ざっけんなよ
その日の放課後。
雨のヴェールが薄く街を包む中で、ひとりの黒セーラー服の少女が、同じく黒い無骨な傘をさして立っていた。濡れたアスファルトから湿った匂いが漂っている。
眼前にあるのは、国道から路地に入った住宅街にある古びた木造のアパートだった。周囲には紫陽花が咲き誇っている。
灰戸に脅されたきららはまず、彼女がこの街に来るきっかけになった掲示板の書き込み主を特定することにした。麻薬プラントの内部情報をダークウェブに流し、掲示板で攻撃を扇動するような相手であれば、自分達に味方してくれる可能性も高いだろう。
書き込み主のログをあさり、一致する趣味や居住地を探る。そこから足跡が一致するアカウントを候補に挙げ、電話番号を割り出し、SNSに上がっている投稿や写真を監視しアパートを特定したのだった。
事前に扉の蝶番にテープを貼っておいたので、出入りの確認は取れている。テープが切れているということは、ドアの開閉があったということだ。家主は確実にこの部屋を利用している。
裏のベランダから侵入してハンマーで窓を割ってもいいが、不法侵入よりまずは正攻法だろう。チャイムを鳴らすとあっけなくドアが開いた。女の肉体というのはこういう時に警戒されないから便利だ。きららはその一瞬でドアチェーンを緩めて侵入し、内側から鍵をかけた。
家主はきらら達とそう変わらない年頃だった。まゆが短く、目つきの悪い切れ長の一重で、精悍な顔つきをしている。細身の肉体だが脂肪が極端に少なく筋肉質で、俊敏そうな体つきをしていた。
「誰だお前」
「ぼく? 歳は十七歳で、頭がイカレてんだよね。ブラッドベリによると、この二つは切っても切れない関係にあるんだってさ」
「名前を聞いてんだよアホ」
目つきが鋭くなったかと思うと、家主は卓上に置いてあった灰皿を手にとっていきなり投げた。きららは高い声をあげてはしゃぎながらそれを避ける。
狭い部屋に緊張が張りつめる。当然ながら警戒されている。早く本題に入ったほうがいいだろう。
きららは制服の内ポケットから紙を取り出し、青年の眼前に叩きつけた。
「べつに怒っててもいいけど、話だけは聞いてよ。これ君の書き込みでしょ」
「ああ。それ書き込んだのオレ」
問いに、彼は意外にもあっさりと書き込みを認めた。
「接続匿名化してたのによく俺って見つけられたな。偽装のためにネット回線のないアパートに住んで、近くの無線LANにただ乗りしてたのに」
「まあその辺は色々と。で、なんでこんなの書いたの」
「オレは昔半グレ集団に属してたんだが、こっちに麻薬プラント組織がやってきて、シマを荒らし始めた。で、何とかして欲しいって書き込んだんだわな」
「ああ〜、不良グループ……椎名がそんなこと言ってたなあ……」
きららはぼやいた。この場に椎名がいたなら、もっと面白くなったろうに。
「しっかし随分あっさり認めるね」
「……オレは人殺しを見てきた。お前の目はそいつらと同じだ。殺すといったら必ず殺るタイプだ。目的のためならなんでもするんだろ? 面倒はごめんだ。だから答えた」
きららは片頬で失笑した。返事はしない。
「で? てめえは誰だ? 何のために来た。どうやら麻薬プラントからのお使いってわけでもなさそうだが」
「とりあえずどっか座らせてくれる? ストッキング濡れちゃったよ」
「ざっけんなよ、それが人にもの頼む態度か」
青年はあからさまに嫌そうな顔をしたものの、奥から座布団を引っ張り出して、きららの眼前に乱雑に投げた。いかにも生真面目。きららはへらへらと礼を言って座り、相手が同じように座ったことを確認してから切り出した。
「じゃあぼくの目的についても話そうか。ぼくの名前は素襖きらら。ぼくは今、その『麻薬プラントのお使い』とちょっと揉めてんだよね。ぼくは自分のために、君は過去、麻薬プラントをつぶすために情報を集めてたんでしょ? 協力してくれないかな」
青年が短い眉をひそめる。
「……断る」
「なんでさ」
「向こうさんは暴力団の傘下団体みたいなデカい組織でもねェし、潰すこともまあ不可能じゃねぇだろうな。だが、オマエに協力してオレに何の得がある? オレはもう半分カタギだ。割に合わねェ」
青年は淡々と続けた。あぐらをかく膝がわずかに貧乏揺すりしている。裏の仕事を半ば引退したといえど、気性の荒さは健在らしい。
しかしきららは、彼の返答など意にも介さず、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ところで広瀬君。君は元剣道部だったりする?」
「……なんでわかった……?」
「まずさっき灰皿投げた左手、竹刀だこがあるよ。次に体型。肩幅広いし腕全体の筋肉が発達してて、筋肉の付き方が椎名とおんなじ。あと体勢だけど、あご引いてて上体が後ろに反ってて尻が上がり気味。剣道の中段構えって反身の姿勢だからね。癖なの?」
きららはちょっと肩をすくめた。
「剣道経験者ってわかったのはこういうこと。で、ポストの表札が『広瀬』でしょ。あんたのことは椎名からちょっとだけ聞いてて、その時に椎名の出身校を調べたらあんたによく似た人が居たんだ。なんか椎名が心配してたよ」
彼はため息をついた。
「広瀬はいじめられてたんだっけ? そういうタイプには見えないけど」
「いじめ? 何のことだ」
「中学生の頃、あんたは剣道部の中で孤立していじめられてて、それを苦にして不登校になっちゃった。椎名はずっとそれを後悔してたんだってさ」
「はぁ……? 意味がわかんねぇ。それ八房の勘違いだろ」
広瀬は首を左右に振った。
「中学のころ、俺は剣道かなり強いほうだったから、遊び半分で足引っ張ってるやつらが許せなくてきつい態度取ってた。今思えば実力者に相応しい態度じゃなかったし、反感買うのも当然だが、八房にはそれが仲間外れやいじめに見えてたんだろ」
「じゃあもしかして、学校に行かなくなったのは『いじめ』じゃなくて単にグレたから?」
「ああ」
きららは納得し、首肯した。
「ま、でも結局麻薬プラントとの勢力争いに負けてうちのグループはほぼ壊滅した。オレも裏から足洗って、建設会社で発破の仕事してる」
「なーんだ、マジメになっちゃったの」
「オレは生まれてからずっと真面目だ」
「まっ、不良少年なんて更生するか行くとこまで行くかの二択だしね」
「黙れ馬鹿女。つうかお前、八房とどういう関係なんだ?」
「別にふつうの友達だよ。同じ高校なの。昼食一緒にとって、休日に遊びに行く。ぼく、面白いことを探すのが好きなんだ」
きららは懐から携帯を取り出す。椎名のピンショットやこっそり撮っていたツーショットなど、数々の写真をずらっと見せてやった。
すると広瀬は目に見えて脱力した。
「全部目線が合ってねェじゃねえか……。友達なのに盗撮かよ」
「だって、椎名の腑抜け顔が大好きだから記録しておきたいんだもん。可愛いよねえ、寝顔なんか待ち受けにしてるんだ」
「キモい」
「人間なんか皆ちょっとは気持ち悪いよ」
広瀬は顔をしかめた。完全に引かれている。
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