眠れない夜は眠らないぼくと

 脱衣所を出ると、きららは長い髪の毛にヘアトリートメントを塗り込み、ブラシで梳かしながらドライヤーで乾かしていた。


「ああ、上がったの。ドライヤーちょっと待っててね、すぐ代わるから」


「平気平気。なんなら自然乾燥するし」


 横目できららを眺め、


「しっかし、そんだけ髪長いと乾かすのにも時間かかるんだな〜」


 気の抜けた感想を述べる。椎名の母親はボブヘアだが、それでも八房や父親よりは髪を弄っている時間が長い気がする。


「まあね。面倒なんだけど、妹に頼まれて伸ばしてるから切れないの」


 蒼黒の瞳が、ふっと柔らかい光を纏った。


「双子っていうのはだいたい二パターンに分けられるんだ。相方と何もかもお揃いにしたがるか、二人で一つみたいな扱いを極端に嫌ってわざと正反対に拘るか。妹は前者。ぼくが何を着てもいいしどこで何をしてもいいけど、髪だけはお揃いで伸ばそうねってお願いされてるんだ」


「えーっ、可愛い妹じゃん!」


 椎名は一人っ子なのでその辺りの事情はよく分からないが、姉妹仲は良い方なのだろう。実妹といえど、きららが自分の納得いかないお願いを聞くわけがない。


「馬鹿馬鹿しいと思うけどね。服装を揃えたって、上辺だけ取り繕ってるのと同じ。ぼくはぼくだし、妹は妹。人は自分以外の何かにはなれない」


 きららはシニカルに返した。




 親には友達の家に泊まると連絡し、髪を乾かして、予備の歯ブラシを開封させてもらって歯を磨き、やっと就寝となった。畳の上には布団が二組。きららはあっさりと電気を消した。


 真っ暗な部屋に静寂が訪れた。だが椎名はなかなか寝付けず、布団の中でもぞもぞとしていた。


 ……というのも、孤独死したお爺さんの幽霊がほんのちょっぴり少しだけワンミリメートル僅かに心持ち怖かったのである。本当はきららの近くで寝たかったが、下心を疑われたらとんでもないので、布団は壁と壁に接するくらいできるだけ遠くに敷いておいた。こういう時は性別が邪魔だとすら思う。椎名が想いを寄せているのはあくまで灰戸なのに。


 うんうん唸っていると、不意に椎名の布団が捲られてひんやりとした空気と鋭利な匂いが流れ込んできた。電気がついていなくても匂いでわかる。きららが布団に潜り込んできた。


「え!」


 椎名はあわてて離れようとするが、あいにく壁に阻まれて逃げられない。壁際に布団を敷いたことがこんな風に裏目に出るなんて。


「ちょっと、逃げないでよ。何も嫌なことしないから。怖がりさん」


 そう言って彼女は椎名に近づいて、後ろから抱きしめてきた。女体の柔らかさと胸の弾力とボリュームが、背中越しに伝わってくる。


 ――殺される!


 椎名は本能的な恐怖に目を瞑った。


 きららは文句なしに可愛いし、性格も馬が合う。だがもし椎名がきららと結ばれたら、生命保険に加入した上で全裸にはちみつ塗られて山の中に放置されるとか、親を人質に取られて局部をシュレッダーにかけられるとか、とにかく恐ろしい目に遭うだろう。


 彼氏気取りで手を繋ぎ車道側を歩いたりしたら一貫の終わりで、そのまま背負い投げで車道に投げ出されるに違いない。無惨に撥ねられた肉塊を見て、カレシを殺すなんて初めて〜おもしろ〜いとケタケタ爆笑するきららが目に浮かぶ。邪悪極まりない。据え膳食わぬは男の恥とは言うが、男とか女とか関係なく毒入りの飯を食ったら人間は死ぬ。


 冷や汗を垂れ流していると、きららが背後で呟いた。


「……生きてる人間って、こんなに温かいんだね。家族と一緒にいるみたい……」


 揶揄うわけでもなく素直な言葉に、椎名はふと動きを止めた。


 きららは海外に家出するほど両親と離れたがっており、ろくな友人もいないようだ。理解者は遠く離れた芸能界で活躍している双子の妹だけ。一瞬でもそんな彼女の拠り所になれるのなら、それは椎名自身も望んでいることではないだろうか。


 背中越しの彼女は、抱きしめる以上のことはしてこない。なかなか寝付けない椎名を宥めてやるような優しい仕草だった。だから抵抗をやめて、彼女に身を委ねた。


「……家族か。そっか、好きにしろよ」


「……おやすみ……ペット椎名……」


 がくっと脱力した。せめて人間として見てほしい。

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