第14話 雨の放課後

 花子さんが流れていく前に、ひとつだけ気になることを質問した。


『あ、最後に一つ聞きたいんだけど』

『なにかしら?』

『最近急に活動しだしたのってなんで?』


 トイレの花子さんは、ずっと前からこの学校にいたはずだ。それこそあの卒業アルバムが作られた時から。


 そして新校舎に建て替えられて、トイレが綺麗になったのは十年前。だとしたら、もう何年も前から存在をアピールするために活動してもいいはずだ。


 実際私はトイレの花子さんの話を知っていたけれど、それは一般的な話であって、七陣小の噂としてではない。つまり、少なくとも私が入学したころにはトイレの花子さんの七不思議は忘れ去られてしまっていたということだ。


『うーん、なんか四月くらいに力がみなぎる感じがあって、それでかな』

『力がみなぎる感じ? それってどういうこと?』

『こう、ぐわーっみたいな』


 ぐわーっ?


『まあとにかく、ついにこの日が来た! みたいな感じよ。それこそこの数十年、感じたことない活力ね。まるで私の全盛期、昭和のような』


 という、まるで要領を得ない答えだった。以上回想終わり。

 まるで昭和と言われても、昭和生まれじゃない私にはどうにもピンとこない。


 そんなわけで、トイレの花子さんは海の彼方へと流れていき、七陣小を騒がせた女子トイレの事件は解決した。そして季節は移り、そろそろ梅雨の時期だ。


「ほんと、梅雨って憂鬱やな……」

「杏ちゃんは特にそう思うかもしれないね」

「ほんとにそうや! 外で野球やサッカーができんし、体育館開放日もいっぱいになるからバスケもなかなかできんし」


 スポーツ命な快活少女の杏ちゃんにとって、この季節は致命的に相性が悪いみたいだ。毎年梅雨がくると恨めしい表情で雨雲を睨んでいる。そんな教室に何人かの男子生徒が入ってきた。


「おい有原、校舎の中で鬼ごっこしようぜ!」

「よっしゃ、うちにかなうと思うなよ! 楓はどうする?」

「あ、パスで」

「そうか! ならまた明日な!」


 そう言って杏ちゃんは、ワンちゃんのように元気に走り去っていった。

 校舎で鬼ごっことか、杏ちゃんには悪いけれど低学年っぽい。というかすぐに先生に怒られそうだ。それにこの間の大鏡の鬼との地獄の鬼ごっこを思い出して、ちょっと怖い。杏ちゃんはもう忘れちゃったのかな?


「さてと」


 窓から外を見ると、まだ雨はドサドサと降りやまない雰囲気。たしか夕方くらいには雨脚は弱くなると言っていたから、どこかで時間をつぶそうか。そう考えた私の足は、図書室の方に向いていた。


 別に読書家というわけではないけれど、晴耕雨読という四字熟語があることだし、雨の日は読書で間違いないだろう。いや、別に晴れた日に畑を耕しているわけじゃないんだけれどね。


「おや、楓も読書かな?」


 図書室に行くと、いつもの片隅に神隠さんが座っていた。


「うん、まあね。外は大雨だし」

「晴耕雨読というやつだね。かくいう私もその口でね。本はいいね、いろいろな経験を得ることができる。部屋にいながらにして、世界を知ることができる」


 そう語る神隠さんの手元には、漢字だらけの難しいタイトルが書かれた辞書の様な分厚い本が開いている。本当に小学生向けの本だろうかと疑問に思うけれど、渡辺綱とか難しい事を沢山知っているし、きっとこんな感じの本を沢山読んでいるんだろうな。それをふまえてさっきの言葉を考えると、彼女が持つ本の様にとても重厚に感じる。


「神隠さんは読書が好きなんだね」

「ああ。本は読んどけと、昔の偉い人も言っていた気がする」

「なんか急に話が薄っぺらくなった気がするな」


 私は特に本が好きだから図書委員になったというわけじゃないけれど、きっと神隠さんは本が好きだからなんだろう。


「あっ、近藤! 有原見なかったか?」


 そんな言葉を背中からかけてきたのは、クラスの男子生徒だ。名前は古川君で、確かさっき杏ちゃんを鬼ごっこに誘った一人だ。


「杏ちゃん? いいや、見てないけど」

「そうか……」

「杏ちゃんがどうかしたの?」

「それが……どこにもいないんだ!」


 ひどく深刻そうな雰囲気で古川君はそう叫んだ。


「どこにもいない? 鬼ごっこしているんだし、ただ逃げているだけじゃなくて?」

「いや、手分けして探してんだけど、どこにも見当たらないんだ。カバンは置いたままだから、帰ってねえとは思うんだけど」


 杏ちゃんは遊んでいる途中で何も言わずに帰るような子じゃない。そして鬼ごっこの最中に隠れるなんてズルっぽい手は使わない。

 正面から戦って逃げ切る。意味はわからないけれど”パンサラッサの杏”を自称する。有原杏はそういう女の子だ。


 そしてそれは目の前の古川君も当然知っているわけで、心配になるのも無理はない。けれど彼の必死さは、それだけが理由じゃない気がする。


「そんなに青い顔をして、なにか理由があるの?」

「……近藤は松山って教員知ってるか?」

「うん、知ってるよ」


 水泳が得意ながっちりした先生だ。確か二年生の担任だったはずだ。


「俺の弟の担任なんだけど、もう二日も無断欠勤しているらしいぜ」

「え、勝手にお休みしてるってこと? 事故にでもあったんじゃ」

「いいや違うんだ。松山は三日前、学校で急に消えて連絡がとれないって噂なんだ。……じゃあな近藤。有原を見かけたら教えてくれよ」


 それだけ言い残して、古川君は去ってしまった。

 後に残ったのは、言い表せない不安だけだ。


「ねえ、神隠さん!」

「うん、これは七不思議が関係しているかもしれないね」

「七不思議が!?」

「そう、七陣小七不思議その六、“人食い階段”がね」

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