047 -魔人

 その魔獣はしたり顔を浮かべ、サラリととんでもないこと――自分は魔人なのだと言い放った。


 あまりにも情報量が多すぎて咄嗟に処理しきれない。今回の一件は、今まで薬草採取しかこなしていなかった私にとっては初の討伐依頼な上に、この近隣ではほとんど目撃討伐例がない魔獣の可能性も孕んでいた。そして駄目押しで目の前の異形が魔獣ではなく『魔人』という、ここにいるみんなはおろか、誰も聞いたことがない言葉で自らを称したのだ。こんな状況の中、推測だけで軽率に動くのは危険しかない。


 でも、コイツの言う通り『魔人はヒトが闇堕ちした存在』なのであれば、元はヒトなのだから話は通じるはずだ――それが平和的なものになるかは分からないけど。


「……人が闇堕ちして魔人だと? 巫山戯ふざけたこと言うな!」

「今まで一度たりとも魔人なんてもん、見たことも聞いたこともねえ! てめえ、テキトーなこと言ってんじゃねえぞ!」


 ミモねえとキャプテンの言葉に、魔人はふむふむと数度頷きコキリと首を鳴らし、左手指の爪先をぺろりと舐める。過剰に伸びた黒く鋭い爪はその表情も相まって、正しく忌避すべき生物だと私の野生が囁いた。少しでも虚勢を張りながら、舐められないよう語気を強めて問いただす。


「……なんとか言ったらどうなの!! 魔人ってなんなのよ!?」

「魔人とは? ですか……それはまた随分と傲慢な発言ですね。ヒト族……シロ族アルヴスが! クロ族ニグレオスを! 魔人にしたようなものでしょう!!」

「なっ! お前……何言ってやがる!?」


 大量の脂汗を垂らしながらミモ姉が声を荒げるが、ここまで狼狽える彼女は初めて見た。これは相当危険なモノと判断しているのだろう。かく言う私もそのヤバさを本能で感じているのだ。


 ――生命が惜しければ、一刻も早く逃げろ―― 


 本能が警鐘を鳴らす――が。


 本能の声なき訴えに、不思議と理性は働いた。

 理性は、眼前の魔人の言葉一つひとつを冷静に捉え、少しでも解き明かせと本能に詰め寄る。

 

 ――少しでも時間を稼ぎ、魔人とは何なのかを奴の言葉から推測し、その欠片を組み上げろ――


 理性は本能を説き伏せ、そして動き出す。


 コイツは特定の誰かではなく『がコイツを魔人にした』と言った。つまりヒト族そのもののせいで魔人が生まれた……?


 しかもしれっと『私たち』とも言った……コイツ以外にも魔人はいると暗に仄めかしている……?


 シロ族アルヴスクロ族ニグレオス……? こればかりは全く意味が分からないが、とにかく魔人は私たちヒト族をシロ族アルヴス、自分をクロ族ニグレオスと呼称した。

 しかしながら、私たちが住むティグリス村を含めたタイゴニア神獣国、ひいてはこの大陸においては、ヒト族と獣人族の二種族が『知性があり言葉と道具を使う文化的な生物』と言われている。この二種族以外にそういった生物は確認されていないはずだし、私自身も寡黙にして知らない。


 みんなの顔を見やれば、全員が『魔人とは何なのか』『何を言っているのか分からない』といった面持ちで魔人を睨め付ける。


 個々で思考の深度は違うだろうが、何かしらの仮定を推測しているはずで、もし話す機会――生きて帰れるかはさておき――があれば、ギルドも含めた話し合いの場を設け、解明を急いだ方がいい。


「そこの人外のお嬢さんはそこそこ理解しているようですね……しかし! 根本を全くご存じないようです。おそらく巧妙に隠匿されてきたのでしょう……そこの貴方! そうそう一番背の低い華奢な貴方――」

「ぼ、僕っスか!? な、ななななんでしょう!?」

「そうです。アナタ、魔法を使いますよね?」

「は、はぁ……そう……です……っ」


 不意に木の棒を向けられて狼狽し、つい敬語で応じるヴァニアンさん。

 ふとキャプテンを見やれば、顎で「ちゃんと対応しろ」と返し、ますますヴァニアンさんの狼狽ぶりに拍車がかかった。


「魔法、貴方はどうやって発動していますか?」

「そ、それは、体内にあるマナ……を魔力に変換……効果をイメージしながら特定の詠唱、もしくは魔法名を唱え、杖……などの魔力伝導率の高い武具や装身具を媒介に……発動させます……」

「そうです正解です……が! そもそもマナを使って魔法を行使すること自体が大間違いです!」


 は? コイツ何言ってるんだ? 私は魔法は使えないけど、魔法の知識くらいは当たり前に持っている。ヴァニアンさんの説明はどこもおかしいところはない。念の為「そうですよね?」といった視線をもう一人の魔法使いであるヒーラーのアンジェさんに向ければ「うんうん」と高速の首肯で返される。


「何も知らないというのは実に罪深いものです……では! 親切なワタシが無知な貴方方に教えて差し上げましょう。魔法とは! マナではなく! 魔素を使うのです! このように、ね!!」


 コイツ――魔人は高らかに叫びながら、手にした木の棒を天に向けて掲げると、青白色の炎のような物が発現する。それは不定形から徐々に球体となり、そしてゴウゴウと唸りを上げながら巨大な炎球に姿を変えた。


 でも今はそんなことどうでもいい。いや、よくはないけど、魔人がさらっと言った『魔法はマナではなく魔素を使う』って……魔素って一体……何!? ますます頭の中に未知の言葉が付加されていく。


「む、無詠唱!? ヴァニアンくん、あなたあんなことできる?」

「驚くところそこっスか!? というか魔素ってなんスか!? 聞いたこともないっスよ! それよりあの炎……色も大きさもおかしいっス!」

「知らないなら教えて差し上げましょう。貴方方の使う火炎魔法はせいぜい赤や橙の炎でしょうが、正しく魔法……魔素を使えばこのようにより高温かつ大きな炎球に出来るのです……よ!」


 魔人が木の枝をふっと振り下ろすと、炎球は私たちの頭上を通過し、背後の樹木をたちまち黒焦げにした。辺りは焦げた匂いが立ち込め、漂う大量の黒煙は一時的に視界を遮った。

 

 そんな不利な状況を逆手に取って、黒煙に紛れ飛び出したのは、一対の双剣。


「もう話はお終いだっ! くたばれ!!」


 愉悦の表情に浸る魔人に、一瞬のうちに斬りかかるキャプテン。

 しかしその刃は魔人に届くことなく、で、あっさりと摘まれてしまった。


 嘘でしょ? あの剣はじっちゃんの業物だよ? 『過斬の鍛治士』が打った逸品だよ!? それを視界の悪い中、二本の指だけで摘んだ!?


 ……そうか、そういうことか。思い出したよ。確か魔獣は『物理攻撃が効かない、逆に魔術が効かない、はたまた穢れた魂を浄化するしか斃す術がない魔獣もいる』んだった。コイツは魔人だけど、似たようなものなのだろう。その推察は、嫌な汗をかくには充分すぎるものだった。


 つまりコイツは『物理じゃ斃せない』かもしれない、ということ!?


「なっ! と、止めやがった!?」

「どけキャプテン! なら私が引導を渡してやる! ……殺戮剣劇第二幕! “激咬蟲ノ円舞デスタランテラ”! 開演!!」


 ミモ姉が吼える。

『古強者の斬滅剣』はその刀身に黒紫のオーラのようなものを薄らと纏い、瞬時に魔人へと詰め寄った。鳩尾に重い一閃を水平に叩き込み、そのまま左回りに旋回する。

 コマのように数度旋回し、元いた場所に跳ぶように戻ると、魔人の皮膚からはうっすらと血のようなものが滲むが、致命傷はおろか、ダメージもあまりないように見受けられた。それが証拠に、痛がる様子もなく魔人は腹部に手をやり、滲む体液を指で掬い取り、すんと一つ匂いを嗅いだ。


「ふむ、毒系統の魔法剣術ですか。なかなか考えたようですが、正直あまり効きませんね」


 魔人は指に絡みついた体液をべろりとひと舐めする。その味を堪能したように長い舌はゆらりと動き、ニチャアと口角をいやらしさを孕みながらくいっと上げる。


「なっ! 激咬蟲ノ円舞デスタランテラ落ち死なないだとっ!?」


 激咬蟲ノ円舞デスタランテラがどういったもの技能なのか全容は分からないけど、ミモ姉の表情から察して、威力には自信のある技のようだった。しかしそれが大して効かず、横顔に絶望の影が差す。

 その様子はみんなにも伝わり、その場に立ちすくみ一歩も動けないでいた。


「ではそろそろこちらからもいきましょうか……っ!」

「!! っぐあぁぁぁ!!」


 ――それは一瞬だった。


 かろうじて私はプルクラの『鋭い視覚』のおかげでそれを追えたけど、身体が反応できなかった。

 あぁ……やはり私に足りないのは経験なんだ。ミモ姉の言う通りだった。


 魔人の鋭い爪先は、ミモ姉の右肩を難なく貫いた。


 彼女は激痛に耐えきれずその場に膝をつき、左手で傷を覆いながら苦悶の表情を浮かべる。手放した大剣は地に落ち、重厚な金属音を立てた。


 そんな時でも痛みに耐え、歯を食いしばり声も上げずに深くゆっくりと呼吸を整える。おそらく心拍数を上げないよう、出血を少しでも抑えようとしているのだろう。


 その姿にみんなの面持ちは絶望一色に染まる。あのAランク冒険者であるミモ姉を一瞬で戦闘不能まで追い込んだのだから。


 すかさずアンジェさんはカイセンさんの盾に守られながらミモ姉の元に駆け寄り、全力でヒール治癒魔法をかける。柔らかな光がミモ姉の右肩を包み、傷が癒えていく。ヴァニアンさんも魔人の次の行動に警戒して杖を構えるが、杖先、というか身体全体が小刻みに震えていた。


「そこの無駄に胸部の大きい貴女!」

「っ! わ、私……?」


 それまでヒール回復魔法に集中していたアンジェさんは、不意の指名に弾かれてクリスに振り向く。


「そう、貴女です。大剣の剣士さんの傷は癒えましたか?」

「え、えぇ……もう傷は塞いだ、わよ……」

「そうですか、それは何より。では! 皆さんは少し大人しくしていてください」


 パチンッ!


 小憎らしさをひけらかすかのように、大袈裟なジェスチャーで指を鳴らす魔人。

 すると、みんなの身体がびくりとひとつ跳ね、そのままの姿勢でピクリとも動かなくなる。


「なっ! こ、これは……拘束魔法フィジカルバインドか!?」

「その通り! 本当なら五感も拘束、と言いたいところですが、魔素の少ないこの森ではそこまでは無理なようです……ただし、大剣の剣士さんはいささか強すぎます。身体拘束は強めさせていただきますよ?」

「! ……ぐ、ぐあああぁぁぁっっ!!」

「み、ミモ姉っ! ……お願い! や、止めて!」

「残念ですがご希望には添えません……ね!」

「!!! あああぁぁぁっっ!!!」


 一層強く拘束されたミモ姉の身体は、不可視の鎖のようなもので締め付けられ、大量の脂汗を垂らしながらついに地に倒れ込んだ。


 私の大事な、家族同然の人。少しアレなところもあるけど、いつだって私を慮ってくれる彼女。時に厳しく、時に優しく私を正しく導いてくれるミモ姉。


 割れて砕けそうな程に奥歯はミシミシと鳴り、頭蓋を伝わり身体中をも震わせる。握った拳はあまりの強さに……ん?


 もしかして、私だけ拘束魔法のかかりが弱い? 試しにと右肩を小さく回せば、思った通りに動く。ならば次は腕、足、背中と順番に力を込めると、十全ではないが動かせる。

 魔人に飛び掛かるくらいはできそうだが、今の状態では飛びかかるまでしか出来無さそうだ。だったら向こうから来てもらうしかない。

 できるだけ挑発してみるか……。


「よくもミモ姉を傷つけたわね……いや、お前にこんな言葉遣いしてやる必要なんかないか……よくもやってくれたなテメェ! 生きて帰れると思うなよ!」

「ふむふむ。なかなか威勢のいいお嬢さんですね。失礼ですが貴女、お名前は?」

「ヒトに名前を聞くなら先に名乗れ!」

「……まぁいいでしょう。私は――」


 名前があるのかも疑わしい魔人は、ついにその名を口にした。

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