第2話 その壱、”夕暮れに鳴るピアノ”

 夕日に照らされている廊下を、神隠さんを追って歩く。図書委員の当番を終えた私たちは、さっそく一つ目の七不思議を確認しに向かっていた。人気のない放課後の廊下は、それだけで独特の不気味さがある。


「ねえ、神隠さん。私にもその卒業アルバム見せてよ」

「だーめ。ネタバレ見てもつまんないでしょ?」


 七不思議が書いてある古いアルバムは、神隠さんの腕の中だ。私はこの七陣小に七不思議があるなんて初めて聞いたし、これからどんな恐怖体験をする予定かわからない。でもこの方向、たぶん場所は――。


「さあ、着いたよ」

「音楽室……」


 到着したのは校舎四階の一番奥。音楽室だ。


「ここに七不思議があるの?」

「そう。七陣小七不思議その壱、“夕暮れに鳴るピアノ”だね。記事にはこう書いてある。『夕暮れの音楽室。誰もいないのに、ピアノの音が鳴り響く。それは事故死したある女子生徒の霊が、成仏できずに引いているのだ』だってさ」


 い、いきなり幽霊。そういえばやたら古いピアノが音楽室にあった!

 いやでもこういう怪談話って、事実を大げさに言ったものが多いのだ。たぶん放課後誰かがピアノの練習をしていたのを聞いて思いついた話に違いない。きっとそうだ。


「ピアノの音、聞こえないね」

「うん、聞こえないね」


 大丈夫。ピアノの音は聞こえてこない。だいたい神隠さんが持つアルバムは随分と古いみたいだし、仮に幽霊がいたとしても既に成仏しているかもしれない。だからもう満足だよね? 帰ろ――っ!?


 ――ポーンと、ピアノの音が夕暮れの廊下に響いた。


「ピアノ、鳴ったね」


 神隠さんは、そう言ってニヤリと笑う。

 そしてポーンと、次の音が鳴った。それは私が恐怖に震えている間も続き、音の間隔はだんだんと短くなりやがてはリズムになる。曲名はわからないけれど、聞いたことある曲だ。


「モーツァルト、かな?」

「へえ、そうなんだ……じゃなくて帰ろう? ねえ、帰ろうよ!」

「帰る? どうして? 面白くなってきたじゃない」


 そう言いながら、神隠さんの左手は既に音楽室の扉に伸びている。私は心の中で鍵がかかっているよう祈るも、願いは届かず無情にも扉はガラガラと音をたてて開いていく。


 ぎゅっと、神隠さんの右手が私の手をつかみ、音楽室へと引き込んだ。なおも鳴り響くモーツァルトの曲。怖くて閉じた瞳をゆっくりと開くと、眼前には年代物ピアノがあった。


(――♪ ――♪)


 そして、それを奏でているのは生徒ではなく大人の女性だ。……ただし、その身体は淡く半透明に透き通っていて、夕暮れの真っ赤な日差しが突き抜けている。間違いない。幽霊だ。


「……!」


 思わず悲鳴をあげそうになった私の唇を、神隠さんの指が塞いだ。


(なにするの!?)

(まあ待って、静かに)


 夕暮れの音楽室。なおも幽霊によって奏でられるのは、モーツァルトだという曲。異常な状況だ。今すぐ逃げ出したい。けれど幽霊を見つめる神隠さんの、力強い瞳が私にそうさせない。


 だから私もなんとか平静を保とうとする。呼吸を整える。気持ちを落ち着かせると、聞こえてくる楽曲の美しさに気づく。私はピアノをそんなに聞くわけじゃないけど、この女の人――いや幽霊、すごく上手いのだと理解できる。


 そして時に力強く、時に繊細に奏でられたその楽曲はフィナーレを迎えた。それを待っていたかのように、拍手の音が巻き起こる。神隠さんだ。

 私もそれにつられて思わず拍手をしてしまう。良い演奏じゃなかったかと言えば嘘になる。弾いていたのは幽霊だけど。


「美しい音色だね」


 話しかけられた幽霊さんの方は少し驚いたような顔をし、笑みを浮かべて口を開く。涼やかな声だ。


『ありがとう』


 すごい。幽霊と会話している人初めて見た。いや、そもそも幽霊を見たのが初めてか。あまりの事態に混乱しているな、私。


「あなたは幽霊?」

『ええ。あなたは私を怖がらないのね?』

「ただピアノを演奏しているだけの人を、怖がる理由はないでしょう?」

『そうなのかしら? ……隣の子はそうでもないみたいだけど』


 ええ、はい。すごく怖いです。だから現実逃避をするように、目の前のお姉さんを生きていると思い込んで話しかける。


「あの……、お姉さんは昔事故死した生徒さんなんですか?」

『いいえ、違うわ。そもそもこの小学校の卒業生でもないし』

「違うんですか!? えーっとじゃあ、なんで七陣小の音楽室に?」


 幽霊って、自分の思い入れの深い場所に現れるとかじゃないの? そんな疑問をぶつけると、お姉さんは沈みゆく夕日を眺めながら、ポツリポツリと語りだす。


『私は大学で音楽の勉強をしていたの。家ではいつもこのピアノで練習。いつか素敵な音楽家になるのが夢だった。でも私は、ある病気になったわ。最後はピアノが弾けないくらい弱ってしまって、それでもピアノが弾きたくて……』

「お姉さん……」

『私が死んでしばらくしてから、両親はこのピアノをこの学校に寄贈したわ。両親はピアノを弾けないし、弾いてもらえる方がきっとあの子も喜ぶだろうって』


 そうだったんだ。私はこのピアノの事を、単なる古びたピアノとしか思っていなかった。でもこんなにも想いがこもっていたんだ。


『でも幽霊がピアノを弾くなんて怖いわよね。私って、そろそろ成仏した方が良いのかな?』

「え、いや……」


 神隠さんも別に除霊をしにきたわけじゃないと思う。けれどお姉さんはこのままでいいのかな? 成仏とかさせてあげるべきかな? そんな事を考えながら、沈黙している神隠さんをうかがった。


「え? 別にこのままでいいんじゃない?」


 それが当然の答えだと証明するように、神隠葵さんは自然に答えた。


「私は単に七不思議が本当か確かめたかっただけだし、別に人を呪っているわけじゃないんでしょ?」

『え、ええ……』

「じゃあ良いでしょ。生きていようが、死んでいようが、ピアノを弾きたいなら弾けばいいい。そうでしょ? よし、これで解決。楓、そろそろ帰ろうか。じゃあねお姉さん、また演奏聞かせてね」


 すこしあっけにとられたようなお姉さんを残して、私たちは夕暮れの音楽室を後にする。でも確かに神隠さんの言う通りだ。したいのなら、すればいい。お姉さんのピアノの音色はなんら不快ではなく、むしろ心地良いのだから――。

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