鉄臭い匂い
転校生を迎えた一日目はそれで終わった。
終礼後の教室は賑やかだ。USB扇風機で涼みながら雑談するグループ、連れ立ってナチュラルメイクののりを確認する女子、カードゲームを広げて遊ぶ男子達。一人読書に励んでいたり、テスト後に提出する課題をあわてて進めたりするものもいる。
椎名はといえば、自席で安西や数人の友人と駄弁っている。
「にしてもよぉ、テストの日の一限びびったわー。ついに八房の頭が狂ったかと思った」
「俺はあの子助けようとしただけだっつーの!」
「しっかしよぉ面倒じゃね、転校生。俺ら六組だけテスト再試っつーんだろぉ?」
サッカー部の二枚目・
「色々噂があるらしいぜ。麻薬に関わってるとか、警官と顔馴染みだとか」
「まぁ中身は多少アレだけど、顔ちっさいし足長いしデカパイだし、芸能人みたいだよな!」
安西が茶々を入れた。学食のラーメンの湯気で眼鏡が白く曇っている。
「俺はさぁやっつんが羨ましいよ。あんなに可愛いきららちゃんと隣の席になれるなんてさ」
赤坂先生は教室の一番後ろの列に机を追加したため、椎名ときららの席は隣同士になってしまったのだ。
「八房の席と安西関係なくねぇー?」
「それがあるんだな! くじ引き通りなら俺がそこに座る予定だったけど、視力悪くて黒板見えなかったんだよ。そしたら、やっつんが席交換してくれたってわけ!」
「あぁー、タッパあっからなぁー。八房は」
すると安西は体全体を大きく揺らしてため息をついた。
「はあ、俺の目がもうちょっと良ければ、きららちゃんのお隣になれたのに……! デカパイ拝みたかった……! はあぁん告っちゃおっかな……!」
「出た! スケベ眼鏡」
椎名は軽く笑って、隣の空席を見やった。
安西ほどでないにしろ、男子というものは顔さえかわいければ中身の採点は多少甘くなる。きららなんか、季節外れの美少女転校生なんだから、よってたかって質問攻めにされそうなものだ。しかし二年六組のいたって常識的なクラスメイト達は、明確なパブリックエネミーたるきららの様子を遠巻きに伺っていた。
椎名もそのひとりだ。隣の席にも関わらず、まだきららと会話していない。
「ま、やっつんの本命女子は『シンデレラ』姫の委員長だもんな! ぽっと出の女子は眼中にないか!」
「ちーげぇって、黙れスケベ眼鏡! キモいわそのノリ」
笑い混じりに安西の頭を軽く叩いた。それから椎名は笑顔で切り出す。
「あの子も転校したばっかだし、話しかけてみたら結構面白いやつかもよ? 友達になれるかも!」
そんな調子で帰宅の用意が終わり、椎名はいつも通り、安西と一緒に武道場へ向かおうとする。
しかし、安西は頻繁に眼鏡を押し上げたりため息をついたりして何だか落ち着かない様子だ。そうでなくても、最近の安西は妙にそわそわしていて調子がおかしかった。
「どったん? 忘れ物した?」
「あ、お、俺ちょっと人と会う用事あるんだよなー! それで、やっつん先行っといてくんない?」
「え? 誰と会うんだよ」
「秘密!」
「あ、わかった、コクりだろ。それか先生に呼び出し食らった」
「違う! 俺とお前の仲だろ、詮索はナッシング!」
芝居がかったジェスチャーをつけながら安西が言う。椎名は呆れ笑いを漏らし、
「訳わかんねー奴だな。別にいいけど、練習遅れんなよ!」
安西は返事もろくにせずそそくさと去って行ってしまった。その後ろ姿を見送ってから、椎名は武道場へ赴いた。
西日のさしこむ武道場は、熱気と汗のにおいに包まれている。運動着の少年少女がリズミカルに竹刀を素振りしていた。椎名はその隅っこで正座して、ゴリラ顧問と向かい合っている。正座には慣れているはずなのにソワソワと落ち着かなかった。
顧問の手にはテスト答案。名前欄に筆圧の強い字で『椎名 八房』と書かれた横には、赤ペンで点数が書かれていた。二点である。
ゴリラ顧問が視線で圧をかけてきているので、椎名はそれから逃れるように目を逸らした。へらへら笑って、わざとらしく頭をかく。
「いや〜はっはは、今回はテスト途中で空から女の子が落ちてきたんですよ! それを助けに行ってたらこうなりました。次こそ必ずや……」
「ばかもん、そんな都合のいい言い訳が通じるか!」
「事実なんですけど⁉」
「だとしても再試があっただろう! 何度目の赤点だと思ってる。期末テストまで部活停止だ!」
「ええっ⁉」
悲鳴とともに立ち上がってしまった。
「ひでえ! 顧問のゴリラ! 俺次の大会オーダー大将だったじゃないすか!」
「大将は安西に任せる。まだ来ていないようだから、武道場に来たら俺から伝えておく」
顧問はそう言って答案を返してくれた。
「椎名、今日は練習しなくていい、体育倉庫に胴を取りに行ったらもう帰ってくれ」
「へ~い……」
口をとがらせつつも正座に戻った。
柔道マットの近くに置いていた鞄を回収して、しぶしぶ武道場を出る。からかってきたり、なぜ大会に出ないのかと質問攻めにしたりしてくる同級生や後輩を軽くあしらった。
――テスト二点くらい大したことないのに……いや大したことあるかもしれないけど、それで一か月も部活停止なんて。練習がない間ずっと一人で暇つぶししろってことかよ?
目についた小石をつま先で蹴っ飛ばす。そんなことを考えていじけていたら、いつの間にか体育倉庫までたどり着いていた。
体育倉庫は校庭の隅にある。部活や授業ではより校舎に近い新しい倉庫を使うため、普段は誰も使わない物置となっている。周囲は植え込みが茂っていて見通しが悪く、陰気な印象を受けた。
近くを見れば、体育倉庫の半径一メートルほどに、砂を掻いて作った波模様が重ねられていた。半円形を三重にかさね、波のように組み合わせられていた。そういえば、小学校の運動会の開会式で、校長の挨拶を聞き流しながらこんな風に校庭に落書きしていたっけ。
「なんだこれ……まあいいか」
倉庫の側には鉄臭い匂いが充満していた。顧問から預かった鍵を差し込んだはいいが、錆びているのかなかなか開かない。
がたついた扉をなんとか開けて胴の替えを探して奥に入ると、つま先に何か重いものが当たる感触があった。暗闇に慣れた瞳を細め、その正体をとらえた瞬間、椎名は後ろ手にとびのいた。
体育倉庫の中心で、男が土下座の形で倒れている。汚れたスニーカーに細身の体型。その姿には見覚えがある――安西だった。
いつも溌溂とした笑みを湛えているはずの顔は、血だまりの中でぐったりと動かない。眼鏡のブリッジは叩き割られ、床に転がっていた。
揺り起こそうとして、椎名はふと手を止めた。頭が切れて大量に出血している。まるでぱっくり割ったざくろのようだ。こういう時は動かさない方がいいのだろうか?
「安西⁉ 大丈夫か! おい!」
問いかけに返事はない。気絶しているのだろう。彼の体はぐったりと寝そべったまま、ぴくりとも動かなかった。
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