037 - 討伐に向けて
「――というわけで、我らの何割かが命を落としましたわ」
「そうか……そりゃ難儀じゃったのう」
「それもそうですが、チューブキャットの皆さんが森で
「えぇ。構いませんわ」
やはり『正体不明のゴブリンモンキー』はギルドとしても捨て置けないことのようで、ブリッツ師匠も後から呼ばれ、対策会議が始まった。
そんな場にFランクの私が同席していいものかと伺えば「採掘場の水の件が解決しとるのならもうDランクじゃよ」というバイラン様の一声で昇格が決まってしまった……やったね!
通常、生き物は他者を襲うためだけの行動、つまり『生きるために不要な行動』はしない。肉食動物は自分より弱い動物を襲うが、それはあくまで『生きるために必要な行動』であって、不要な殺生は決してしないのだ。
そしてゴブリンモンキーも御多分に洩れず、そうした行動は決して取らない『普通の動物』で、本来はむしろ果実や広葉樹の若葉、昆虫などを主食とした雑食性。つまり、捕食のために他の動物を襲うというのは考えづらいことらしい。
「取り急ぎ調査として依頼を出しましょう。パーティー数は3ほど考えてますが、ギルマス、よろしいでしょうか?」
「あぁ、それでいいじゃろ。で、ミアとミモザ、プルクラとシリンディアは調査後に、討伐隊として参加……で良いな?」
「はい。森が危機に瀕してますから。私たちももちろん参加します」
「任せとけって! 私らならいけると思うぜ!」
「まかせるのー!」
「我ら種族一同も協力は惜しみませんわ。そもそもこれは我らの問題――」
言いかけたシリンディアの言葉に被せて決意めいた台詞で返す。
「違うよシリンディア。これは私たち……ううん、森とこの村みんなの問題でもあるんだよ。だから力を貸して?」
「! ……感謝いたしますわ、ミア様、皆様」
恭しく頭を深く下げたシリンディアの目に、一筋の涙を見たような気がした。
† † † †
「しかし、腑に落ちないのは、どうしてチューブキャットのみを襲うのか、だ。アルビはどう考える?」
「そうですね……私にもまるで見当がつきません。そういった『特定の種を脅かす種がいる』という報告はギルドにも一切ありませんから」
「わしも魔導師は長くやっとるが、ギルマスとしては経験が少ないからのう。ミモザは何か知らんかの?」
顎に手を添え、長考していたミモ
「いや。私もそこそこ冒険者やってて、いろんな街にも行ったけど、聞いたこともないな……ってまさか『魔獣化』してるんじゃないだろうな!?」
「魔獣……っ!」
「そうじゃな。その可能性は捨てきれんじゃろ……いや、そのつもりで対策しておくのがいいじゃろうな」
魔獣。
ミモ姉からは「何度か魔獣と戦ったことがある」と事あるごとに聞かされていた。武勇伝というにはあまりにも危険なその話に、ミモ姉がいてくれてよかったと何度も思ったものだ。彼女といれば怖くない、そう小さな頃は思っていたけど、まさか自分がその魔獣と相対することになるかもしれないなんて、当時は想像だにしていなかった。
「少なくとも『魔獣化したゴブリンモンキー』の討伐例はどのギルド支部にも報告がありません。とにかく細心の注意を払って、としか言えないのが心苦しいです」
「確か動物が魔獣化すると『凶暴になる。目つきが鋭くなり赤く充血する。牙や爪なんかに毒を持つヤツもいる。そして身体も大型化する。人を襲うようになる』んですよね? 成人の儀の夜にじっちゃんからそう聞きました」
かつてじっちゃんも魔獣化した家畜のヤギと戦ったことがあるって言っていた。元が家畜だから大したことはなかった、とも。でも今回は魔獣化した野生動物のゴブリンモンキー。何をしてくるかも全く分からない、全くもって未知の生き物なのだ。
気づけば拳を握り締め、身体中が強張っていた。
そんな私を憂うのはやっぱりミモ姉その人だ。私の手を取り、優しく拳を開き、汗に濡れた手のひらも気にせず強く握る。私もつい握り返した。
俯き気味の私に視線を合わせるように顔を寄せる彼女。
「怖いか?」
「う、うん……」
「……そっかーこわいかー! でもな。最初は怖いくらいの方がいいんだ。勇敢と無謀を履き違えて死ぬ
「ミモ姉……うん! わかった」
「よし、いい子だ」
言って雑に頭を撫でる彼女の剣ダコだらけの手に、心のざわつきが霧散したような気がした。
† † † †
あれから三日が経った。
シリンディアはその間ずっとビャッコの森に篭りきりで、管猫伍衆の全隊を率い、討伐対象のゴブリンモンキーの捜索指揮を執っていた。その代わりに管猫伍衆・甲の副長であるブラボーが、他の管猫伍衆の隊長を連れてきては私たちに『面通し』と称して訪れつつ、森の状況を逐一報告してくれた。
正体不明のゴブリンモンキーとその群れの規模は、約50頭前後、というところまでは突き止めたらしい。ただ、如何せんお互いの生活圏が違いすぎて、大まかな活動拠点――それでもヒトの索敵能力と比べれば充分すぎるほどに――までしか掴めなかったと消沈していた。
一方冒険者ギルドでは、ビャッコの森捜索のパーティー編成が決まり、チューブキャットの情報を元に森へと捜索に向かった。
ティグリス支部には唯一のAランク冒険者であるミモ姉以下、数人のBランク冒険者が在籍しているが、そのいずれもがこの捜索に加わっているらしい。もちろん私、ミモ姉、プルクラ、そして現地で動き回っているシリンディアで編成されたパーティーも、先行捜索に向かったパーティーの帰還報告を待ち、その後の討伐隊の一角として参加する。
† † † †
「ミア。ちょっとこっち来い」
不意にじっちゃんから呼ばれた私は、槌の音響く作業場に立ち入った。
「じっちゃん、何か用?」
「これ、ドルドのところに持って行け。胴具も忘れるなよ?」
無造作に後ろ手で渡されたそれは、手のひらほどの背の低い盃のような金属小鉢が一つ。
普段じっちゃんはこういった器の類は滅多に作らないのだが、これは間違いなくじっちゃんの作で、裏を見ればじっちゃんの銘が彫り込まれていた。
「これ何?」
「お前、討伐に行くんだろ? それはな、ミアの胴具の左胸に付ける
「じっちゃん……」
採掘場で採れる琥珀鉱にも実はランクがある。我が工房で主に使うのは純度がそこそこのもので、中級と呼ばれているものだ。でも、じっちゃんがこの胸当てに使った高純度の琥珀鉱は高価なもので、これ以外で使ったのはミモ姉の『古強者の斬滅剣』と他少数しかない。しかも剣ではなく胸当てに使うなんて……。
背中を向けたままのじっちゃんに「ありがとう」と一言だけ述べて、ドルドじいちゃんの防具屋へと急いだ。
じっちゃんの胸当てを受け取ったじいちゃんは、角度を変えつつ爪先で軽く叩く。裏返して彫り込まれた銘を見つけ、口元がへの字に変わった。じっちゃんは、よほどな業物じゃないと銘を入れることはないと、じいちゃんも解っているからだ。
「兄貴の奴、随分と気合い入れやがったなぁ。それほどヤバい討伐なんだな?」
「うん……魔獣の可能性もあるってミモ姉が言ってた」
先日のこともシリンディアのことも、じいちゃんには包み隠さず話した。これまでも大事なことは全て、二人の祖父に話してきたから。
「そうか……よし待ってろ。ワシもとっておきを出してやる」
そう言って倉庫へじいちゃんは駆け出し、すぐに戻って来た。手には大きい嘴のようなものが二つある。
お互いをカンカンと打ち鳴らしたじいちゃんは顔に鋭さを浮かべ、一段低めの声音を発した。
「これはな。クロコダイタ
じいちゃんが言うには、亀の甲羅には名称があるらしく、頭から尾まで走る真ん中の部分を椎甲板と言い、形状も左右対称なため、甲羅の中でも特に高価な部位なのだそうだ。
この前作ってくれたオリノコバイソンの籠手に付けると言うので、籠手とじっちゃん謹製の胸当て、そして胴具を渡すと、疾風の如く作業場へとじいちゃんは消えていった。
半刻ほどの時間を待って戻ったじいちゃんは、改良を施した胴具と籠手を嬉々として私に手渡す。
胴具の左胸にはじっちゃんの胸当てが、籠手にはじいちゃんの甲羅が、初めからこういうモノだったと言わんばかりに、違和感なく取り付けられていた。
ただ、籠手を腕に固定する革帯が柔らかい素材に置き換わっていて、聞けばこの素材はこの前討伐してじいちゃんにプレゼントしたキワタリカメレオンの舌。とんでもないくらいの伸縮性があるらしい。
「じいちゃん……よく分からないけどすごいね」
「すごいだろう? それなら腕が太くなっても千切れないぞ。加工に苦労したからな……本来なら金貨十枚は取る代物だぞ」
「ちょ! 金貨十枚……?」
「あぁ。兄貴の胸当て込みだけどな」
先日Dランクになったばかりの私が、こんな高価な防具一式を使っていいものなの?
慌てふためく私の頭を、いつものように雑に撫でて、
「お前はワシら
「じいちゃん……っ」
久しぶりにじいちゃんの胸を借りて泣いてしまった。
じっちゃんじいちゃん。無事に生きて帰ってくるからね。それが冒険者として、二人の孫として出来ることだから。
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※:フォニクス神鳥国のごく一部の緩やかな河川、および小規模な湖沼に局地的に生息する大型亀。非常に獰猛な肉食亀で、その強靭な顎で中型哺乳類すら捕食することもあるという。あまりに大きな顎ゆえに、甲羅に頭を収納することが出来ず、代わりに厚い皮膚と強固な甲羅を有しており、武器防具の素材として重宝されている。その凶暴性と生息域の特殊さから捕獲は困難で、その素材は常に高値で取引される。(参考文献:官冥書房刊「危険生物五十選・淡水棲生物編」)
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