第13話

「はぁっ、はあっ、リヴィ、どこだ……っ?!」


雨の降る暗がりの町は人がないかのような錯覚に落ちるほど静寂で満ちていた。その世界を支配する雨音の中に魔法少女の姿を探して走り回る僕はすっかりずぶぬれになっていた。


「ふう……適当に走り回って探してたんじゃ埒が明かない…目星…!!」


でも僕はリヴィについて詳しいわけではない。あんな状態の彼女がどこに行きそうかなんて皆目見当もつかない。どうすればっ、


にゃーん。


「あ、黒猫…」


リヴィの傍らにいつもいる黒猫が僕を見上げて鳴いていた。雨に濡れるのも気にした様子はなく、くるりと立ち上がって数歩歩き、僕を振り向く。


「ついて来いってこと?」


……まさかリヴィのいる場所まで?降りしきる雨の中、ぱしゃぱしゃと水たまりを行く黒猫を追いかけた。





「あ……いた……!!」


リヴィは強い雨も気にしない様子で、以前会った公園の滑り台遊具に膝を抱え込んで座っていた。パーカーのフードは脱げて、艶やかな黒髪が水を滴らせている様子が遠目にも見える。


黒猫が、道案内は済ませたと言う気に鳴いてブランコの座面に飛び乗った。知的すぎないか、あの黒猫。


僕のことに気付いているだろうに顔をあげないリヴィへ近寄る。


「リヴィ」


返事はない。僕らの間に雨粒だけが通っていく。僕の声は通らないのに。そう雨粒にさえ何故か嫉妬しながらもう一歩近寄った。


「リヴィ」

「近寄らないで、ほしいかし、ら」


リヴィがゆらりと滑り台の上で立ち上がる。手には魔法ステッキ。魔法少女の言う通りに近づくのをやめてリヴィを見上げる。


僕の予想が当たっているのなら、この子は。


「リヴィ。起きよう。夢から覚めよう。君は、黒か——」

「違う!!!!!」


リヴィが俯いたまま噛みつくように叫んだ。ステッキの先端を僕に突き付ける。さっきのように喉に当たっているわけではないのに、それ以上に圧があって動けない。


魔法少女がそのピンクの双眸を夢現に曇らせながら叫ぶ。


「リヴィは!!魔法少女リヴィなの!!起きたら魔法なんてなくなる。夢から目覚めたら魔法は悪夢に変わる。誰かを救える幸せが誰かを傷つける不幸に変わる!!!そんなのリヴィは絶対に認めない!!!!!!」


やっぱり。あの日この場所で言っていたような言葉を叫ぶリヴィに、僕は自分の予想が当たっていたことを察する。


魔法は奇跡が意のままに起こる幸福で、悪夢は自身の意思など関係なく自他を巻き込む不幸。不幸を必要以上に恐れて幸せを離すまいとするその必死な姿勢。


それは、不幸体質の少女を連想させる。


目の前で必死に『魔法』に縋りつくこの少女こそ。


「黒川零さん。夜明けはとっくに過ぎてるよ」

「黒川零じゃない。リヴィかしら」


ギッと僕を睨んでそう言う魔法少女のステッキは震えている。


「いいや、リヴィは黒川さんだよ。そうだよね?じゃないとどうして黒川さんの名前を知ってるの?」

「ユオが缶を放り投げて女子たちに話しかけていたのを見てたからなのよ」

「僕もあの二人の女子も、黒川零のことは黒川さんって呼んでた。君が零っていう名前まで知っているのはそれじゃおかしいよ」

「ッ」


唇を噛むリヴィのステッキを握る手は、力を強く入れすぎているせいで白くなっている。そのせいでステッキも震えっぱなしだ。そこまで認めたくないのだろうか。それとも、そこまでのか。


「ね、起きようよ。リヴィ」

「ユオに何がわかるの?!私が自分で望んでやってることじゃないのに!!世界がお前は嫌われてろって、お前は存在しちゃいけないんだって言うみたいに私と周りを不幸にしていく!!」


ザア、と降りしきる雨音が強まる。


「どんどん不幸は薄まるどころか濃くなっていって!!そんな私と仲良くしてくれる子なんていなくて!!何とか上がった高校で交通事故に遭って!!」


リヴィがステッキをくるりと回す。雨が目を開けていられないほどに勢いを増した。まさか、この雨はリヴィが?


「終わったって思った。もう私は誰かと笑いあうことなく死ぬんだって思った。でも、私は死ななくて。不幸体質は消えてて。あるのは幸せばっかりで」


魔法少女が、諦めたように微笑んだ。


「誰だってわかるのよ。……リヴィは夢を見ているもの。だから自分に都合のいいことばっかりなんだ」


だから魔法少女は今日も夢を見る。そう自分を錯覚させる。起きてしまったら、この幸せな夢ははかなく消えるから。不幸な毎日に戻りたくないから。


それは、少しだけ僕に重なるものがあった。自分を、周りを勝手に「ありふれた」ものに当てはめて。錯覚して。「ありふれた」ものなんて世界を、星を、宇宙を見回したってないのに。


「ごめん、僕は不幸体質のせいで君が味わってきた苦痛は分からない」

「ならッ」

「でも、程度は分からなくたってつらいのは伝わってきてる。しんどかったよね。みんなと仲良くしたいだけなのに、そのみんなを自分じゃない自分が傷つけて」

「………」


リヴィが魔法ステッキを下げる。ピンクの星空は揺れ動く。


「これは夢なんだ、って自分に言い聞かせてしまわないといけないくらい辛かったんだよね。だからこの夢は、永遠に見ていたいって思えるくらい、魅力的だったんだよね」


リヴィが滑り台の上からふわりと雨や重力を感じさせない動きで飛び降りる。


「その夢は、いつも俯いて塞ぎ込んでいた現実とは違ってきらきら輝いてて。楽しくて。いいな、そんな夢なら僕も一緒にリヴィと見てみたいな」


立ち尽くして壊れた人形のように不自然に目を見開いて固まってしまった魔法少女をそっと抱きしめる。かき消えてしまいそうなほど不安定な、おぼろげな存在、だけど。


「大丈夫。黒川さんが見ていた現実だって、きらきらで溢れてるんだよ。締め出していただけで、たくさん幸せはあるんだよ」

「……そんなの、ない。都合のいい、でまかせ、なのよ」

「ほんとだよ。僕はきらきらを見つけるちょっとした名人だからね。きらきら探しには自信があるよ?」

「……ほんとう?うそじゃない?」

「嘘じゃないよ。なんなら、僕と一緒にきらきら探しをしよう。夢から覚めて、一緒に」

「…起きたら、リヴィは魔法少女じゃなくなるのよ。不幸な疫病神に成り下がる」

「そんなことない。言ったでしょ?君は夢を見ているって錯覚してるだけなんだ。君が今見ている景色は、夢っていうフィルターをかけただけの現実だよ。だから大丈夫」

「……リヴィはもう、不幸に怯えなくてもいい?夢の中で一人、くるくる踊らなくてもいい?」

「当然。起きて、一緒にお月様を近くで見に行こう。屋上で二人でくるくる踊ろう」

「………………そっか」


魔法ステッキが魔法少女の手から滑り落ちる。安心できたように、少女がもう一度呟いた。


「そっかぁ」


雨が降る僕の腕の中で、少女は長い間見ていた夢を振り返るように目を閉じていた。

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