第19話 カミカクシアオイ

 夜。ベッドに入り目を閉じると、今日の出来事を思いだす。


『神隠……って誰?』


 その言葉が頭の中でわんわん反響している。眠れないや。


 七陣小は五年生になる時にクラス替えがあるから、まだ覚えていない……いいや、無理がある。だってもう一学期は終わろうとしている。あの目立つ神隠さんの容姿や珍しい名字を考えると、知らない覚えていないというのは無理のある話だ。


 あの後和田さんにも確認したけれど、『え、髪が綺麗な子よね? あの子図書委員じゃなかったの? さあ、どこのクラスかはわからないわ』と言っていた。


 つまり杉山君の言葉がもし真実ならば、確かに存在するはずの神隠葵という女の子は五年二組の生徒ではなく、そして司書の和田さんからすれば図書委員かもわからない所属不明の生徒ということになる。


 神隠さんは死神――。


 そんな嫌な考えが頭を離れない。

 夜という静かすぎる時間は、私の考えをどんどんネガティブな方へと追いやってしまう。


 思い返せば、放課後の図書室で私は神隠さんと出会った。夕日に照らされた彼女の黒髪が綺麗だったという印象が強くある。そして神隠さんの名前は“あ”から始まる葵。条件は全て当てはまる。


あの後、杏ちゃんとはろくに言葉を交わすことなく別れた。神隠さんが死神じゃないか? その推論を口にだすのが怖かったからだ。私はベッドから出ると、宿題用に持ち帰っていたタブレットを手に取る。


「ねえアイラ」

『なんでしょう?』

「死神について教えて」

『死神とは、死を司る神の総称です。世界各地の神話や宗教において、様々な種類の死神が語られてきました――』


 アイラはなおも説明をとうとうと読み上げ、代表的な死神の姿としていくつかの画像を表示する。それらはいくらかの差異はあるけれど、黒いローブに身を包み、手に鎌をたずさえた姿が一番多い。


 私は思わず神隠葵というミステリアスな少女が、同じように黒いローブを身にまとい、鋭い大鎌を手に持つ姿を脳裏に浮かべる。その空想上の神隠さんは妖しげな笑みを浮かべ、ポーズをとってみせる。


「嫌だな、なんで似合うんだろ……」


私は神隠葵という少女についてまるで知らない。大人っぽくて頼れて、優しく助けてくれる神隠さんは私にとっての事実だ。夜の学校で、そして闇の世界から助けてくれたとき握った手の温かさは、今でもはっきりと覚えている。

けれどいま私の空想の中にいる死神ルックで妖しげに笑い、『よく私の正体に気がついたな、楓』とのたまう神隠さんが、単なる私の妄想であると切り捨てられないのもまた事実だ。


「あーもう、なんで言いそうなんだろ……」


 否定しようとすればするほど、私の大切な友達であり命の恩人であるはずの神隠さんは、底知れぬ妖しさを身にまとったカミカクシアオイという正体不明の少女になっていく。あの魔力を持つような瞳が、突然目の前に現れた正体不明さが、神隠さんが死神であるという私のくだらない妄想を補強していく。


「アイラ、神隠葵という生徒は五年二組に在籍しているんだよね?」

『はい。神隠葵は、七陣小学校五年二組の生徒です』

「他に情報は?」

『申し訳ありません。他にお教えする情報はございません』


 以前とそっくりそのまま同じ回答だ。

 あの時も疑問に感じた。けれど今は、この無機質すぎる回答がまるで現在抱えている疑問への回答そのもののように感じてしまう。


「じゃ、じゃあ質問を変えるね。神隠葵は図書委員?」

『いいえ、神隠葵は図書委員ではありません』

「……っ!」


 その答えを聞いた瞬間、私の中の神隠さんが再びカミカクシアオイという未知の存在へと変化していく。それは先ほどと同じく黒いローブに大鎌の死神ルックであることには変わりないけれど、顔だけは違う。その顔は単なる闇だ。底知れない闇。そしてその闇が割れるように、裂け目のような口が不気味にニヤリと笑う。


「大丈夫。神隠さんは死神なんかじゃない。絶対に違う」


 タブレットをしまいベッドへ潜りこむと、そうやって自分に言い聞かせるように力強くけれども夜なので静かな声で三回唱えた。


 うん。神隠さんは絶対に死神なんかじゃない。だいたい本人に確かめればすぐにわかることだ。杉山君の話だって、和田さんの話だって、きっとなにか勘違いに違いない。この数日学校で見かけない神隠さんは、きっと風邪でもひいて寝込んでいるんだろう。そうに違いない。


 そんなことを必死に考えながら、頭の中のネガティブなイメージを追い出していたから、結局その晩はほとんど眠ることができなかった。



☆☆☆☆☆



「楓、遅刻するわよー」

「はーい、今行くー!」


 眠れなくても朝は来る。学校に行かなきゃ。ずる休みなんてしたら、お母さんがカンカンだ。私は重いまぶたをこすりながら、登校の準備を急ぐ。


「もう、せっかく新しい校舎なのに~」

「お母さん、新校舎になってもう十年だよ」

「でもいいじゃないの。お母さんの頃の七陣小なんて、トイレはお化けが出そうだし、図書室に死神がいるなんて噂もあったんだから」


 図書室に死神か。そのことで頭を悩ませているんだけどな。


「……待って、お母さんって七陣小出身だよね?」

「何度も話したでしょ。大先輩の卒業生を敬いなさい」

「さっき話してた図書室の死神の事で詳しいこと知らない?」

「うーん、詳しくは知らないかな。でも当時の図書室って西日がすごくて、夕方になると真っ赤に染まって怖かったんだから。そりゃ死神も出るわって感じ」

「夕方になると真っ赤に……」


 私は神隠さんと出会った放課後を思い出す。あれは図書委員の当番も終わろうという時間の夕方だった。夕日に照らされて鮮やかに輝く彼女の綺麗な黒髪が、私の脳裏に強い印象を残している。


やっぱり神隠さんは有力な死神候補――いや、私はなにかすごい記憶違いをしている気がする。なんだろう? 思い出せ楓。あの日私は、夕日に照らされた神隠さんをどこで見た?  彼女と出会った図書室? いや、あれは――。


「ありがとうお母さん、行ってきまーす!」


 そうか、そうだ! ある事に気がついた私は、お母さんの行ってらっしゃいも聞かずに走り出す。今は一分一秒でも早く学校に行きたい。

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