第10話
結局、あの後リヴィはすぐにどこかへと行ってしまって、日が落ちるまで探したものの会うことはできなかった。
にゃんちゃんはどうなったの、と心配していたお母さんには、猫の飼い主と運よく遭遇できたから返してきたよ、と説明した。その後執筆に集中するなんて到底できずにさっさと布団に潜り込んで目を閉じた。
そして今日、もやもやとした気持ちを抱えて登校する。昨日はリヴィが言っていたことが気になってよく眠れなかった。
『リヴィが起きたら魔法は悪夢になる』。
どういう意味だったんだろうか。ロマンチストは詩的でとっても素敵だけど、比喩表現はなぞなぞのようでよく分からない。
頭を悩ませていると、校門をくぐったところでドンっと背中を叩かれた。こんなことをしてくる友人は、悲しいかな、一人しかいないのでくるりとふり向く。
「おっす白明!」
「おはよう新田。朝練お疲れ様」
制服ではなく藍色の部活の服を着ている新田。朝練もあるらしい。さすが運動部、ハードだ。
「おう!!で、で、さっそくなんだけどテニス部の女子で黒川のこと知ってる奴いたぞ」
「えマジ?!!」
「マジマジ。去年クラスが一緒だったらしい」
ポカン、と校門近くで突っ立つ僕の背中を押しながら新田が手に持っていたラケットケースを背中に引っ掛けた。
「去年の冬頃、下校中に交通事故にあってそれっきりなんだと。いつも暗い顔をしてて、仲良くなろうと黒川と一緒にいたやつが色々と散々な目にあったとか。で、そしたら黒川本人が、私は【不幸体質】だから仲良くしないでいいし一緒にいないでいい、って言ったらしいぜ」
不幸体質。不幸が降りりかかる体質。悪夢のような。……どこかで、聞いたような。
「漢文の読み取りは暗記が必要です。何故かというと、直訳しただけでは現代語訳にできないものがあり——…」
言語文化の授業でぼんやりと板書を書き写しながら考え込む。新田が朝教えてくれた、不幸体質の不登校生黒川零。それがなんだか引っかかる。どのワードが引っかかった?どんな風に?どうして?うんうんと悩んでも分からない。それどころかどんどん迷走していっているような気がする。
「白明さん、問題二の現代語訳をどうぞ」
「へぁっ」
とりあえず考えても逆効果なら今は授業に集中しよう。
「はー…もう駄目だ……」
あの後授業に集中しようとしたはいいものの気を抜けば今朝のことを考えてしまって、授業どころではなかった。ぼんやりしている僕に先生方も気付いていて、隙あらば名指しで問題を当ててくるからどの授業もドタバタしっぱなしだった。いや、集中しきれていない僕が悪いんだけど。新田にも心配されたし。しっかりしないと。
いつものように下校道を楽しみながら帰る体力も気力もなく、とぼとぼと歩く。あれだけ散々考えたのに違和感の正体は分からないまま。なんなら迷走が加速していって、すっかり霧の向こうな気がする。
「………頭がパンクしそう。休もう」
帰り道のコンビニで缶ジュースを買って、
「ウッッッ……喉いったぁぁあ……」
ちなみに僕は炭酸は飲めない派である。しゅわしゅわと音を立てる紫飲料は黒い炭酸水と並ぶ強敵だ。せめて少しは炭酸を飛ばそうと軽くゆらゆらと缶を振りながら道を見渡す。
明るい茶色の砂利道と踏み荒らされない端に生えた雑草。列をなす蟻たちと頭上の電線にとまって鳴く数羽の雀。薄く白い雲が流れる青い空。うん、やっぱり観察は楽しい。
楽し気な話し声が聞こえて顔をあげると、同じ高校の女子学生が二人、自転車を漕ぎながらこっちに向かってきていた。あの様子だと僕の目の前を通り過ぎるだろうし、しゃがみ込んでるのって気まずいよな。缶ジュースがこぼれないように立ち上がる。よいしょっと、
「今日朝練でさー、男子に黒川さんのこと聞かれたんよねー」
「え嘘マジ?」
「そー!だから不幸体質で事故ってそれっきりって言ったわ」
「あの子と一緒に去年いたけどさぁ、私も巻き込まれたもん」
………え?
自転車が通り過ぎていく際に落とした会話の内容に目を見開く。気が付けば僕は中身がまだある缶ジュースを投げだして道に飛び出していた。
「あの!!すみません!!」
「「…?」」
自転車にブレーキをかけてとまった二人は僕を見て不思議と困惑が混じった顔をした。僕はドキドキとはやる鼓動を抑えて、叫ぶように言う。
「く、黒川さんのこと…!!僕黒川さんのクラスメイトで、ご存じなら、少し教えてもらえませんか!?」
困惑していた彼女たちは、僕の制服を見て不審者ではないと判断してくれたのか、黒川さんのことを教えてくれた。一人は中学も同じだったようで詳しかった。
影が薄い、暗い子だったらしい。小柄でいつも俯いていて、顔をはっきりと見たことはないこと。休みががちでケガも多く、自傷していたのではないかという噂が中学では流れていたこと。
そして、不幸体質のこと。暗い噂が流れる黒川さんとそれでも仲良くしようとしていた人は、次々と事故にあったというのだ。ある人は体育中の設備の不具合による事故。ある人は犯罪との遭遇と巻き添え。ある人はいじめの流れ弾。ある人は急病。どの人の不幸も、近くには黒川さんがいたらしい。加害者だと蔑まれていく彼女が口にしたのは、「近づかないで」。そうして中学を卒業するころにはすっかり彼女は孤立していて、高校に上がってもそうなるのに時間はかからなかったという。
そして高校に入学して一回目の冬。黒川さんが登校中に交通事故にあったという噂が流れ、それ以降彼女の姿は見ていない。
わざわざ丁寧に教えてくれてありがとうございます、とお礼を言ってその場を後にした。考えるのは今朝の違和感ではなく、僕の隣の席の、不登校の少女。
……二年に上がっているということは、交通事故で亡くなったということはないんだろうけど。今も病室にいるんだろうか。それともそれがきっかけで学校に来なくなっただけだろうか。
ぐるぐるとそんなことを考えながら歩いていればいつの間にか家の玄関を潜っていて、自分が二つの迷路にいることにようやく気付いた。
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