035 - 日常とは

 翌朝。


 昨日は色々なことがあったけど、そんな時こそ普段通りに、というのが私のモットーである。いつも通りの時間に起床、そそくさと着替えを終えて机上の神獣様の像に感謝の祈りを捧げ、隣の部屋に間借りしているミモねえを起こし、起きるのも確認しないままそのまま階段を降り、まずは鍛冶場へ続く引き戸を全開にし、朝の空気に入れ替える。そのまま店の扉も開け放つ。こうしてラキス家の空気は一新されるのだ。この作業を終えると大体時刻は六刻半あたり。

 

 台所に戻りカップ一杯の水を飲み干しそのまま顔を洗い、朝食の支度に取り掛かる。ラキス家の今朝の朝食は手間のかからない野菜スープと大きめのパン、そして大きめの肉焼き。朝食はしっかり摂るのがラキス家の家訓である。今朝はプルクラが仕留めたキワタリカメレオン肉をさっと塩で味付け。ミモ姉曰く『鳥の肉っぽくさっぱりした味』らしいので、少し多めの油で焼き上げた。


 大体の調理が終わる頃、まずはじっちゃんが奥の部屋からのそりと大欠伸おおあくびをしながら起きてきて、ボソリと朝の挨拶を述べながら鍛冶場へと向かい炉に火を入れる。そのまま裏庭の井戸に向かい、顔を洗ってようやく朝食の席に着く。ミモ姉は大体私たちが食べ終わる頃に、寝癖だらけの髪もそのまま怠そうに起きてくるので、その時に合わせ食器の用意だけを済ませておく。


 次いでプルクラの食事を手早く仕上げる。プルクラが待ちに待ったキワタリカメレオンのモモ肉を生のまま一口大にいくつか切り分けて、専用の金属鉢に放り込んでから、仕上げに適当に選んだ野菜を乱切りして投げ込み混ぜ合わせる。

 プルクラの小屋を建てた隣の借地――プルクラの庭と命名した――に続く扉をくぐり出て、上り切った朝日を浴びながら今だ起きる気配のない寝坊助プルクラの小屋へ朝食を抱えて向かう。


 これが私の朝の始まりである。

 そして今日も変わらない平穏を始めるのだ。


(今頃シリンディアも食事かな……)


 ビャッコの森に留まったシリンディアを憂い、プルクラを起こそうと小屋を覗き込めば、変わらない平穏は早くも終わりを告げる。


「……あら? ミア様は随分と早起きなのですわね?」

「母さまおはよーなのー!」

「お、おはよう……?」


 ……は? なんでシリンディアがここにいるの?

 夢でも見てるのかと両目を擦っても、変わらずチューブキャットの女王様は緩く丸まったプルクラの前肢を肘掛けにして、お上品にもたれかかっていた。


「えっと……色々聞きたいんだけど。まずどうやってここまで来たの?」

「それでしたら――」


 シリンディアがその太い爪で指し示した先には、小屋の床板を貫いた直径50センテほどの穴。

 床板は鋸で切ったかのように正確な円を描き、初めからそこにあった風を装っていた。


「――というわけで、森からここまで隧道トンネルを掘りましたの」

「一日でここまで掘ったんだ!?」

「えぇ、我とアルファで。皆様と別れた後に取り掛かりましたわ。場所は皆様の匂いを辿りましたから、さほど時間も掛かりませんでしたのよ」


 チューブキャットの恐るべき臭覚と掘削能力に舌を巻けば、


「ミア様にもきっと出来ましてよ?」

「そ、そっか。そうだよね……で、なんでそんな隧道を?」

「我も女王である前に子を持つ親ですから。隧道があればいつでも我が子らに会えるでしょう? あとは、この方がミア様とすぐに連絡が取れると考えたのですわ」


 母の愛は強し、ってことね。まぁ育児嚢にいる七頭の子どもたちにはチューブキャットの未来が掛かっているし、こうして気軽に会える手段があるのは悪くない。その方法には些か驚いたけど。


「最後に、女王様がこんなところに一人で来て、森の方は大丈夫なの? 仲間を探すんでしょ?」

「えぇ、それも解決しましたわ。サル共のせいで数は減らしましたが、それでも半数は我の元に戻って来ましたの」

「半分……ってどのくらい?」

「248頭ですわ」


 半数で248頭、つまり元々は500頭前後。

 たったそれだけで、あの広大なビャッコの森の水脈管理をしていたってこと? いくら掘削能力に長けているとはいえ、少な過ぎないだろうか。


 そんな私の疑問は、シリンディアの二の句で愚問に変わる。


「あくまで一つの群体が500頭前後。その群体が10ありますの。それぞれの群体を『管猫伍衆』が指揮を執り統率、水脈を管理してますの。各衆目の報告によると、被害の大小はあれど、群体総数は3000頭前後生き残ってますわ」

「さんぜんとう」


 ちなみに『管猫伍衆』にも階級があり、アルファを衆目とした最上階級の甲以下、乙から癸を冠した合計10の『管猫伍衆』があるらしい。

 聞くにつれチューブキャットという動物の、レベルの高い社会性が窺える。そんな数千頭の頂点にいる女王様シリンディアをテイムして、果たしてよかったのかな……。


 そんなことを考えていれば、プルクラが私の服の裾を咥えて引っ張り始めた。


「母さま……」


 いつになく寂しそうな顔を浮かべるプルクラ。いつも楽しそうな尾は鳴りをひそめ、地面にくたりと下ろしている。ここのところ何かと慌ただしくて休む間もなかったから疲れちゃったのかな。


「どうしたのプルクラ。具合でも悪いの?」

「……おなかすいたのー!」

「「……あ」」


 シリンディアと話し込んですっかり忘れてた。

 慌てて抱えたままの金属鉢を差し出すと、待ってましたと言わんばかりにもしゃもしゃと食べ始めた。ごめんねプルクラ!


「そういえばシリンディアは食事は? まだならプルクラと同じものなら用意出来るけど?」

「いえ、我はここに来る道すがら頂きましたわ」

「そうなんだ。チューブキャットって何が好きなの? 今度用意しておくよ」

「好きというより、我らは昆虫しか頂きませんの」

「こんちゅう」


 そっかー昆虫かー。確保が大変そうだなー。

 昆虫は苦手じゃないけど、シリンディアが満足するほど集められる自信がないし、そもそも昆虫と言ってもたくさんの種類がいるから、そこからピンポイントでこの昆虫、と言われても正直困ってしまう。


「ウチ、むしにがくてきらいなのー……」

「プルクラは虫、食べなくていいからね!?」

「えぇ。あの苦味は大人の味ですもの。無理しなくていいんですのよ?」

「おとなのあじ」


 大人の味はさておき、シリンディアがこの先我が家で暮らすなら、昆虫確保が問題になる。昆虫といっても動物以上に多種多様だからなぁ。


「それならご心配なさらず。我の従者に運ばせますから。それもあっての隧道ですもの」


 さすが女王。ならシリンディアの食事は大丈夫だね。そんなことを話しているうち、ミモ姉が庭に姿を現した。


「おはようミア……ってなんでシリンディアがいるんだよ! どっから来た!?」

「あら、おはようございますミモザさん。我はあそこから――」


 さっきシリンディアと話したくだりをもう一度聞く羽目になってしまった。まぁよく言えば『振り返り』が出来た、と考えれば時間を無駄にしてないとも言えるけど。


「なるほどな。じゃあシリンディアもこの後、私らと冒険者ギルド行くか? ついでに登録もできるだろ?」

「そうですね……いえ、我はもう少しやることがありますので、先に行ってていただけますか?」

「シリンディア、冒険者ギルドの場所知らないでしょ? もしなんならプルクラを置いていくけど?」


 シリンディアは少し考えた後、前肢の肉球同士をポン! と叩いて、


「大丈夫ですよ、我の鼻は相当利きますから。皆様の匂いを辿れば造作もありません」

「そ、そう……? じゃあのんびり先に行ってるから、着いたら念話飛ばしてくれる?」

「承知しましたわ、ミア様。では後ほど」


 そう一言だけ残して、シリンディアは小屋に踵を返しスルッと隧道へと消えていった。

 そういえばじっちゃんに紹介できなかったな。まぁそれは後でもいいかな。話だけはしてあるし。


 そんなことを考えながら、私たちは冒険者ギルドへと足を向けた。

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