第16話 暗い闇の中で

 ……暗い。真っ暗だ。黒。黒。黒。どうして私はここにいるんだろう……?

 そうだ。私は杏ちゃんを助けるために階段に食べられて……。つまりここがアルバムに書いてあった異世界。なるほど。神隠さんの言う通り、私の知るファンタジーな異世界とはまるで違う。一言で言えば闇だ。月明かりの無い闇。自分が今どっちを向いているのかすらわからない、そんな闇。


 こんな空間に囚われて、杏ちゃんはきっと心細そうにしているはずだ。早く助けてあげないと。私は自分の腰のあたりを触る。……うん、大丈夫。紐の感触はしっかりとある。これさえあれば帰れるはずだ。


「杏ちゃーん!」


 暗闇に呼びかける。返事はない。杏ちゃん、どこにいるんだろう?


「杏ちゃーんっ!」


 もう一度精いっぱいの叫び声をあげるけれど、返事はない。この普通じゃない空間は、普通に呼びかけてもダメな気がする。じゃあどうすればいいんだろう?


 思い出せ。思い出せ楓。きっと何かあるはずだ。今まで散々不思議な事件を解決してきたじゃないか。だから今回だってきっと解決する方法があるはずだ。その時、ふいに神隠さんの言葉が思い出された。


『言霊の力』


 この空間だと声を出すくらいしかやれることはない。良いことを言えば良くなり、悪いことを言えば悪くなる。そんな言葉に宿る力を信じるしかない。


「杏ちゃーん! 助けに来たよ杏ちゃーん!」


 諦めちゃだめだ。強く想うんだ。心の底から杏ちゃんを助けたいと。大丈夫きっと届く。私の声はこんな闇なんか突き抜けて、杏ちゃんの下まできっと届く。


「杏ちゃん私にバスケを教えてよ。落ち武者の……なにさんだっけ? ああそうだ何とか左衛門さん! 何とか左衛門さんにとり憑かれた時、私思ったんだ。バスケも結構楽しんだなって。杏ちゃんからスポーツに誘われた時、私断ってばかりだったけれど、私もやってみたいと思ったんだ。だから私に教えてよ。正直ドリブルも怪しいから、杏ちゃんに教えてもらわないと私なにもできないよ。だから返事をして、杏ちゃーん!」


 大丈夫。届いている。私の声はきっと届いている。そう想いながら、信じながら私は叫ぶ。叫び続ける。喉が枯れるまで叫んでやる。喉が枯れたって叫んでやる。


「杏ちゃーん!」

「バスケをしたいなら、まずパスとドリブルの練習やな」


 暗闇の中、私に触れるものがあった。そして聞きなれた声。暗いけれどわかる。杏ちゃんだ。私が探し求めた杏ちゃんだ。


「杏ちゃん、どうやってここまで?」

「なんか楓の声聞こえるなあ思って、あとはバタ足みたいに身体動かしよったら近づけたっぽいわ。ところで楓はどうしてここにおるん? まさかあんたも飲み込まれたん?」

「いや、助けにきたんだよ! 杏ちゃんが鬼ごっこ中にいなくなったて聞いて!」

「そうやったんか。ありがとう。きっと助けに来てくれると思っとったわ」


 良かった。本当に。そうだ、忘れていることがあった。


「ねえ、松山先生見なかった? どうも先生もここに閉じ込められているっぽいんだよね」

「松山? それってあの水泳とくいなごっつい先生か?」

「そうそう、その松山先生」


 困った。松山先生について私が知っていることは水泳が得意だということくらいだ。杏ちゃんみたいに全力で叫んで見つかるものだろうか?


「じゃあこれが松山先生なんかな?」


 そう言って杏ちゃんは、私の手に何かを触れさせてくる。それはたぶん筋肉質な男の人の身体だ。


「え、杏ちゃんこれ……って言ったら失礼か。この人どうしたの?」

「いや、ここに来てすぐの時でたらめに体を動かしよったらぶつかったんや。ほんで気絶しとるみたいで動かんけど、どうにも人っぽいし持ってきたわ」


 なんか扱いがどこまでも物っぽいけれど、この筋肉は確かに松山先生だと思う。意識はないけれど呼吸はしている。けれど先生がここに閉じ込められたのは三日前。体調が心配だし、早くここから出した方がいいに決まっている。


「よし、早く出よう」

「出るって、どうするんや?」

「身体に紐を結び付けてあるんだ。その先は神隠さんが持っているし、これをたどれば帰れると思う」

「おお、じゃあ早よ帰ろうや」


 私は自分の身体に巻き付いている紐を持つと、何度か引っ張ってみる。さっきまではあった感触がない。まさか――。真っ白になりそうな頭をどうにか働かせ、紐をぐいぐい手繰り寄せる。


「嘘……紐が切れてる……」

「そんな! じゃあどうやって帰ればいいんや!?」


 ミイラ取りがミイラになるとはこのことだ。まさしく頼みの綱が切れた以上、私にできることはなにもない。


「――!」


 そんな時、声が響いた気がした。


「――で! ――ん!」

「ねえ、今の聞こえた?」

「ああ、誰かの声やな」


 その声はだんだん大きくなり、やがてはっきりと聞こえるようになる。


「楓! 杏!」

「神隠さんだ!」

「楓がうちを呼んでくれた時と同じかんじや。あっちの方やな」


 私たちは声のする方へ懸命にバタ足をする。暗闇の中、どんどん近づいていく手ごたえがある。そして声のする方に、一筋の光が見えた。


「楓! 杏!」


 そしてそこから二本の腕が伸びる。暗闇を懸命に泳ぐ私たちは、ついにその腕を掴んだ。


「はあ、はあ、ありがとう神隠さん」


 夕焼けが目を差す。ここは元の世界だ。周囲を見渡すと、同じように疲れ切っている杏ちゃんに眠っている松山先生。そして――ボロボロ泣いている神隠さんだ。


「紐が切れて、私の考えが本当に浅はかだと思い知って、二人が心配で……! 良かった。二人とも助かって本当に良かった……!」

「あはは、そんな泣くなや。二人が呼んでくれたからうちは助かったんや。あんたら二人ともうちの大切な親友や」

「うん、そうだよ神隠さん。助けてくれてありがとう。神隠さんがいなかったら、杏ちゃんを助ける事ができなかったよ」

「ううっ、二人とも……!」


 大変だったけれど杏ちゃんも松山先生も助けられたし、神隠さんの意外な顔も見られたし、苦労した甲斐があったな。私はそう心の中でひっそりと思った。

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