本気なんだけど?

 きららの私服は、長い髪の毛をまとめてキャップにしまいこみ、薄手の灰色のパーカーとスキニージーンズというラフないでたちだった。てっきりフィレンツェのピッティのような奇抜な服を着てくるのかと思ったらそうでもなかった。服装での自己表現など『飽きた』あとらしい。むしろ、強烈な性格と容姿を隠すために地味な格好をしているようにも見えた。


 予告通り、椎名は問答無用で駅近くのホームセンターに連行された。きららは店中をああでもないこうでもないと駆け回り、追いかけようとしても目を離した隙に消えてしまう。なので諦めてペットコーナーで時間をつぶすことにした。ホームセンターを出たところで、駅周辺にはパチンコ屋や廃止された繊維工場跡くらいしかない。地方都市の哀愁である。


 工具店特有の機械臭。ペットコーナーには見渡す限り水槽が並べられて、熱帯魚や金魚、ウーパールーパーや珍種のカエルがのんびり泳いでいた。その一つの前で足を止めて中を覗き込む。ネオンライトに照らされてぷかぷかあてもなく泳ぐ小魚たちを見ると無性に癒された。いつか機会があったら、灰戸のために新しい魚を買ってやるのもいいかもしれない。今度はあいつに食べられないように。


「何かお探しですか?」


 水槽を眺めていたら、店員が声を掛けてきた。


「あー、金魚いいなって検討してて! 何かおすすめの品種とかあります?」


「それでしたら、こちらをおすすめします」


 店員は、灰戸が飼っていたのと同じ品種を売り込んできた。餌やり禁止のポスターに書かれていたので、たまたま覚えていたのだった。


「水質の変化に弱いので、餌のやりすぎやカルキ抜きには注意してくださいね」


 説明を聞きながらふと頭によぎる。完璧な管理がなされた狭い水槽で退屈に泳ぐのと、きららに摘み上げられてあっけなく食べられてしまうのと、どっちがマシなのだろう。椎名は後者を選んだ。


 その後愛犬のためにペット用ジャーキーを二袋買ったところで、ようやくきららが現れた。何を買ったのかビニール袋を手にしている。


「まったく、こんなことろにいたよ。探したんだからね」


「こっちの台詞だ」


「拗ねないの。よしよし」


 相変わらず椎名を舐め腐った子供扱いに唇を尖らせる。


 その直後、頬に冷たい雫がぽつんと落ちてくるのがわかった。顔を上げると、分厚い雲が空を覆っている。ぽつぽつと雨が降ってきたと思ったら、途端に土砂降りになってしまった。


「うわっ! 夕立かな?」


「ぼくの家、すぐ近くだから雨宿りしていきなよ」


「ヤッター! 助かる!」


しかし招かれた先は、ボロボロの二階建て木造アパートだった。学校にスーパーや駅が自転車圏内にあり立地は抜群だが、外観はひどい。赤く錆びたトタンの壁にツタが所狭しと絡んでいて、いまに幽霊でも出てきそうだ。


「これが……女子の家? 心霊ロケじゃなくて……?」


「カメラ回す? 何か映るかもよ」


「やめろ! ホントニヤメテ!」


 椎名は飛びのいて、必死で首を左右に振った。


 雨で滑らないように気を付けながら、錆びた金属の階段をカンカン軋ませ二階に上がる。きららは通路の一番奥の角部屋に住んでいた。


 ドアを開けると、古びた内装に不似合いな石鹸の匂いが香った。中は黄ばんだ壁の六畳間で、左手に押し入れがあり奥にサッシ窓がついている。家具は最低限のものだけですっきりしていて、部屋の真ん中には折り畳みローテーブルが置いてあった。テレビがない。


 ひとり暮らしとはいえもっと小綺麗な家に住んでいるとばかり考えていたので、椎名は拍子抜けした。


「へー、風情あるな」


「ここ心理的瑕疵物件なんだよね」


「はぁ⁉ じ、事故物件⁉」


「おじいさんが孤独死したんだって」


 慌てて飛び上がり、部屋の隅に幽霊が座っていないかきょろきょろ見渡した。事故物件、トラブル好きのきららといえばらしい。家主は椎名の怯えっぷりに呆れていた。


「驚きすぎだよ。殺人事件ならともかく、病死や老衰や事故死は自然現象だ。植物の光合成と変わらない」


 くくりが雑すぎる。相変わらずのきららルールだった。


 彼女は奥からフェイスタオルを引っ張り出して、椎名に投げてよこす。


「やめろよそういうの。ふ、不謹慎だぞ!」


「でも、ぼくも椎名もいつかは死ぬんだから、怖がったってしょうがないじゃん。椎名は幽霊を信じるの?」


「ゆ、幽霊なんかいねえよ。ヤバい怪奇現象の原因はプラズマだって、漫画で言ってたぜ」


 少年漫画知識を持ち出して対抗すると、きららは素直にうなずいた。


「一部の怪奇現象はプラズマで説明できるかもね。でも、幽霊がどこにもいないなんて言いきれないでしょ。悪魔の証明さ」


「きららは信じるのかよ」


「信じないよ。でもどうせなら、存在してくれた方が面白いよね。つまらない現実より、面白い嘘のほうがよっぽど価値がある」


 きららは舌なめずりをした。


「『幽霊なんかより生きている人間がいちばん怖い』って言うもんね。ここで起きたのも、殺人事件や強盗ならよかったんだけど。そういう物件は防犯上の欠陥があって、犯人が再度狙ってくるって聞いたから、そういう襲撃トラブルを期待してたんだけどね。未解決事件凶悪犯との対決! なんて最高に興奮するよね」


「お前は平気なのかよ!」


「うん。肉体が死ぬことも、誰かに傷つけられることも、こわくない。本当に嫌なのは、刺激も目的も魂も哲学も失ったまま漫然と生き続けることだ」


 彼女は気の抜けた調子でつぶやいた。


 きららは鞄から小箱を取り出し、大事そうに机に乗せた。まるでこじゃれたインテリア小物のようにも見える。ドライバーでこじ開けると中からはまだ新しい鍵が出てきた。彼女はそれをビニール手袋で慎重に取り出す。


「……普通の鍵だね。結構新しい」


「秘密の埋蔵金、とかじゃなさそうだなー」


 二人は顔を見合わせて、畳の上にぐったりと伸びた。


 目の端で空っぽになった小箱をしみじみ眺めていたら、椎名のお腹がぐぅっと音を立てた。きららが口端で失笑する。


「食事にしようか。適当に座って」


 そういわれて椎名は素直に座った。


 一人暮らしの割にキッチン周りは力が入っていて、包丁がざっと五本は並んでいる。戸棚には何種類もの香辛料や調味料がずらりと並び、そのほか椎名には見当もつかない調理器具が整然と置かれていた。


 もともと今日の夕食にするつもりだった。そういわれて、いくつかのタッパーが折り畳みテーブルに広げられた。中身を皿に移し、それを――床に置かれる。椎名はさすがに顔を引き攣らせて、


「え……食べ物で遊ぶなよ」


「本気なんだけど?」

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