011 - ビャッコの森―フクロオセロット

 今にも息絶えそうなその動物は呼吸も荒く、腹部が不規則に揺れていた。

 薄汚れた体毛は淡い茶色で、そこに濃茶色の斑紋が散らばっていた。怪我をしているのか、ところどころに血の跡も見てとれる。ミモねえはすぐにしゃがみ込み、それを触診検分しはじめる。


 やがてその手が下腹部に到達した時、彼女の顔に喫驚が宿った。


「これは……フクロオセロットの子どもだな。脚を怪我してる」

「……確か、ここ浅部にはいないヤマネコだよね? 資料室の本に書いてあったよ」

「あぁ。通常は森の中間部にいる動物だ。この状況からして恐らく……親とはぐれた、もしくは親と死に別れてここまで自力で辿り着いた……ってところか」


 目の前のそれは、相変わらず呼吸は荒いまま、左後肢には咬傷があり、流れた血液は周囲の体毛を赤く染め、見るも痛々しい。


 自然界では揺るぎない掟がある。それは『弱肉強食』。あるものはその強さで生態系の頂点に躍り出る。そしてあるものはその血肉となり、またあるものは怪我や病、飢餓などでひっそりとその命を終え、大地に還り、新たな生命を育む糧となる。そうやって自然は大きな輪廻を形成し、全てを許容するのだ。


 だからミモ姉の二の句は、非情だけどどうしようもなく正しく、そして許容せざるを得なかった。


「私ならこいつはそのまま捨て置く、もしくはここで楽にしてやって、革を有効活用させてもらうところだが――」


『フクロオセロットの皮で鞄を作ると見た目より容量が一割ほど増える』とじいちゃんの店で言っていた彼女。だからそう言うのも冒険者の彼女なら当たり前だ。それには納得はせずとも理解はできる。

 でも私は冒険者以前に『一介の鍛冶士成人したばかりの小娘』だから、そこまで割り切れないし、覚悟もないのだ。


 「――ミア。どうしたい?」


 目の前のフクロオセロットにかつての自分を重ねる。

 だから私は素直な心情を吐露した。


「私はこの仔、助けたい。冒険者としては甘い考えかもだけど……この仔、今一人きりだから……なんか他人に思えなくて……私もじっちゃんに拾われて……拾ってもらえたから命を繋いだんだよ……だから――」

「わかった。今日はあくまでミアがリーダーで私はその補佐。だからリーダーの決定には従うさ。じゃ、指示してくれ、リーダーさん!」

「ミモ姉……ありがと。じゃあ! まずはこの仔を広場まで搬送、簡易な治療の後速やかに森から撤退、我が家で改めて治療、快復まで保護! とします!」

「了解!」


 小さく震えるフクロオセロットを優しく抱え上げ、まだ暖かいその命を繋ぎ止めるべく、再び行動を開始した。



† † † † 



 それからの全ての行動はフクロオセロット優先だった。


 迅速に広場に戻り、脚の怪我を応急処置。水で傷口を洗い流して傷薬を塗布したあと包帯を巻き、緩く絞った手拭いでざっと身体の汚れを落とした。容態は相変わらず良くはなかったが、安心したのか呼吸も落ち着きを見せる。これは好機と判断して、極力フクロオセロットに負担をかけまいと、揺らさず焦らず速歩で村まで戻るのだった。


 村の門番さんには正直に『ビャッコの森で保護した』と申告する。門番さんは一瞬驚いたが、すぐにこちらの様子を汲みとってくれた。


「なるほど。そういう理由だったら村に入れてもいいだろう。ただし冒険者ギルドには早急に経緯を報告すること。小さくても野生動物だからな、くれぐれも脱走等トラブルのないよう注意してくれ」

「はい、わかりました。とにかくこの仔を優先したいのでまずは家に戻ります」


 なんだかんだで家に着いたのは十六の刻だった。ここでやっと安堵の息が漏れる。搬送途中、時折『ミー……ミー……』と私の懐で鳴く彼女――広場での治療中にメスだと判明した――の身体は細く毛艶も悪かった。どんな過酷な目にあったのかと思うと、何度も胸が締め付けられる。


 彼女を見たじっちゃんは、最初は驚くも「とにかく中に入れ」と一言だけ残して踵を返し、すぐに家に入ってしまう。これは怒られるやつかもな……。


「――というわけで家に連れてきたんだけど、じっちゃんの手は煩わせないようにするから、家で保護していい?」

「私からも頼むよゼルじい。元気になるまででいいんだ」

「ふむ……」


 腕組みをしながら険しい表情を見せるじっちゃん。あぁ、この感じはダメなやつだ。それはそうだ、子どもとはいえ野生の肉食動物をいきなり連れて帰ってきたんだから。もしじっちゃんが首を縦に降らなかったらどうしたら……。


 でも、そんな心配は杞憂に終わる。


「か〜わいいなぁ〜……安心して休むんだ〜うちなら安全でからねぇ〜」

「「えー……」」


 ……じっちゃん、どうした!?


「ゼルじい、正直キモいぞ……なんだよそれ」

「! なっ! ど、どどどどこが気持ち悪いんだっ!?」

「じょ〜とかちゅ〜とか言ってたよ!」

「……だって可愛いんだ


 もんって。

 じっちゃん、ほんとにあなたは私の尊敬するじっちゃんですか!?


 自分の言動が可笑しなことになっていると気づいたじっちゃんポンコツじじいは、慌てて居住まいを正して無駄に大きな咳払いをする。


「ごほんっ! ……ミア、事情はわかった。そういうことなら仕方ない。うちで。ただし、責任を持ってお前が面倒見ること。いいな?」


 世話してやろうとか。じっちゃんも世話する気満々に聞こえるのは気のせいかな?


 とにかくこの仔は今日からしばらくうちで世話を――


「ミア。こいつの名前、どうするんだ?」

「名前? だって体調が全快したら森に還すんじゃ――」

「か、還しちまうのか!? こんなのに!?」


 ……もう、じっちゃん喋らない方がいいよ。あなたの威厳はもうゼロよ!

 というか、ずっと家で飼ってもいいの? むしろ身体中からがダダ漏れしてるよじっちゃん!


 この後も名前をどうするのか論争は続いた。なんでも名前を付けたがるミモ姉はともかく、じっちゃんの名付けのセンスがある意味かった。『お米丸』とか『犬彦』とか『二代目ジョニー』とか。この仔メスだし。犬じゃないし。二代目って。初代どこ。センス酷っ。というかそのセンスでよく私の名前付けられたね……。

 そしてそれ以上に意味不明な名前を提案するミモ姉の言葉は、とりあえず聞かなかったことにした。『斉天猫聖せいてんびょうせい』って何。長すぎるし言いにくいし。確かに強そうな名前だけど、この仔メスだから!


 名付け論争の焦点――フクロオセロットを見やれば、用意した毛布の上で寝息を立てて安眠中。時折寝言なのか「クルルル……」と喉を鳴らしている。こう見ると森の中間部に棲む肉食動物にはとても思えず、その愛らしさに自然と三人の顔が綻んだ。


 それにしても可愛い。適度に散った斑紋もバランス良くて綺麗だし……あ。


「じっちゃん、ミモ姉。決めた」

「ほう……? 言ってみろ、ミア」

「『斉天猫聖』超えの名前だよな? な!?」


 二人の視線が突き刺さり、身が縮む思いだけど、この仔は私の仔。スウッと深呼吸を、そしてごくりとお茶を飲み干して、それを口にする。斉天猫聖を超えてるかはわからないけど。


「この仔の名前は……プ……」

「「プ?」」


 一呼吸置いて、その名前を声高らかに宣言した。

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