません。
――なんで謝るの。むしろ頼もしい。
不意に、脳裏に朗輝の声を聴いた気がして、それで紅月は、
そうだ。自分はなにも悪いことをしたわけではない。誰かを傷つけたわけでもない。
それなのに、どうしてあのとき、悪口を浴びせられるがままに、ちいさくなってしまったのだろうか。どうしてもっと、顔を上げて生きようとしなかったのだろうか。
好きなものは好きだと胸を張って言えず、縮こまるように俯きがちになってしまった己が、己自身でもひどく
だから、いま紅月は、ようやく相手に真正面から強く反論してみせる。
「わたしは……不吉などでは、ありません」
圭嘉を睨み据えて、ひと言ひと言を、きっぱりと言った。
「だから、あなたが、あなたがたが、この先、たとえば不幸に見舞われるなら……それはすべて、あなたがた自身が、呼び込んだものです」
ふ、と、口の端に笑みを浮かべ、嘲笑するように続けてやった。
「っ、おまえ、何を知ったッ!?」
圭嘉は途端に目を怒らせて言って、紅月を乱暴に揺すぶった。だがそれでも、紅月は
「さ、あ……どうで、しょうか?」
意味深に笑ったままでそれだけ言い、もうあとは、紅月はしんと黙り込んだ。
もちろん紅月は、決定的な何かを見たわけではない。聴いたわけでもない。
だから、ほんとうは、どんな重要な情報も知りはしなかった。
だが、圭嘉がいまこんな反応を見せるからには、高家には探られたくない腹があるのに違いないのだ。皇帝の、朗輝の、勘繰っている通りである。
それならば、彼らの悪事は間違いなく、皇帝から命を受けている朗輝が、遠からず白日の下に曝すはずだった。たとえば紅月がいまここで口封じのために圭嘉に殺されるようなことがあったとしても、きっと、朗輝が報いてくれる。
そう、信じられる。
だから紅月は余裕の表情を崩さずにいられた。
だが、そんなこちらに無気味なものを感じるのか、ち、と、鋭い舌打ちをした圭嘉が、掴んでいた紅月の身体を乱暴に突き飛ばした。
「っ」
身体をしたたか打って、紅月は低く呻く。圭嘉はその間にも、庫の戸のところまで下がっていた。
「まあ、いい……後でじっくりいたぶって、
吐き棄てるように言うと、戸を閉める。ガチャガチャと音がするのは、扉に、鎖か
その音が
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