いいじゃん別に
中庭ダイブ事件の後椎名ときららは教室から追い出され、保健室から貸された予備の体操服を着ることになった。その間に、六組にはテスト再試が言い渡された。
そして二限目から四限目までの試験は滞りなく行われ、中間試験が終了した。
昼休みが終わり、午後からは体育の授業だ。男子たちが着替えを終えて体育館へ着くと、女子の一団が何やらざわめいていた。授業開始直前になったというのにきららの姿が見えないのだという。
「転校直後だから校内で迷ったんだろう。委員長、素襖を探してきてくれるか?」
体育教師に言われて、委員長の
「はーい! 俺が探しに行ってきまーす!」
「椎名か……。サボるつもりだろ」
「あはっ、バレました?」
ふざけた調子で言うとどっと笑いが起きた。
じゃあ二人で探してこいとのお達しをもらい、屋内シューズから下履きに履き替える。すると委員長がおずおずとお礼を言ってきた。色素の薄いツインテールが揺れる。
「あ……ありがとう、椎名くん」
「いーよいーよ! 気にしないで。俺なんかサボりたいだけだから」
彼女ははにかんだように笑って下履きに履き替えた。
「委員長はもうあの子と話した?」
「ええ。昼休み、一緒に校内を案内してあげたんだけど……着替えに誘おうと思ったらもういなくなってたのよね。時間ギリギリまで待っても来なかったから、先に着替えに行ったのかと思ってたんだけど」
どうやら学級委員長として責任を感じている様子だ。
「委員長、更衣室の方見てきてくれね?」
「わかった!」
捜索役を買って出た理由の六割は『委員長のため』だが、残り二割は転校生への心配と、自分こそ適役だという自負だった。
椎名は自分のとりえを『健康さ』だと思っている。他の人より多少頑丈で視力聴力も良く、さらにいえば鼻が利く。教師の見立てから、たぶん体育館の近くにはいるだろう。それで見つからなかったら心当たりのある場所を回ってみればいい。しかし、きららは中々見つからなかった。
喧騒が遠くに聞こえる中で歩を進めると、体育館の日陰になっているところに、ぼんやり体育座りをする少女がいた。きららだ。
体操着に着替えたきららは、全体的に肉付きが良く、胸とお尻だけが豊かに突き出たグラマラスな体型だった。ショートパンツから伸びた脚は適度にむっちりしている。長い黒髪を高い位置でくくっているおかげで今まで覆い隠されていたうなじが見えて、何だか蠱惑的な雰囲気だった。
彼女はさっと振り向いて、椎名を見留める。
「あ、椎名八房くんじゃん」
話したこともないのに唐突に名前を呼ばれてぎょっとした。あの中庭の邂逅が印象に残っていたのだろうか? それとも隣の席だから覚えていたのか?
動揺が顔に出ていたのか、きららが付け加えた。
「なに、その顔。べつに椎名だけ特別に覚えてるわけじゃない」
彼女はからかうように言った。
――こいつのことだ、どうせクラス全員、いや全校生徒の名前でも把握しているのだろう。『彼女が俺のことを意識してたんじゃないか』と心のどこかで期待していたことを突き付けられたようで、恥ずかしさで頬が茹だった。
椎名は大股で駆け寄り、声をかける。
「ここにいたのか……探したぞ。あれか、迷ったのか?」
「そういうことにしといて」
「で、何かいいものでもあったかよ」
「――ここ、綺麗だなって」
そう言われて椎名は足元を見回した。
綺麗? 湿った匂いの漂ううらぶれた場所にすぎないのに。雑草は伸び放題、日当たりが悪くて、年季の入った建物でコンクリートはひび割れているし、きららは何を言っているのだろう。
そう思って隣を見たら、彼女は上を向いていた。つられて顔を上げると、視線の先には青々とした空が広がっていた。
檜山高校の裏山一帯は植物園として整備されている。この体育館裏から空を見上げると、草木柄のフレームに囲まれた一枚の青い絵画のように見えるのだ。同じ場所に立っているのに、『上を見る』なんて発想が無かったから全く気づかなかった。
「ああ、確かに綺麗だな」
調子を合わせつつ、椎名はきららの隣に座った。下草の青い匂いがした。
すぐに体育館に戻らなくてもまだ時間はある。一限目、彼女が渡り廊下から飛び降りた理由を知りたかった。珍しい時期の転校なのでなにか事情や悩みを抱えているのかもしれない。例えば親の転勤やいじめが理由なら、学校に反発するような言動をしているのにも説明がつく。
なんにせよせっかくの転校生。クラスに馴染めるように手助けをしてあげたかった。
「そういえばなんで飛び降りなんかしたんだ?」
「池に飛び込みたかっただけ。やりたかったからやったの。いいじゃん別に」
いきなり噛みつかれて面食らう。
「危ないだろ。それに他人に心配かけてる。今回だと赤坂先生とか委員長。子どもじゃないんだから、いくらやりたいことがあっても、自分のためだけに生きちゃだめだ」
「なんでダメなの? いいじゃん別に。椎名も先生も委員長も放っておいてくれればよかったのに」
目も合わせずに言われて、にべもなく突き放された。
「何でもかんでも問題とか変とか言って自分がやりたいことを抑えて生きるほうが幼稚でつまんないんだよ」
「でも、どんな他人とでも一ミリくらいは共通点があると思うんだ。今まで『つまんない』って思ってた奴とでも、どこか良いところを見つけてちょっとでも分かり合えたなら嬉しくないか?」
「別に。一ミリしか分からないなら余計いらないね。それ誤解って言うんだよ」
きららは鼻で笑った。
「一般論として、人間って複雑な内面を持ってるものなんだよ。ちょっと触れ合っただけで他人のことを知ったかぶりするような人間と関わりたいと思わないんだけど?」
「う……」
椎名は言葉につまって、しょんぼりと肩を落とす。
「そもそも、椎名の言うあいまいな交流に意味はあるの? なんか良いことみたいに言ってるけど、自他の境界線が曖昧になった不安定な状態でもあるからね」
「そ、そっか……そうかあ……」
椎名はすっかりしょげてしまった。
理屈っぽいのと屁理屈は別だ。彼女の意見が正しいとは思えないのに、次になんと言えばいいのか反論の言葉がうまく出てこなかった。舌戦や口論は得意じゃない。
会話は相手に寄り添うものというのが椎名の持論だが、きららは誰からの共感も、反応も求めていないように見える。ただ言いたいことを言って、己の主張を通そうとしているだけ。
するときららはぱっと表情を塗り替えて、機嫌良さそうに笑った。
「なーんてね。あはは、冗談だよ! 真に受けてしょげちゃってかわいいね。ほら、おいで椎名? いいこいいこ~」
「ウワッ! くすぐってえ!」
まるでぬいぐるみを扱うかのように、しなやかな手が椎名の頬をわしわしと撫でる。ヘアワックスをつけてたのに、いきなりなんてことをするんだろう。
ともあれ、どうやら自殺志願者などではなかったようだ。むしろどこかさっぱりした印象を受ける。
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