「椎名くん、プリント集めるわよ」


 朝礼前。声をかけられて振り返ると、そこには灰戸が立っていた。今日の宿題である提出物を集めているらしい。


「俺も手伝おうか?」


「ううん、大丈夫。それと……今日の放課後、教室に残っていて欲しいの」


 僅かな沈黙の後、彼女は切り出した。


「いいけど……なんで?」


「ふふっ。それは秘密」


 『シンデレラ』姫は人差し指を唇に押し当てて、天使のような笑顔を作った。


 ――と、呼び出されたのが今日の朝のことだ。放課後になって、椎名は教室の自席に座ってじっと灰戸を待っていた。暇潰しに漫画を読んではいるが、内容に集中できない。まさに上の空だった。


 何を言われるのだろう。まさか告白されちゃったりして? いや、流石にそれは考えすぎか?




 いつもの癖で中庭を眺めていたら、ふと窓ガラス越しに見知った顔を見つけた。


 あの日彼女が飛び込んできた中庭に、きららと知らない生徒が立っている。知らない男子生徒だった。純朴そうな面持ちの彼は、少し緊張した面持ちで目の前の美少女を見つめている。


「俺、貴方が好きです。俺の彼女になってください」


 自分のことでもないのにどきっとした。そういえば、転校してきたばかりの彼女に惹かれて交際を申し込んだ人間がいくらかいたと聞いた。けれど、きららはその全員をすげなく振った……らしいのだが。


 できるだけ気づかれないように、横目で二人の様子をうかがう。人の告白を覗き見するなんて悪趣味ではあるが、今日ばかりは好奇心が勝った。ここできららが面白い反応を見せたら、もしかしたら、椎名だってやられっぱなしじゃなくなるかもしれない。


 夕暮れの中庭に立つきららは、腕組みして首を傾げている。


「ふーん。他に何か言いたいことは?」


「他の女子とは違う雰囲気が気になって。もっと貴方を知りたいんです」


「わかった。いいよ、付き合おう」


 きららは柔らかく微笑んだ。


 そして次の瞬間――彼女は姿勢を低く落としたかと思うと、間髪入れず右上段回し蹴りを打ち込んで顎を破壊した。男子生徒はごほっと咳き込んで蹲る。しかしきららは容赦することなく、懐からナイフを取り出して刃をひりだした。男子生徒はひっと引き攣った悲鳴を上げて逃げようとするが、スラックスの裾を彼女に踏んづけられて身動きができないでいるらしい。


「えー……」


 遠目でもわかる。きららは虫や獣を眺めるような目で男子生徒を見つめている。あの日、椎名に飛びかかってきた時と同じ、獲物を前にした獰猛な生き物の視線。


 呆然として頭がくらくらしてしまった。彼女の行動の理由など分からないが、このままでは男子生徒が危ない。目の前で刺殺劇が始まりかねなかった。それを見て、窓を開けて身を乗り出した。


「おい! きらら!」


「あぁ椎名。なにさ」


 彼女は緩慢な動作で振り向く。椎名は窓枠を飛び越して、中庭へ走って行った。


「やめろよ⁉ 嫌がってるだろ!」


「恋人になって欲しいって言われたから、相性が合うかどうか試してみただけだって」


 平気な顔でのたまわれた。椎名がきららを押さえている隙に男子生徒は彼女の身体の下から逃れ、這う這うの体で教室に逃げ帰っていった。


「あーあ、行っちゃった……」


 きららは悔しそうに顔を歪めながら、二年六組の中に戻ってきた。『相性を確かめる』というのは、揶揄うでもなんでもなく本気だったのだろうか。それともただ暴力を振るいたかっただけなのか?


 そんな彼女はいつのまにか教室の後ろ扉に鍵をかけていた。さっきから何がしたいのか、とたずねようとして、


「馬ー鹿」


 ささやかれて足を踏まれる。椎名はそれで興奮している自分に気付いてしまった。


「馬鹿はお前だろ……」


「やっぱりぼくたち相性ばっちりだね」


 あざ笑われたと思ったら、いきなり足払いをかけられた。視界がぐるっと揺れて天井が見え、それから後頭部に鋭い痛みが襲ってきた。派手に転んで頭を打ち付けてしまったのだ。痛みに呻いていると、きららが椎名の上に跨ってきた。何をするのだと思ったら――何か柔らかい物が唇に押し付けられた。無理やりキスされたのだ。


 最初は触れるだけの軽いキスだったが、次第に深いものになっていく。舌を入れられ口内を蹂躙された。ぐちゅ、ずちゅっと卑猥な水音が鳴る。歯茎の裏側をなぞるように舐められると背筋に快感が襲う。息苦しくなり、口を離すと唾液が糸を引いた。


 その時、足音が近づいてきた。誰かが、教室の後ろ扉をガタガタと動かしては、あらおかしいわなんて呟いている。声からしてどうやら灰戸がここに来たらしい。


「委員長が来ちゃったね。どうする、続ける?」


 きららは意地悪く囁き、椎名の耳朶にそっと触れた。


 女友達とキスしてるなんて見られたらすべてが終わる。でもきららの技巧は最高に気持ちよくて、やめたくない。


「いやだ……っ、続けさせて……お願いしますッ」


「素直だねぇ。いいよ、続きをしてあげよう」


 淫蕩な響きだった。きららは再度椎名の後頭部を掴み、嚙みつくようなくちづけをした。


「いいこいいこ」


 頭をよしよしと撫でてもらった。まるで本当の犬になったようだ。嬉しい。心地いい。夢中できららに口づけを返す。


「んんっ……」


「椎名くん? そこにいるのかしら?」


 扉の向こうから灰戸の声が聞こえた。まずい、このままでは見つかってしまう。もし見つかったら軽蔑ではすまない、絶縁されるかもしれない。それだけは避けたかった。


「ぼくも一緒だよぅ」


 きららが甘ったるい声で言った。


「あら、きららちゃんもいるのね」


「どっ、ドア開けないで!」


 今にも裏返りそうな、情けない声で叫んだ。焦るけど、きららにお仕置されるのが癖になってしまっていて止められない。もうこの快楽のままに突き進むしかないのだ。きららはまた深く口づけしてきて、唾液を搾り取ろうとしてくる。


「あ……だめ……ううっ、あああああ~ッ」


 ことばを発すれば口端から涎が垂れた。背徳感が脳漿を昂らせる。扉一枚向こう側には灰戸がいるというのに、夢中で目の前の少女の唾液を貪った。まるで盛りのついた犬。理性のない獣。


「椎名くん、何してるの? 扉、開けていい?」


「ちょっと待って」


 きららがすげなく答える。


「だ、め、んんっ……!」


 目が潤み、瞳が快楽で蕩ける。舌を突き入れると、きららはおかしそうに微笑む。上下左右に動かして、巧みに刺激を与えてくる。雄の性感帯をすべて知り尽くした動きだった。自分は必死なのに、きららは余裕たっぷりだ。そのコントラストがまた心臓に刺さって、悔しくて気持ちよくて涙が出てくる。性癖に刺さりすぎる。

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