残酷なお姫様

※センシティブな描写が含まれます





 それからぱっと表情を明るくして、


「もう十七だし、都会は飽きた。どうせ行くなら他人の目の届かない、遠くて刺激的なところがいいと思ってさ」


 きららのいう『刺激的』というのに引っかかった。椎名は生まれも育ちもこの檜山市だが、盛り場は大型ショッピングセンターくらいしかないし繁華街も寂れていて、ワルといったら地元の不良グループがいるくらいだ。 その話だって最近聞かないし、大した規模じゃない。


「ここ、刺激的には程遠いだろ……」


「ううん。いろいろ調べてたら、ある掲示板でこの街の都市伝説について知ったんだ。『この街には麻薬プラントがある』らしい! それで夜な夜な街に繰り出して調べものしてたってわけ。赤坂の『噂』も、ラブホの清掃してるおばちゃんから聞いたの」


 きららが笑った。それで居眠り常習者だったわけか。薬物をやっているという噂もここが発端だろう。


「そんなネットの書き込みなんて信じていいのか?」


「半信半疑だから検証するんでしょ。椎名の噂だってそう。皆、実体のない噂に振り回されてばかみたい。本当のことを知りたいんだ」


「検証してどうすんだよ。まさか吸うんじゃないだろうな」


「なわけ。薬やりすぎると頭悪くなるし、肉体を介して得られる快楽には限界があるからね。麻薬組織が存在するかどうか確かめたらそれで終わり。また次の謎を探しに行くよ」


 なんとも刹那的。とりあえず、麻薬をやりたがってるわけじゃないのは安心だ。


「でも、素襖がここに来てくれたから俺たち出会えたんだよな。そう考えると不思議だな!」


「そうかもね……。ま、ぼくの話はいいよ。次はこの鍵、探してみようね」


 彼女は可憐に笑って、鍵を人差し指でつついてみせた。


 窓の外を見やると、バケツをひっくり返したような土砂降りがまだ続いていた。この街は日本海側だから湿度が高い上、梅雨の時期が近いからなおさら止まないのだろう。


きららはしばらく窓の外を眺めていたが、唐突に、


「このままうちに泊まっていきなよ」


「マジ?」


 何と返したらいいのか戸惑った。ここから椎名の家まではそこそこ遠いし、両親は共働きで帰りが遅いので迎えを頼むこともできない。これが安西や紺野の申し出なら喜んで寝かせてもらっていたのだが、きららは一応女子だ。しかもここ心霊物件だし。


「うん、そっちの方が明日もスムーズだ。決まりね! お風呂沸かすから布団敷いて」


「え? はい!」


 条件反射で元気な返事をしてから、しまったと口を押さえた。


 一方きららは立ち上がり、玄関へ向かうと、既に面付鍵をかけているのにも関わらず『南京錠を取り付け内側から鍵をかけた』。窓にも同じように。


「は? 今鍵かけたよな?」


「椎名に逃げられたらイヤだから」


 別に逃げないのに。土砂降りの夜をとぼとぼ帰るなんてごめんだ。



 風呂を貸してもらうことになって脱衣所で服を脱いでいたら、突然扉が開いてきららが入ってきた。ビニール袋を手に持っている。その口を開くと、生臭いメスの臭いがむっと漂い始めた。


「普段はピル飲んで止めてるんだけど、椎名に出会っちゃったからね。お前、こういうの好きでしょ?」


 『こういうの』の指すところがわからず首を傾げるが、きららは答えない。


「この前剥がしたばかりだから、新鮮だよ」


 彼女はビニール袋の中身を床にぶちまけた。椎名はCMでしか見たことはないが、グロテスクな見た目で、それが何なのか理解してしまった。


 べっとりと経血が染みついた、月経用ナプキンだ。


 思わず頬をひきつらせてしまう。嫌な予感がよぎった。


「食べさせてあげる」


 ぴくん、と反応してしまった己自身が恨めしい。


 きららはすかさず椎名を床に押し倒し、鼻をぎゅっと摘んだ。身をよじって逃れようとするが無駄に終わる。しばらく口を閉じて耐えていたが、やがて耐えきれず口を開いてしまう。彼女はその隙を見逃さなかった。


「ひっ! やだやだそれだめっ……ゆるしてくださ、お願いしますおねがいしまっ……!」


 しかし彼女は全く聞く耳を持たず、むしろ楽しげですらあった。


 ナプキンをぐりぐりと口の中に捩じ込まれる。乾いた血の塊が剥がれて、歯の裏にこびりついた。歯茎や上顎の裏側まで丁寧になぞられて、吐き気がした。


 意図せず目尻から涙がこぼれる。


「ぐっ……おげぇ……!」


 奥までナプキンを突っ込まれ、嘔吐反射が起こりえずいてしまった。涙と洟水とよだれを垂れ流し、ぐしゃぐしゃの情けない顔を晒しながら泣き叫んだ。恥ずかしさと情けなさで消えてしまいたかった。


 けれど、椎名は不思議とそれを受け入れてしまっていた。


 素襖きららは常識の抜け落ちた人間だが、彼女が女体を持っているかぎり月経から逃れることはできない。この経血はきららの体内で赤ちゃんを産むために作られ、その後彼女の秘所から排泄されたものだ。そんな大切な経血を、特別に賜っているのである。残酷なお姫様から授かった大切な宝物。それを前にして、男なら興奮しないはずがない。


 椎名の股間は言い訳しようもないほど怒張していた。羞恥心がこみ上げてきて、顔が真っ赤になる。


「う……ふぐぅ……!」


 咳込みながらもなんとか息を整える。


 きららはその愚かな姿を嘲笑い、静かに携帯を取り出す。そしてムービーを撮影し始めた。椎名は撮影されていることも気にせず、口に入れられたナプキンを舐め、むしゃぶりついた。しょっぱい味がする。


「あははははははは。お前って本当にド変態だね」


 その微笑に、聖母のごとき慈悲深さを感じた。全身が快感で痙攣する。


「ううぅ……」


「ううじゃない。頷け」


「う……はひぃ……」


 撮影を終えると、きららはすっと無表情になった。


「じゃあ、それあげるから、好きに使っていいよ。あ、お風呂場でもトイレでもいいけど、後始末ちゃんとしないと怒るからね」


 そう言って彼女は脱衣所から去っていった。


 椎名ははぁはぁと息を荒げたまま、床にへばったままでいた。動くことができなかったのだ。まだ体に熱が残っている。自らで慰めなければこの熱はおさまらないだろうということも分かる。


 ――みんなの個性を受け入れて、誰とでも仲良くすべきだと思っている。それは今も変わらない。でも、あんな性格最悪の女を前にして、一体どうしたらいい? 椎名の『当たり前』が全く通用しない。


 ――自分は灰戸委員長のことが好きなはずなのに、こんなことで興奮してしまっていいのだろうか?


「……俺、最低だ……」


 そうやってぐったりと脱衣所に寝そべってから、体を清めて長めの風呂に入った。 風呂はいわゆるバランス釜というやつだった。使い方がよく分からなかったし、きららの残り湯に浸かるのは気恥ずかしかったので、そそくさと汗を流した。


大柄な体を縮こまらせて湯船に浸かる。


 ――俺たちは友達。きららとはただのクラスメイトで、依頼人と探偵の関係。もうあんな女に負けたりしない! 俺は『友達を大事にする』って信念を貫くんだ!


 湯船の中でガッツポーズを作り、椎名は決意を新たにするのだった。


 側から見ればどれだけ滑稽な姿かということに、彼はまだ気づいていない。

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