048 -その名はクリス
「……私はクリス、と申します。以後お見知り置きを。さぁ! 私は名乗りましたよ! 次は貴女の番です!」
声高らかにその魔人は、自らをクリスと呼称した。
こんなにも怪しく禍々しい生物――魔人に名前が、しかも無駄に綺麗な名前を持っていることに驚くが、一応こちらも冷静に、それでも挑発を意識して声をより荒げる。
「私はミア・ラキス! お前を斃す冒険者だ! あぁ私の名前は覚えなくていい! どうせお前はここで私に
「なるほど……そのセリフ、そのままお返ししましょう。私の名前も覚えなくても結構ですよ。なぜなら……ここで死ぬから――」
魔人――クリスは言い終わる間も無く、気づけば私の真正面50センテ前に立ち、怖気が立つほどの嗤笑を言葉もなく向けた。
「「ミアっ!!」」「ミアちゃん!」「ミアさん!」「ミア殿!」
みんなの悲痛と焦燥が入り混じった叫び――一人ひとりの声を、切羽詰まったこの状況でも明瞭に聞き分ける。
魔人クリスは左手の爪を私の右肩――ミモ姉と全く同じ箇所目がけて突き出してきた。
きっとみんなには認識できない程の刹那で、おそらく目で追えてもいないだろう。でも大丈夫、私には全部しっかり視えてるから! ヒトのスピードを凌駕したクリスの爪先は、プルクラの『鋭い視力』を持つ私なら充分に対応できる――が。
スピードはともかく、ミモ姉の肩を貫くほどの膂力に対抗するには。
あまりクリスに自分の手札は見せたくないけど、今はそんなこと考えてる余地はない!
(……“
技能をクリスに悟られぬよう、頭の中でその言葉を呟けば、思い描いた結果――一瞬で両腕が肥大する。私の目でも一瞬に見えるのだから、クリスには絶対に悟られないはずだ。
クリスの左手首を、チューブキャットさながらに肥大したその手でやにわに掴み取る。
よほど自分を過信していたのか、手首を掴まれたクリスは何が起きたのか理解の外といったふうな、明らかに狼狽えた表情を見せる。虚をつくという意味では充分の成果だが、さてこの後はどうしてやろうかといえば、正直ノープランだ。
「――なっ! ……貴女! 今、何をしたんですかっ!?」
「お前に教えるわけないだろっ! ……ォオルゥアアァァッ!!」
あれこれ次を考えるのをひとまず横に置き、握った手首を離さずそのまま勢い任せに振り上げ、クリスを全力で地に叩きつけてみた。
「! っごほぁああぁぁっ!!」
ドゴォォォン!
大地は低く唸り、クリスの身体は痛みの声とともに深く土中にめり込んだ。なるほど、一定以上の力――物理は有効のようだが、コイツはこんなんじゃ倒せないのは解っている。ならばとすぐに大地から強引に剥がし取り、15メルト先に狙いを定め、一番太い巨木の幹に目掛け力の限りぶん投げた!
私の投擲は、流体力学を無視するような速度を生み出す。クリスの身体は直線軌道のまま背中から強く叩きつけられ、ドサリと膝からうつ伏せに崩れ落ちた。肥大した腕もそのまま、一気にクリスとの距離を詰め、うつ伏せから仰向けへ足蹴にひっくり返す。すかさず馬乗りになれば、ミモ姉、生命を散らした
コイツのせいでチューブキャットは滅亡の危機に晒された。
そして悲しいことに犠牲者も少なからず出てしまった。
いくら自由奔放な冒険者とはいえ、家族親類、友人知人はいるわけで、その死を悲しまない人などいないのだ。
たまたま犠牲者の中に私の知己がいなかっただけで、もしミモ姉やじっちゃんじいちゃんが犠牲になったのだとしたら。
そう思うだけで沸々と感情は憤怒に支配され、さらにクリスへの憎悪は増していく。
物理が効かないかもしれない? 知るかそんなの。なら効くまでぶん殴ってやるまでだ! 私の一念――拳は巨大岩石をも易々と通すこと、その身体に叩き込んでやる!
「これはミモ姉のぶんっ!!」
ドゴォォォンッ!!
「これは
ドゴォォォォンッ!!
鳩尾を殴るたびクリスの体はバウンドするように、くの字に何度も折れ曲がる。
大きく深呼吸をひとつ。拳を握り直し、千を悠に超えるチューブキャットたちの、無慈悲に散らされた魂を渾身の拳に込め引き絞る。
「そしてこれが……チューブキャットたちの……シリンディアのぶんだっ! くたばれっ!!」
ドゴォォォォォォンッ!!
これでどうだ!?
先刻までの傲慢な言葉は鳴りを潜め、ただただピクピクとするだけの魔人クリス。白目――魔人だから白眼部分は赤いのだが――を剥いてはいるものの、腹部が上下しているところを見るに、まだ息はある。
一度馬乗りから立ち上がり、大きく息を吐き出し、みんなの顔を見回せば、茫然自失という言葉そのままに私を見つめていた。
あぁ、そうか。ミモ姉もあそこまでの私は見たことないもんね。というか私も初めてだ、あんなに激昂したのは。
きっと今の私、怖い顔してるんだろうな。なので一度頬をバシンと叩き、昂りをリセットした。もちろん腕は元に戻した上で、だ。
「あの……ミモ姉、キャプテン……どうしますか……?」
「! あ、あぁ……まずは捕縛して採掘場、だな。ミモザ、それでいいよな? お前、歩けるか?」
「……問題ない。
「う……うん!」
何を以って大丈夫かと言っているかは分からないが、無事かという意味では大丈夫。多少気持ちが昂っているくらいだ。
努めて笑顔で応じれば、みんなの顔にも安堵が浮かんだ。
「ミアちゃんすごいのね……お姉さんびっくりしちゃった」
「然り。某ら、ミア殿が敵じゃなくてよかったでござるな」
「ハハハ……私も
「またまたミアさん謙遜しちゃって……ところで、なんで
「確かにな……元がゴブモンだから俺らも対処できたが、これが『グランデウルフ』だと少しキツかったかもな」
「それもだけど、どうしてチューブキャットだけを狙って襲っていたのかも謎よねぇ」
そうだ。キャプテンの指摘通り、少なくとも採掘場のあるここには『グランデウルフ』という中間部の食物連鎖の頂点が生息しているし、他にも強い動物なんていくらでもいる。ならばどうしてクリスはゴブリンモンキーを魔獣化したのか。
しかもチューブキャットだけをピンポイントで狙った理由もまるで分からない。
しまった、殴り飛ばす前に聞いておけばよかったかな……。
まぁまだ息はあるし、後で聞き出せば――とクリスに目を向ければ。
「……これ以上、マナが溢れては……困るんですよねぇ」
「「「「「「!!」」」」」」
不意に飛び込んだ魔人クリスの声に振り向けば、地に落ちたはずのその姿はなく、人型に深く落ち窪んだ跡がそこにあるだけだった。
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