040 - 樹上の敵

 遥か頭上でこちらを嘲笑う薄汚いサル――ゴブリンモンキーは、相変わらずこちらに降りてくるでもなく、ひたすら不快極まりない奇声を樹上から撒き散らしていた。


「20メルトくらいか……アンジェ、お前の弓、届くか?」

「そうねぇ、止まってる的ならギリギリ。でも、動いてるでしょう?」


 ゴブリンモンキーたちは、奇声を上げつつ枝を自在に跳び移りながらこちらの出方を窺っている。

 私なら枝を足場に何回か跳躍すれば届くけど、ざっと数えたところ15頭は確認できたから、そこに突っ込むのは良策ではない。


 じゃあ小さくなって悟られないように……? いやそれも危険だ、自ら死地に赴くようなもの。じゃあどうする?


 焦れる私に擦り寄る、暖かく真綿のような感触。

 言うべくもない、プルクラだ。何か方策があるのか、みんなの顔をぐるっと見回して、 


「みんなウチにおまかせなのー!」


 確信めいたその目には「ウチなら出来る」そんな自信が窺える。


「お前がやれ戦えるのは分かるけど、いくらプルクラでもあの高さは――」

「あそこからおとすのー!」

「おいおい、俺はお前のことはよく知らねえが、出来んのか……!?」


 驚き戸惑うキャプテンをよそに、プルクラは天に向かって頭をもたげ、大きく呼吸、そして双眼がぎらりと光を帯びる。


【グルルゥアアァオオゥーーッ!!】


 初めて背中に乗ったあの時のような、とんでもない圧を咆哮と共に吐き出した!


 前よりもさらに威力を増したそれは、太い大樹ごと根元から激しく振動させ、大気、数え切れない無数の緑、そして大地をも揺らす。

 あれだけ大きな咆哮にも関わらず、こちらの耳には一切影響がないのが不思議だが、確かに樹上のゴブリンモンキーたちには届いていた。


【【【Gyagyoooーーーーーー!】】】


 脳を揺さぶられ平衡感覚を奪われたゴブリンモンキーたちは、覚束ない足元の枝にバランスを崩し、熟れきった果実のように次々と面白いように落ちてきた。

 そんな好機をみんなは逃すはずもなく、一方的な蹂躙を開始する。


 先陣を切るキャプテンの、凄まじい風圧を孕む狂った双剣は――


「“堕儚屠蓮斬!”」

【【Gyogyowooo!!】】


 ――躱す隙も与えず二頭の首を落とす!


 カイセンさんのカタナソードと足捌きは、流麗な軌跡を描き――


「“龍葬刀戯・血雪霏霏達磨!”」

【【Gyu……?】】


 ――自覚させる間も無く二頭の四肢を切り落とし、血飛沫が粉雪のように舞い散る!


「大地に溺れ泥水を啜れ……“ピートスワンプ!”」

「かーらーのーっ! “エアロフェルム!”」


 アンジェさんの拘束魔法で土中深く飲み込まれ、首だけを晒されたゴブリンモンキーに、ヴァニアンさんの風魔法が刃と化して首を狩り、六つの頭を大地の贄と変える!


 そして――。


 満を辞して嵐のようなミモ姉の剣劇――一人芝居の幕が開く。


「殺戮剣劇第一幕! “噴血ノ円舞ブラッディワルツ”! 開演!!」


 華麗でいて残酷。『古強者の斬滅剣』の円舞は、縦横無尽かつ無秩序な軌道を描き、三頭の腹部を斬り伏せ上下半身を両断する!


 残された二頭は、目の前に繰り広げられた惨劇になす術もなく後退り、逃走を図ろうとするが――


グルゥアアッ!ウチがらくにしてあげるのー


 ――プルクラの鋭い爪の横薙ぎで、まず一頭の首がぼとりと落ちる。

 包囲された最後の一頭はもはや戦意喪失。小さく震え怯えている。


「コイツどうする? どう見ても通常のゴブモンじゃないぞ?」

「ミモザの言う通りだな……生け捕ってギルドで精査させるか?」

「然り。キャプテンの提案、某も同意である」

「どうやらボスはこの中にいないみたいねぇ?」

「逃げられないように脚の腱でも斬るっスか?」

「おいしくなさそうなのー……」


 勝敗が決したこの状況の中、場違いなほどの冷静な議論が行き交う。ゴブリンモンキーに遭遇した経験がない私は通常個体と比較できず、自ずと聞き役に回った。

 アンジェさんの『ボス個体がいない』という言葉に、一抹の不安がよぎる。みんな少し警戒を怠っているように見えるけど、大丈夫かな……。


 そんな緩和した空気を読んだのか、窮鼠ゴブモン誰かを噛むべく奇声を上げて立ち上がる!

 隙をついて跳び掛かった先は……私!? ネコ目だからって私を律儀に選ばなくてもいいでしょ!?


「ミア!」「ミアちゃん!」「くそっ!」「あーっ!」「何っ!?」「母さまー!」


 声を浴びた肝心の私といえば、急襲にも戸惑うことなくみんなの声を鮮明に聞き分けていた。火を見るより明らかな絶体絶命の状況にも関わらず、だ。


 こういう状況下に晒されると、ヒトは反射と思考、五感が鋭敏・加速すると聞いたことがある。そして私のそれも今まさにそうなっていた。それに加えて速い動きすら捉えられる今の私には、実はそれほど脅威も感じていない。


 どう動いたら回避できるのか。

 どうしたら反撃に転じられるのか。

 どう仕留めたらいいのか。

 何で仕留めたいのか。


 刹那に全てが頭に組み上がり、答えを導き出す。

 あとはそれを本能で書き出し読み上げるだけ!

 ミモ姉に許可なく技能を使うけど、今なら許されるだろう。


「“人獣化ヒュムニマル管猫女王ノ型モード・チューブキャット”!」


 瞬時に両腕は肥大し、手にしたジャンビーヤは不釣り合いなほど華奢になる。

 もはや凶器と化した私の双腕に武器は不要。二振りの異形を一時腰へと戻し、真正面から飛びかかる――もはや静止しているようにしか感じないゴブリンモンキーの頭を片手で握り捕らえる。


【GeGyaaaaaa!!】


 このまま握りつぶすのは造作もない。それは十全に理解していた。

 

 ただ私の野生がそれは違うと囁く。

 断末魔にはまだ早いと。


「ミア! っちまえ!! 思うように!」


 ミモ姉の言葉の通り、思うように、やりたいようにろう。

 そして私に勝ち鬨の咆哮を寄越しなさい!


 右手に握られ暴れるゴブリンモンキーの抵抗の声も聞き入れず、そのまま右腕を限界まで振りかぶり――この状況に似つかわしくないほどの蒼天に向け、力の限り投擲する。


 重力に逆らうサルの砲弾は一直線に上昇を始めるが、私はそれを決して逃さない。そのまま樹木を駆け上がるように跳躍し、最後に大きく跳んで遥か上空で捉える!


 もはや戦意喪失なコイツに、僅かばかりの慈悲と祈りを他向けの花に。


 両手を合わせ指を折り、森を、そしてチューブキャットの営みを荒らした悪しきサルの土手っ腹に向けて、渾身の祈り双拳を振り下ろす!


管猫双拳槌撃破チューブキャットハンマー”!」

【GyoooAaahh!!】


 ズザザザザーッ! と木々の葉を鳴らしながら加速し落ちていくゴブリンモンキーを真下に捉えながら、私は自由落下に身を任せる。


 ドゴォアァァァン!!


 大地を凹まし土にめり込む惨めなサルへ馬乗りに着地すれば、さらなる衝撃で目に付くもの全てが怯えるように震えた。


「ミア……ミアっ! ソイツまだ息があるぞ!」


 背中越しにミモ姉の声を受け止め首肯で応じ、最後の仕上げに取り掛かるべくまずは腕の技能を解除、ゆっくりとジャンビーヤを腰から抜いた。


 初めからこの二振り、いや一対の短剣の使い方を端から理解していたかのように、柄に施された細工――『錠と鍵』をカチャリと嵌め合わせれば、異形はさらに異形を成した。戦闘で使う刃物ではないが、冒険者はおろか、誰もが知っている身近で便利な刃物――鋏だ。それが今、最凶の得物と化し、対象の獲物に牙を剥く。


 バチバチバチィィィッ!!


 刀身から凄まじい電撃が迸る! 時折青白い雷光を放つジャンビーヤ――大鋏形態シザーズモードの持ち手を入れ替え、意識を手放し横たう獲物の首を挟むようにきっ先を地に立てた。そして交差した両腕を容赦なく真横に絞める!


「“獣双咬鋏斬オセロット・シザーズバイト”!!」


 ジョギンッッッ!!


 電撃と鋏撃を喰らったゴブリンモンキーは全身をピクピクと脈動させ、そして――頭と身体が無情に分かたれた。私の顔に、夥しい鮮血を吹き付けながら。


 ――息と心臓が跳ねる。両肩も大きく上下する。


 肉体的にはほとんど疲労を感じていないのにも関わらず、だ。


 初めての戦闘、初めての討伐。普段森の浅部でプルクラのご飯を狩ることはあるけど、あれとはまるで感触が違う。


 そうか、これが命のやりとり、というやつなんだな……大鋏形態シザーズモードを解除し、額に滲んだ玉の汗を手の甲で拭い、ゴブリンモンキーの血と共に地に振るい落とす。ビシャッと水気を帯びた音が、ようやく私を現実に引き戻した。


「ミアっ! すごいなお前! それ鋏だよな! な!?」

「いやミモザ……これすごいじゃ済まんだろ……? ヴァニアンどう思う? あの電撃は付与魔法みたいなものか?」

「そうっスね……でもミアさんは魔法は使えないんスよね?」

「は、はい。水すら出せません」

「でも明らかに雷の付与がされてたようにしか見えないのよねぇ……」

「然り。あれは目の錯覚でもなんでもなく電撃でござろうな」


 そう言われて、改めて足元に転がるゴブリンモンキーを見る。


 完全に頭と身体が両断、その切り口からは焼けたような匂いが漂う。体毛の隙間からはぷすぷすと煙が立ち、頭を見れば両の眼球が惨たらしく飛び出していた。まるで焼き具合も完璧な肉料理のような、香ばしいを辺りに撒き散らしていた。


「あらあら、かわいい顔が台無しね。ちょっと待ってね……」


 アンジェさんは肩掛け鞄の中から手拭いを取り出し、私の顔を優しく拭う。随分派手にやったわねと手拭いを見せられれば、返り血がべっとりと付いていた。


「本当なら『クリーン清拭浄化』の魔法をかけてあげたいのだけど、今は魔力を温存しておきたいの、ごめんね」

「いえ、これで充分です。ありがとうございます」


 身体を見渡せばそこまで返り血は浴びていなかったので、あとは自分の手拭いで身体と、ジャンビーヤの生臭い汚れを拭き取った。


 さてこれからどうするんだろうと私たちの戦闘主力であるミモ姉とキャプテンに振り返る。


「キャプテン、ひとまず15頭は仕留めたが、これからどうする? しばらく先に進むか?」


 ミモ姉の言葉に少し考えたキャプテン。あの狂者のような剣戟とは裏腹に、彼は分析や立案に長けているようだ。


「だから『賢明なリーダーキャプテン・センシブル』なんスよ!」


 歯を見せて笑うヴァニアンさんは相当キャプテンを信頼しているようだ。信頼できる先達がいると頼もしいから、そのぶん自分の仕事に集中出来るよね。私にとってのミモ姉やプルクラのようなものだ。


「そうだな……他のグループがどうなってるか知りてえな」

「あぁ同意だ。なら――」

「それは我らにお任せくださいませ」


 唐突に地面から聞こえた声の主――シリンディアは自慢の長いヒゲを繕いながら頭だけを出し、静かな声音を奏でた。

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