第10話 次はあるか
「で。どうだったのだ?」
行きと同じく皇家の仕立ててくれた馬車で自宅である
「あまり長時間になって、あなたを疲れさせても申し訳ないから……今日はここまでにしようか。僕としては、まだまだ名残惜しいんだけど」
そんなふうに
「ほんとうはあなたの
そう溜め息をつきつつ、相手は皇宮の端にある南門のところまで紅月に付き添ってくれた。ほんとうに、最後の最後まで、紅月に最大限の気遣いを以て接してくれたと思う。
だからこそ、そんな朗輝に、別れ際、どうしても抑えきれずに紅月が訊ねてしまった。
「殿下は、その……どうして、わたしを?」
なぜ
おずおずとしてみた質問に、朗輝は、こと、と、小首を
「それは、僕がいつあなたを
「っ、み、そめた……?」
思ってもみなかったその言い方に、紅月は慌てふためく。
「だって、そういうことでしょう?」
目を白黒させるこちらを前に、けれども朗輝は
「そうだね。教えてもいいんだけど……今日のところは、秘密に、しようかな」
「え?」
「だって、そうしておいたら、今度会うまでの間に、あなた、すこしでも僕のことを考えてくれるかなって……傍にいない時間も、あなたの心のなかに僕がいるんだったら嬉しいから。――だから、秘密」
十六歳の
その刹那、ふいに相手の表情がひどく大人びたそれに見えて、紅月ははっとしてしまった。
相手の
「気をつけてね。また今度会える日を楽しみにしてる」
朗輝は最後に
その後すぐに馬車は動き出したが、そこから蘇府に着くまでの間、頬どころか耳まで熱いわ、心臓はばくばくと煩いわで、本当にたいへんだった。思わずずっと隠し持っていた
「なんというか……わたし、死んでしまうかと思いました」
朗輝との初の逢瀬はどうだったのだ、と、そんな父の問いに、紅月は今日のあれこれを思い出しながら、そんなふうに答えた。
朗輝と過ごした時間は、おそらく、二
「なんと……皇太孫殿下はそんなにも気難しい方だったのか?」
死などという
なにしろ相手は直系皇族なのだ。
だが、もちろん、紅月は父が案ずるような意味で言ったのではない。
「殿下は、その……
言われた言葉の数々、相手が自分に接するときの態度などを思い起こしつつ、気恥ずかしさに目を伏せるようにして言う。
すると、そんな紅月を見た英俊は一瞬驚いたように目を
「ほう、ほう。心配していたが、なかなか順調に過ごしたようではないか。――それで、紅月。次の機会はありそうなのか?」
今日は見合いだったとはいえ、まだ縁談は内々のものでしかない。なにしろ、事は皇太孫殿下の婚姻なのである。皇家の家長である皇帝の名のもとに蘇家へと婚姻が申し込まれて、そこで初めて、それは正式な段階へと入るのだ。
つまり、それまでなら、いつ何時、白紙に戻ってもおかしくはないというわけである。
次か、と、紅月は思った。
「大きな問題があったとは思いませんが、次があるかは……控え目に言って、未知数でしょうね」
朗輝は終始、にこやかに、丁寧に、こちらに接してくれた。最後見送ってくれたときには、また今度、と、そうも口にしてくれていた。
けれども、それらがあくまでも臣下の顔を立てての表面上の態度ではなかったと、どうして言い切れるだろうか。
むしろ、まだ少年ながらも様々なことを
もしもそうなのだとしたら、次の機会があるかどうかは、微妙だと言わざるを得ないだろう。
期待なんかしないほうがいい。
否、してはいけないのだ、と、紅月は自分に言い聞かせるように、心中に独り
「ただ、殿下は……わたしのことを、今日以前から、ご存知だったような口振りでした。どうしてでしょうか?」
紅月が英俊を見ると、父は不思議そうに首を傾げた。
「さて。成人の儀の折にでも、お前のことを見かけられたのだろうか」
それくらいしか考えられないのではないのか、と、英俊は言う。
確かに、紅月と朗輝の接点がその日以外に想定しにくいというのは、間違いないことだった。が、それはそれで、まだ
「ですが、あの儀式の時にわたしがいたのは、末席も末席です。ふつう、距離が遠くなれば、ある物体の視野に占める幅、つまり視角は狭くなりますから、要するにわたしからは殿下が豆粒のようにしか見えませんでしたし、殿下からも、わたしはそのようにしか見えなかったと思われるのですが……それでどうやって、殿下がわたしを
「みそ?」
「っ、なんでも、ありません……!」
「まあいいが。――それはまあ、お前が気付かないうちに、あちらがお前を御覧になっていたのだろう。皇宮内においては、皇族方のほうが、我々よりはるかに行動の自由が利くのだし」
「たしかに、それはそうですけれども……」
朗輝の成人の儀の折の、いったいいつ、紅月は見られていたのだろうか。秘密だ、と、今日の別れ際に朗輝は言っていたが、そのときの自分は、いったい、おかしなことをしていなかっただろうか。
紅月は、そ、と、嘆息する。
「とりあえず、父上。明日にはあちらから断りの
それもまたこの話がもたらされた最初の段階から相当に確からしい、想定の範囲内の出来事なのだから、と、紅月は破談になった際の父の落胆を思いやって、あらかじめ予防線を張っておいた。
しかし、である。
案に反して、紅月が予想したような内容の
そのかわり、次の日の
それと共に、次に会った時には食べてみた感想が欲しい、と、そんなことが書かれた
そして、その
すなわち、次の逢瀬の約束だ。
「あの、父上……ほんとうに、これは何かの罠か、
こんな己の縁談であるにも関わらず、あまりにも事が順調に運び過ぎていやしないだろうか。
そのことに紅月が、かえって
「いやいや……
気を取り直したように、英俊は紅月を
「あちらがわざわざ手作りの
そう、命じられる。
「はあ……」
紅月は
釈然としないものはあるが、とりあえず、いまは英俊の言うことに従っておこう。
幸い、刺繍はわりと好きなので――手順通りに刺していくことで図案が再現されるのが、手順に則った操作によって解を得る算術と通じる気がするからだが――苦にならないし、むしろどちらかといえば得意なほうかもしれない。
「わかりました、父上」
紅月はあらためて、父の言葉に素直な返事を返す。
本当は、格子や
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