第18話 愛らしい少女の登場に…
「ち、ちがいます!」
いまもかつての
「じゃあ、どうして止めるの?」
「それは……あなたさまには、御立場というものが、あるからです」
軽くない立場があるのだから無闇と臣下と
しばらく紅月と眼差しを交わしたあと、朗輝はやがて、ふう、と、ひとつ大きく息を吐いた。
「いまはお忍びだ。事を荒立てて目立つのは私も困るし、彼女も望むまい。ゆえに、
圭嘉に対してそう言ってから、これでいいんだよね、と、朗輝は確認するように、紅月をうかがい見た。紅月は、ほ、と、息をついた。
一触即発の空気がなんとか
「――お兄さま? いったい、どうなさったの?」
ふと、鈴を転がすような、澄んだ声が聞こえてきた。
どうやら高家の馬車の中からのようだ。紅月がそちらへと視線をめぐらせると、ちょうど
「まあ」
少女は紅月の姿を見とめると、大きな
「そちらにおいでなのは、紅月お
口許に
少女が
美しい黒髪を高く結い上げ、いくつも
頭の片隅に追いやった記憶が、ふいに、刺激される。
紅月が前に彼女に会ったのは、相手がまだ幼女といってもいいくらいの頃だったろうか。それでも、その可愛らしい
彼女は圭嘉の妹だ。姓名を、高
「……
幼年の間は、
「お久し振りです。見ないうちに、ずいぶんと大きくなられましたね」
続けて、そう、形ばかりの挨拶をした。
「あら、お姐さま。わたくしだって、もう
にこ、と、まるでよく出来た人形のように愛らしく、高玲――鈴麗は、微笑んだ。
だが、そうはいいつつも、鈴麗はすぐに紅月に対する興味を失ったようだ。こちらから視線を外してしまうと、ちら、と、兄のほうをうかがい見る。
そして、その後で大きな眸が見詰めるのは、紅月の前に立つ朗輝のほうだった。
「ね、お兄さま……こちらの素敵な御方は、どちらさまですの?」
少女は、こと、と、可愛らしく小首を傾けて、無邪気に兄に訊ねた。
「鈴麗、口を
「まあ!」
兄の言葉を受け、鈴麗は袖で口許を覆い、
「殿下、これは我が妹、高
「お初にお目もじ仕ります、殿下。わたくし、高
少女は、そう、そつなく挨拶をした。
にこり、と、朗輝に向かって微笑んでみせるその
そして、ふと、
きっと本来ならば、朗輝が見合いをし、婚約を経て、その妃に迎えるのは、鈴麗のような少女なのではないだろうか。
自分などよりもずっと、いま目の前に立つ少女・鈴麗は、朗輝の縁談相手としてはふさわしい。
そんなことを思うと、紅月の胸の奥は、ちくん、と、ちいさな棘で刺されたかのように痛んだ。
朗輝は、この愛らしい少女に微笑みかけられて、どう反応するだろうか。たしかめるのが怖いような気がしながらも、紅月は、ちら、と、斜め後ろの位置から、朗輝の涼やかな横顔をうかがい見た。
朗輝は鈴麗からの挨拶を受けても、わずかに
紅月はそんな朗輝の様子に、ほう、と、息をつく。
けれどもその刹那、安堵の息を漏らした己に対し、なんともいえない嫌悪を覚えた。
朗輝が鈴麗に興味を持たなかったことに対し、いまほっとしてしまった自分は――……
そう思って、顔を伏せる。
鈴麗のほうはといえば、朗輝の淡白な態度を気にするふうもなく、まだ明らかに朗輝に対する並ならぬ関心を覗かせていた。
大きな
その様子を見て、何かを思ったのか、動いたのは
「――ああ、そうだ」
突然、そう声をあげた。
「皇太孫殿下、もしよろしければ、六日後、我が高府へお越しくださいませんか。ちょうど、鈴麗の成人を祝う内輪の宴席を予定しておりまして……今日のお詫びを兼ねて、精いっぱいのおもてなしをさせていただければと存じます」
ぜひとも、と、満面に笑みを張り付けて言う。
それを見て、きっと圭嘉もまた紅月と同じようなことを考えたのだ、と、紅月はそう思った――……すなわち、鈴麗は、
「ああ、それは良い案ですわ、お兄さま。――わたくしからも、お願いいたします。ぜひとも我が家へお越しくださいませ、殿下」
紅月の胸はまた、今度は、しくしく、と、
朗輝はいったい何と答えるのだろうか。再びおそるおそるうかがうと、彼はいかにも無感動な視線を圭嘉に向けて、長い息をついた。
「臣下の主催する宴席への参加は、私の一存では決められない。
平坦な声できっぱりと言い放つ。
圭嘉は、そして鈴麗も、朗輝の言葉にわずかに
「あ、ああ、もちろん……もちろん、そうでございますね!」
しかし、すぐに
「
まだどこか名残惜しそうに朗輝を振り返る妹を促して、圭嘉は馬車へと戻って行った。
ふたりの姿が
「あなたの元
そんなことを言う。
紅月は驚いて、え、と、目を
それまでずっと紅月を背に
「だって、あなたがまだそいつに気を残しているようなら、こっちは何としても排除しないといけなかったしね……手段は選んでいられないけどさ、ほら、罪を
嘘か本気か、そんなことを言い出す朗輝に、紅月はますます面食らって、大きく目を見開いた。
「でも、あいつなら……わざわざでっち上げなくても、ちょっと
最後はどこか冗談めかして、朗輝は、くすん、と、肩を
その悪戯っぽい様子に、紅月はぽかんとする。
けれどもすぐに、くす、と、思わずのような笑い声を立ててしまっていた。
「とりあえず……気などちっとも残しておりませんから、殿下が無闇にお手を汚される必要はございません、と……念のため、申し上げておきますね」
こちらも、敢えて軽口を叩いてみる。
すると、朗輝は軽く首を傾げてみせた。
「ほんと? だったら、いいけど……でも、あなたには、あの男とのことが原因で気にしていることがあるでしょう? 僕は……あなたのその
そちらのほうがよほど強敵かもしれない、と、朗輝は苦笑するように言った。
紅月はそれには言葉を詰まらせ、結局、次に継ぐべきそれを探し
けれども一方で、朗輝の真っ直ぐな眼差しを受け止めながら、かすかな予感が胸に
それで知らず、ふわ、と、口許を
「あ、いま、笑った!」
「す、すみません」
「あやまらないでよ。かわいいなって思っただけなのに」
「で、殿下っ」
「ん?」
「その……からかわないで、ください」
「からかってない。単なる、ほんき」
ふふ、と、朗輝は機嫌よく笑う。
もう、と、紅月は頬を染めて
けれども、同じ俯くでも、先程、圭嘉を前に重たい気持ちでそうしていたのとは、ぜんぜん違う。胸の中は、ほんのりとあたたかかった。
「――あの、ね」
ふと、朗輝が言った。
「はい」
紅月は答えた。
「あの、さ……ちなみに言っておくと、あなたからの誘いなら、いつでも行くからね」
「……え?」
「
わずかに低い位置から朗輝に上目遣いに見詰められて、紅月はあたふたした。
「ち、父に……訊いて、みます。予定がないかどうか」
そんなふうに言葉を濁すと、朗輝は、うん、と、嬉しそうに笑ってうなずいたのだった。
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