046 - 魔獣!?

 俄には思考の整理が追いつかない眼前の動物――とすら結論づけることのできない異様な生物なにか


 私はこのメンバーの中で、唯一活きのいい状態でこの生物と空中で接敵していたから、少しはその異様さに気づいていたが、こうして目の前で相対すれば、ますますその異様おかしさ――さっきまでとは大きく姿を変えた生物に、身体中が自然と強張った。


 まずゴブリンモンキーはサルの仲間だが、サルといえば背筋を丸めて前肢を地に付けている、というのが通説であり、多くのヒトがそう認識している。

 しかしこの生物は背筋を真っ直ぐに伸ばし、ヒトのように二足で直立しているのだ。そして何より通常の――資料室で得た知識に過ぎないが――ゴブリンモンキーよりも大きく、キャプテンよりも上背があり、おそらく2メルトは優に超えている。


 腕はサルらしく身長に比べ長く、右手には粗末な木の棒を握っている。そして体毛も、これまで斃した個体とは違い、より闇夜に近い緑黒色に染め上げられていた。


 ――そして。


 六人の好奇な視線も意に介さないこれ生物は、通常の動物ではあり得ない『翼』を、誇示するかの如く緩慢にはためかせ、その姿はまさに異形そのもの、だ。

 翼のある動物といえば蝙蝠だが、これはそれとも違っていた。蝙蝠の翼は飛翔の目的で形を変えた『腕』である。しかしこの異形の持つ翼は背中から生えていて、腕とは完全に独立している。


 一定の距離を置いて睨み合う両者。隙を突いて私の眼球はメンバーの顔をつぶさに捉える。その顔には畏怖や戦慄とも言えない表情が浮かび、一様に汗が滲んでいた。


 静かな一進一退の空気の中、静寂を破ったのは――。


【キャキャッハッハッ……カッカテ……コヌ……ノイクヮ?】

「「「「!!」」」」

「なっ! こ、こいつ……喋りやがった……のか?」

「……あぁ。おそらく、な」


 同種同士であれば鳴き声や動きなどで意思疎通は取るが、コイツは明らかに他種である私たち『ヒト』に向けて喋っている。何を言っているのかは分からないけど、こちらに向かって意思を向けていた。


 であれば、と口を開いたのはキャプテンだった。


「お前……俺たちの言葉がわかるのか……!?」

「? アァ……コノカダラデワウナクサベレナイクヮ……シタカグヮナイクヮ」

「おい貴様……何言って……」


 この異形の生物――もはや魔獣と考えて間違いないそれは、目一杯広げていた大きな翼を、大きくバサッ! とひとつ羽ばたかせ、浮かんだまま膝を抱えて丸まり、その翼で全身を覆い隠した。まるで黒い繭、といったそれは、空中に浮かんだままグチャリグチャリと湿った音を鳴らし、そのたびに腐敗臭のような匂いを放つ。


 一体、私は――私たちは何を見せられている?

 これが魔獣というものなのか? 


 ひとときもまばたきを許さない光景。言葉も出せない私は本能で、縋るべき相手――ミモねえに言葉を求めた。


「あんな奴、私も初めてだよミア……。辛うじて正気を保ってる有様だ」

「俺もあんなの初めてだ……相当ヤバそうだぞ……っ!」


 横で双剣を構えるキャプテンが続けた。

 心なしか、二つの切っ先が細かく震えている。ミモ姉の大剣ですらも、だ。


「! つ、翼が開くっスよ!」


 それまで全身を包んでいた濡羽色の翼がゆっくりと開き、あるべき位置に還っていけば、その全貌が露わになる。


 全身を覆う緑黒色の体毛は全て失われ、代わりに翼同様の濡羽色の肌が剥き出しになる。身体は細いが要所の筋肉は隆々としていて、無駄なく削ぎ落とされ鍛え上げられた肉体、といった印象だ。

 何より大きく変化したのは顔だった。それまでの如何にも獣然としていた顔は、体表同様に濡羽色なものの、造形だけを切り取ってみればヒトそのもので、僅かばかりの嫌な親近感が頭をよぎる。

 ただ、耳はヒトと大きく異なっていた。大きくピンと尖ったそれがピクリと動けば、抱いた親近感は一瞬に霧散した。


 魔獣は左手で頬から顎、そして大きく裂けた口元を数度摩ると、ニチャァとその禍々しい口を開いた。


「……これでまともに話せそうです」


 流暢に喋った!? 聞き間違いじゃないよねとみんなの顔を窺えば、全員が同じ感情を抱いたようで、狼狽えた首肯が図らずも重なった。


「て……てめえ! なんなんだ……!?」


 キャプテンは辛うじて言葉を発するが、最低限のことしか出せないでいた。私も頭では色々思考を練り上げようとするが、そもそもこれが何なのかすら理解を超えていて、一向に纏まらない。


 そしていつも冷静に思考し、迅速に次の行動を指し示してくれるミモ姉ですら、目の前の事象に的確な対処ができないようだった。普段の彼女なら、少しでも情報を引き出すような台詞を言うはずなのに。


「ま……魔獣風情が何言ってやがる!?」


 その台詞に、ミモ姉に対する期待は過剰だったのかと思い直す。

 いやいや、今はそんなこと考えてる場合じゃない!

 というか、この魔獣、口調が流暢すぎないか……?


「……貴方方は『魔獣』をどのように定義されてます? では……はい! そこの二本の剣をこちらに向けてる――」

「! お、俺かっ!? ……これは俺というより俺たち……ヒトの総意だが、魔獣というのは『動物が何らかの理由で闇堕ちして大型凶暴化、ヒトを理由なく襲うようになったもの』……そう言われてるがな」

「ふむふむなるほど……では、大剣から殺気を垂れ流してるそこの貴女はどうです? 他に魔獣について何かご存知ですか?」


 次いで魔獣はミモ姉を、右手に持った木の棒を向けて名指しする。

 聞けば聞くほどコイツの口調は、とてもじゃないけど魔獣とは思えない。ただ、コイツは魔獣からも逸脱した存在なにか、というのは肌でヒシヒシと感じる。というかもはやこいつの大元たる動物は、本当にゴブリンモンキーなのか……? ということすら疑わしい。


 ようやく平静を取り戻した――ように見せかけてるだけかもしれないが、ミモ姉は静かな口調で話し始めた。


「魔獣とは? ってのはこいつ……キャプテンと同じ認識だな。他に知ってることと言えば『魔獣の素材から作った武器防具は元の動物素材で作ったものより性能が上がる』だな……てめえ、そんなこと聞いてどうするつもりだ?」


 キャプテンとミモ姉の魔獣に対する認識は、私がギルド資料室で知った知識そのままだった。あえてそれに付け加えるなら『動物が魔獣化する原因は不明』というくらいだと思う。


「なるほど……概ね間違っていませんね。というより正解です……では次の質問です。なぜ動物は魔獣化するのでしょうね? ……はい! じゃあそこの小さい貴女! 貴女なら分かるんじゃないですか? どう考えても貴女『人外』ですよね? じゃないとあの跳躍はヒトでは無理でしょう?」

「!」


 唐突に木の棒を向ける魔獣に一言も返せない。まぁあれだけ派手に樹上まで跳躍したし、踵落としを喰らわせたからそう人外と言われても詮無いことだけど、今は本来の姿に戻しているし、人獣化ヒュムニマルは見られてないはずだ。というか、どう見てもコイツの方が人外……人外?


 考えろ考えろ。

 頭と身体をフル稼働させて。

 考えろ!


 ふと浮かんだ荒唐無稽な可能性が頭をもたげる。

 ……いやいやそんなことあるわけがない。そんなことがあったのなら、この森は、ティグリス村は、この国はどうなる!?


「私はヒトだよ! ただ技能が少し特殊なだけ! って……もしかして――」

「――ようやく気づきましたか……おかしいですよね? ヒトはなぜだと思ったのでしょう?」

「てめえ……何が言いたい?」


 ミモ姉は語気を強めてそう言ったが、実のところは私と同じ推測をしたはずだ。ただ、コイツから言質を取り、それを結論としたいのだろう。

 そしてみんなもきっと同じ結論に至っているはずで、一様に固唾を飲んで、眼前でほくそ笑む魔獣の言葉――聞きたくも信じたくもないその言葉を待っていた。


 やがて魔獣の口が開き、恐れていたこと結論が吐き出される。


「動物……獣が闇落ちしたのが『魔獣』。ヒトが闇落ちしたのが……そう! 『魔人』です! ッハァッハッハッハーッ!!」


 その魔獣、いや魔人と称した異形は、天に向け、全てを嗤い飛ばした。

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