第7話 夜の学校

 神隠さんお手製の美味しいサンドイッチを食べて、夜は更けていく。明かりを消して司書室に隠れ、先生たちが完全に帰ってしまうのを待つ。時刻は夜の八時。窓から外を見れば、綺麗な満月が夜空を照らしている。


「そろそろ行こうか。宿直の先生の見回りルートと時間は調べてあるけど、できるだけ静かにね」


 先頭を歩く神隠さんは、やっぱり準備がいい。長くて綺麗な黒髪が夜の闇に溶けてしまいそうな彼女は、月明かりしかない廊下も気にせずすいすいと進んでいく。


「うわあ、夜の学校ってやっぱり不気味やね」


 快活スポーツ少女の杏ちゃんは、さすがに怖さもあるのかいつもより少し静かだ。不安そうにあたりを見渡している。そして私は――。


「楓、大丈夫?」

「ダ、ダイジョーブダイジョーブ。ヘイキダヨ、カミカクシサン」

「うん、大丈夫じゃなさそうだね」


 はい、だいじょばないです。初めて歩く夜の学校は、恐ろしく不気味だ。静まりきった廊下、誰もいない教室、月明かりで薄暗く光る手洗い場。そのどれもが私に恐怖を与える。いつもは何気なく歩いている校舎が、今は見慣れないダンジョンだ。一歩前に進だけでも、とんでもない勇気が必要になる。


「ゴ、ゴメンネ、ジツハスッゴクコワクテサ」

「怖いのはみんな一緒だから、心配しなくていいよ」


 いや、杏ちゃんはともかく、神隠さんは少しも怖がってないでしょ。それに比べて私の身体は恐怖にすくんでガクガクと震えているし声だってそうだ。そんな私を見て神隠さんは「仕方ないな」とつぶやくと、私の方へと近づいてくる。そして私の右手が温もりに包まれた。


「震え、とまったね」

「う、うん……」


 ギュッと握られた右手から、神隠さんの熱を感じる。それは恐怖で凍り付いてしまった私の身体を溶かしていく。代わりに感じるのは安心。


「もう怖くないでしょ?」


 さっきまでとは景色の見え方がまるで違う。月明かりに照らされた誰もいない教室は、まるで静かな森のよう。静まり返った廊下は、夜の浜辺だ。けれどやっぱり、少し怖い。そんな心を見透かしてか、神隠さんは手を握ったまま私を導くように歩き出す。まるで暗闇の中ではぐれてしまわないように。


「あっ、ずるいやん。楓、うちとも手をつなごうや」


 そんな事を言いながら、杏ちゃんは私の左手をギュッと握りしめてくれる。今度こそ恐怖は和らいだ。目指す三階の渡り廊下は、もうすぐそこだ。



 ☆☆☆☆☆



「これが“満月の大鏡”なんだよね?」

「そうだと思うよ」


 何の変哲もない校舎をつなぐ渡り廊下。その壁に掛けられた、存在感を放つ物。それが大鏡だ。私の背丈ほどもあるそれは豪華なヨーロッパ風の額縁で、いかにも高価そうな雰囲気だ。入学してすぐの頃、この鏡の近くで遊んじゃだめだと先生に言われたことを思い出す。


「なんでこんなに立派な鏡が、渡り廊下なんかに掛かっているんだろうね?」

「この卒業アルバムが作られた頃は、職員室の横にあったみたいだよ。改築して置き場所がなくなったから、ここに移動させたんじゃないかな?」

「そうなんだ」


 確かにこれは校長室とか応接室とか、そのあたりにあった方が相応しい見た目だ。今までは何も思わずに通り過ぎていたけれど、恐ろしい七不思議に関係すると知った今は、何か怪しげな魔力を放っているように感じる。


「ねえねえ葵、これってなんか呪文を唱える必要とかあるん?」

「いいや。そんな事は書かれていないから、ただ見ればいいんじゃないかな?」

「ふーん、ただ見るねえ」


 大きな鏡に映るのは、私たち三人。暗闇に目が慣れた今、電気をつけなくても月明かりだけで十分よく見える。のぞき込んでみても、特に異常は見当たらない。


「なんも起こらんやんけ。どうする? また悪口でも言った方がいい?」

「そんな、二宮金次郎じゃないんだから……」


 雑談をしながらも鏡を見続ける。相変わらず鏡には、私たち三人が映っている。ただその影が、ゆらりと揺らいだ気がした。


 鏡の中の揺らぎはどんどん大きくなっていく。それは池に石を落としたように、大きな波紋となって広がっていく。そしてそれが治まった時、ある変化があった。


「――角!?」


 鏡の中の私の頭に、牛の様な二本の角が生えている。慌てて頭を押さえるけれど、何かに触れる感触はない。本当に生えているわけじゃないみたいだ。


「へえ、不思議だねえ」

「うわっ、どうなっとんのやこれ!?」


 隣を見ると神隠さんも杏ちゃんも、同じように自分の頭をペタペタと触っている。この現象はたぶん前触れだ。七不思議の通りなら、次に起こるのは――。


「うわっ、出た!」


 警戒して大鏡を見続けていると、赤くて野太い腕がぬっと大鏡から伸びてくる。きっと七不思議にあった、鏡の世界から出てくる鬼だ。腕の次は頭と上半身、そして足が出現する。


 牛の角、ギラギラと光る眼に凶悪に伸びる牙。その身体は赤黒くて、私たちの倍はあるかのような身長だ。右腕には太い金棒を持っていて、これで殴られたら痛いじゃすまない。


「えーっと、そうだ! 鬼の怖がる物! 豆!」

「そうだよ、豆! 大豆!」


 鬼と言えば節分。豆まきだ。だから私と杏ちゃんは、一生懸命に豆と叫ぶ。


「ウガアアアアッ!!!」

「ど、どうして効かないの……!?」


 けれど鬼は、私たちの言葉にまるで恐れることなく雄叫びをあげる。

 どうしよう。このままじゃ食べられちゃう。こうなったら――。


「逃げろおおおおっ!!!」


 そう杏ちゃんが叫ぶのか走り出したのが先だったか、私たちは一目散に逃げだした。

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