第9話 皇太孫のひみつ

「えっと、その、甘味は、あた、あた……っ、あたたかいお茶と共に食すのが、好みです」


 我ながら何を口走っているのかわからない誤魔化し方だった。


 だが、目の前にはちょうど御誂おあつらえ向きに、茶器も用意されている。だから紅月こうげつは、これ幸いと、そちらに手を伸ばした。


「あの、よろしければ、お茶をおれいたしましょうか?」


「いいの? うれしい」


 紅月の言葉に、大輪の花が咲いたように、朗輝ろうきはぱっと明るい表情になる。


「すこしお待ちくださいね」


 紅月は口許をほの笑ませつつ言って、静かに立ち上がった。


 小壺しょうこを炉にかけ、そこに柄杓ひしゃくで二杯、水をんで注ぐ。湯がくまでの間に団茶を小刀で削っておいて、こぽこぽと音がしてきたところで、削った茶を小壺に沸かした湯に入れた。


 後はしばし、煮出せば良い。


「いつもなら、茶葉の目方をはかりで量って、煮出すのも一炷香ちゅうこうの十分の一を計るのですけれど……すみません、今日は目分量です」


 壺の中味を掻き混ぜながら言うと、朗輝はきょとんとして、それからくつくつと喉を鳴らした。


「僕が自分でするときは、いつもだいたいで目分量だから、平気」


 そう言われ、しまった、もしかするといまのもふつうとは違う奇妙な発言だっただろうか、と、紅月は狼狽うろたえる。


 が、朗輝がにこにこ機嫌よさそうにしていることもあり、なんとか平静を装ったまま、茶を器に注ぐことができた。


 それを朗輝の目前に丁寧な手つきで差し出してやる。


「きっちりしてるんだね」


 受け取った朗輝は、そう言って朗らかに笑ってくれた。どうやら、先程の失言も、さほどおかしくは思われなかったようだ。紅月は、ほ、と、安堵あんどの息を漏らした。


 続けて自分の分の茶も用意して、再び席につく。


 茶器を口許に運び、淹れたばかりの熱い茶をひとくち呑んだ。


「――ねえ、もしかして……緊張してる?」


 朗輝がふいにそんなことを訊ねてきたのは、紅月が茶器をことりと石案つくえ置いて、ふう、と、長い吐息をした時だった。


「それとも、何か……無理をしてる?」


 苦笑めいた笑みを口の端に刷いた朗輝が、困ったような表情かおで紅月を見つめていた。


 紅月ははっとして、反射的にかぶりを振っていた。


「いえ」


 ちいさくいらえる。


 無理を――……していないわけでは、ない。


 けれども、初対面の相手にそうと見抜かれるほど、いまの自分は何かを押さえ込んでいるように見えたのだろうか。


 不安になって朗輝をうかがうと、相手は、はあ、と、大きな溜め息を吐いた。


「ああ、もうっ!」


 天をあおぐような仕草をすると、すこしだけいら立たしげに言う。紅月は驚いて、はっと息を呑んだ。


 けれども相手は、なにもこちらに対して腹を立てるというわけではないらしい。まだ少年らしい幼さを残した面立ちの中に、彼は刹那、大人びた自嘲のかげよぎらせた。


「ごめん。わかってるんだ。僕がひとりで、張り切りすぎてるんだよね。あなたのことをすこしでも知りたくて、つい、よく張ってしまって……不愉快だったりした?」


「そ、そんなことは……!」


 ない、と、紅月は強く首を横に振った。 


「そう? よかった」


 今度ほっと息を吐いたのは朗輝のほうだ。


 それから彼はひとつ深呼吸めいた息をすると、涼やかな黒い眸を、真っ直ぐに紅月のほうに向けた。


「ごめんね。あなたにばかり、いろいろ聴いてしまって。――あ、そうか。あなたを知ろうとするばかりじゃなくて、僕も言っておかないと不公平だよね。そうだなあ、えっと……僕は実は、菓子作りが好きだったりする」


 朗輝が急に真摯しんしな表情でそんなことを告げてくる。


 唐突な、思いも寄らぬ告白に、紅月はきょとんと目を丸くした。


 こちらのその表情を見て、朗輝は、くすくす、と、笑み声を立てた。


「男のくせに変だって……笑う?」


 冗談かるくちめかして、口角を上げたまま、相手はそう言った。そのくせ、それとはうらはらに、こちらを覗き込む黒眸には、わずかにおそれ憂うような色が浮かんでいるような気がした。


 だから紅月は、即座に相手の言葉を否定した。


「そんな! ……笑ったりなんて、しません。ちっとも、おかしくないと思います」


「……ほんとう?」


「はい」


「ほんとうに、ほんとう?」


「はい、誓って。だって……何かを好きだというのに、男も女も、ないはずです。それに……」


「それに?」


「その……好きなことを、ちゃんと好きだとおっしゃることのできる殿下は、すてきだと、思います」


 気恥ずかしさと、それから、自分はそうは出来ていないと言う負い目とで、紅月はわずかに目を伏せた。


 朗輝はなにも答えない。


 ぽかりと場に沈黙もだが落ちて、自分は今度もなにかおかしなことを口走ってしまったのだろうか、と、不安になった紅月は、そ、と、朗輝をうかがい見た。


 相手は、まんまるに、目をみはっていた。


 けれども次の刹那には、ふわりとその頬がゆるむ。紅潮する。


「うれしい」


 相手が呟くのが聴こえて、紅月ははっと口許を袖で覆った。


「す、すみません! 生意気なことを、申しあげてしまったかも、しれません」


「ううん、うれしい。――僕も……僕もね。そんなふうに考えられるあなたが、すごく、すてきだと思う。好き」


 好きだなどと朗輝があまりにも真っ直ぐに言うものだから、今度目を瞠るのは、紅月の番だった。


 言わた言葉の意味を理解すると、頬が熱い。胸がどくどくと音を立てていてうるさい。


「あ、あの、あ、りがとう……ございます」


 しどろもどろになりながら、ようやく、それだけを答えた。


 けれども、いまのはきっと、紅月の考え方が好きだという、それだけのことなのだ。それ以上の深い意味があるだなんて、思わないほうがいい――……思ってはいけない。


「ねえ、今度、僕がつくった菓子をあなたに贈っていい? 食べてみてほしいな」


 そんなことを言ってくれるのも、単なる社交辞令だと思っておいたほうが賢明だ。彼が紅月に丁寧に接してくれるのも、きっと、同じ理由だろう。


 期待など、すべきではない。だって、相手は九歳ここのつも歳下の少年で、わざわざ年齢としの離れた紅月でなくとも、年頃のふさわしい相手など数多あまたあるのだ。


 いまの態度はおそらく、皇族の一員として、臣下の娘を無碍むげには扱わないというだけのことであって、それにほだされ、おかしな期待してしまっては、後で傷つく羽目になるのに違いない。


 紅月は、先程からずっと胸で煩く鳴り続けている鼓動を押さえようとして、そんなふうに、己に言い聞かせた。

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