約束
「でもなんで、今日八房を連れてこなかった。そっちの方が話早いのに」
「椎名、今その麻薬プラントに誘拐されちゃってるんだよね」
「なるほどな」
「なにその顔。発端はぼくじゃないよ。椎名が麻薬プラントの使者に狙われてて、ぼくはその正体を突き止めようとしてたの」
「まあいい」
広瀬は軽く俯き腕組みした。
「剣道やってた頃、オレは自分だけが正しくて他は全部間違ってると思ってた。チームメイトも全員オレより下手くそで弱かったし、足引っ張られるのはごめんだと思ってキツく当たってた。だから怪我で挫折した時、全てを奪われたような気がして何をしたら良いのかわからなくなって、反社なんか関わった」
広瀬は低い声でうなった。
「でも八房は他の奴らとは違った。ずっと剣道続けて、高校も行ってんだろ? なのに誘拐なんてな。……まあ八房についてはそんなとこだ。八房のために助けるってんなら協力するぜ」
「椎名のために助ける? そんなのするわけないじゃん!」
きららは鼻で笑う。
「椎名を助けに行くのは、椎名のためじゃなくてぼく自身のため。友達が誘拐されてぼくまで脅迫されるなんて、人生で初めての経験なんだ。このまま灰戸を追っかけ続ければ、もっと面白いものが見れそうな気がする! まだ終わってないんだ、ぼくのお楽しみは」
爛々と輝く瞳を、広瀬は睨みつけてきた。
「……てめえ、性格最悪すぎんだろ。ダチの災難で楽しんでんのか、悪人虐めて楽しんでんのか?」
広瀬はため息をついて立ち上がり、先ほど投げた灰皿を自分で拾った。
きららは閉口した。この思いをなんと説明すべきだろうか。
転校初日、中庭の水質を確かめよう、今は二階にいるから手っ取り早く飛び降りようと渡り廊下に乗り出した時、ずらりと並んだ箱詰めの教室から体格のいい男子生徒が慌てて走り出てきた。どうやらきららのことを自殺志願者だと勘違いしたらしい。マヌケな彼は不格好に肩で息をついて、必死な調子で呼びかけた。
『生きてれば絶対、面白いことがあるはずだから!』
別に自殺なんかするつもりないのに、あまりに切羽詰まった調子で言われたので吹き出してしまった。その台詞は奇しくもきららが檜山高校にやってきた理由そのものであり、命をかけてでも証明したかったことだった。だから言ってみれば一目惚れだ。
きららが「椎名は変わってる」と言うと、椎名はお前の方がよっぽどと笑っていた。けれど彼女の言葉にはもっと深い意味がある。
彼女にとって、周囲の人間は意味不明な価値観に従う存在で、世界は薄っぺらい児戯の繰り返しだった。それは例えばやらせバラエティ番組に出演する両親であり、そんな親に敷かれた人生のレール、『芸能人の娘』というだけでプライベートを侵害しまくりゴシップを書き立てるマスコミ。例えば本心では嫌いあってる癖に仲良しの振りをするクラスメイト、なまじできる勉強。容姿だけ見て告白してきては振った瞬間から憎まれ口を叩く同級生。
浅ましいと思う。容姿や噂や社会的地位のような表層的なものに信念もないまま振り回される人間ばかり。こんなに退屈な世界に死ぬまで閉じ込められると思うといてもたってもいられなくなる。だから他人から与えられる感情のすべてを拒否して、この街まで転校してきた。
椎名が事件に巻き込まれて行動を共にする事になったのはまったくの偶然だったけど、彼はきららの行動や欲望を現実的な形で適応させるための道筋を一緒に考えようとしてくれた。今どき珍しく裏表というものがなく、馬鹿な割に繊細で、他人が輝き続けられるよう本気で願っていた。広瀬の話をした時に、「そばで見てることしかできない」って軽い調子で自虐したことを覚えている。けれどそれこそが、椎名しかやろうとしなかった、椎名にしか出来ないことなのに。
色褪せた現実でも、二人で共有すれば色鮮やかなものに変わっていく。彼に出会って初めて、きららは世界に招き入れられ、そして本当の意味で孤独になった。
窮地に陥れば陥るほどわくわくするのが自分の性だが、椎名を失うのはそれこそ「つまらない」。彼が恋しい。一緒に散歩をしたかった、あの広い背中を撫でて命の温もりを抱きしめてあげたかった。もういいやって飽きるまで、ずっと一緒に遊んでいたい。たとえその日々になんの意味もないとしても。
「……椎名と約束した。必ずあいつの濡れ衣を晴らすって。探偵たるもの、謎を見捨てるわけにはいかない」
きららはぽつんとつぶやいた。
「……ぐちゃぐちゃ言ってるけどよ、お前、結局は椎名に会いたいんだろ。仲良しこよし大好きのマゾ男と自己中性悪女とでお似合いなんじゃねェの」
きららが血走った瞳で見つめると、広瀬は腕組みした。
「地元の先輩後輩は巻き込めねェが、協力したるつってんだ。先を話せや」
「キーパーソンの名前は『灰戸梓』、聞き覚えある?」
「ねェな」
「この事件に深くかかわってる『麻薬プラントの使者』だよ」
「そいつを殺せばいいのか」
「おーこわいこわい。物騒だね。個人的な恨みがあるわけじゃなし、椎名さえ帰ってくるならべつに生きててもいいよ。まぁ聞いてよ」
彼女は灰戸についても調べていた。周辺の人間を洗って気づいたのは、彼女はある日を境に檜山高校の友達のSNS投稿や公的資料に登場していないということだった。さらに図書室で高校の月刊学校だよりのアーカイブを漁ると、昨年の茶道部に灰戸は存在しなかった。周囲によると、灰戸は京都から転校してきたのだという。
「じゃあその灰戸ってやつの身元はわからないのか?」
「ノーです。調べたよ」
きららは両手の人差し指でバツ印を作った。
委任状を偽造すれば灰戸の戸籍謄本を覗くことができるが、これは当然犯罪である。そこで彼女は、インターネットの電話帳で『京都に住んでいて、灰戸という苗字を持つ人間』の住所を洗ったところ、ある孤児院の関係者がヒットした。更にその孤児院が位置する校区に絞り、『梓』という名前の子どもを調べたら、『環城梓』という子供が見つかった。
きららの双子の妹は芸能人二世タレントであり、福祉施設へも慰問に訪れていることで有名だ。そこできららは京都へ飛び、妹になりすまして灰戸のいた孤児院へ訪問した。
「収穫はあったよ」
彼女は京都の荒廃した家庭で生まれ、児童相談所に保護された後は児童養護施設に引き取られた。この孤児院に入所した際、環城梓は院長である灰戸と養子縁組を行い、『灰戸梓』として生まれ変わったようだ。
「これは数年前、灰戸の友達の携帯に保存されていた映像ファイル。他は全て灰戸自身によって徹底的に消されちゃってて、これだけしか残っていなかったんだ」
彼女の携帯の画面の隅で、幼女たちが笑いながら話している。画面に映るその映像は、VHSのようなノイズがある。幼女の片方には灰戸の面影があった。
『ほらこれ! 見て! あたしの新しい苗字、漢字で書くとこうなるんだって!』
紙には『灰戸』と引き攣った字体で書かれている。絵本から抜け出てきたような美貌とは裏腹に、彼女の字は随分縒れて歪んでいた。もう一人の幼女が目を丸くして感嘆の声を上げる。それで映像は終了した。
「この映像が何なんだよ」
「よく見て。灰戸の服もこの女の子の服もみすぼらしいし、やせ細って、施設も安っぽいよね。バックには反社がついてて、資金を中抜きしてるみたい。いわゆる貧困ビジネスってやつ……。灰戸はここに放り込まれたばっかりに、麻薬プラントなんかと繋がっちゃったんだね~」
「一緒に映ってるガキは?」
「映像が保存してあった携帯の、本来の持ち主だね。もう死んだっぽい」
きららはこともなげに言う。べつに同情しているわけではない。
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