009 - ビャッコの森―浅部の拠点にて

 目の前に広がる、鬱蒼とした広大な森――ビャッコの森へ遂にやって来た。


 Fランク冒険者である私は森の浅部までしか立ち入ることが出来ない。「浅いとは言ってもこの森は非常に広大な面積を誇り、未だ最深部は未踏の地なのです」と冒険者ギルドの受付嬢アルビさんからそれは丁寧にご教示いただいていた。


 ここでビャッコの森についておさらいしておくと、浅部には多種多様の動物がいるが、危険な肉食動物はほぼいない。FおよびEランク冒険者が立ち入り出来るのはここまでで、通称『ランク上げの聖地』と言われている。なにしろ危険な肉食動物の急襲もないし、森の恵みである木の実や各種薬草の自生地なども豊富に点在するからだ。


 続く中間部は、Cランクまでの冒険者が立ち入りを許可されている区域である。

 この区域は、浅部に加えて小型〜中型の肉食動物および大型の草食動物が姿を見せるようになる。ここでの食物連鎖の頂点は『グランデウルフ』である。常にボスを中心とした十数頭の群れで行動し、智略に富んだ集団での狩りを得意とするオオカミだ。

 他にも、緑の体毛と小さな一対のツノを持ち、不快な金切り声を上げながら樹上を自在に移動する『ゴブリンモンキー』、ボス闘争や狩りなどの荒事では後肢で立ち上がりその長く太い前肢で戦うが、普段はナックルウォークで森を縦横無尽に移動するイノシシの仲間『フォレストオーク』、鋭い刃のようなツノを持ち、敵の内大腿部に頭を潜り込ませ、血管を切り裂き絶命させるシカの仲間『ブレードエルク』などが生息している。他にも名もなき動物が多数存在するという。

 じっちゃんが時折訪れる村営の鉱石採掘場もここにあるが、丸太による防壁で囲まれているので、比較的安全かつ避難所としても活用されている。


 深部となると、さらに凶暴な大型肉食動物が加わる。ここはBランク以上の冒険者のみ立ち入りが許された危険区域であり、潜入探索には三人以上のパーティーが推奨されている。

 ここでの頂点は、かつてミモねえが死闘を繰り広げた『マーダーグリズリー』で、立ち上がると優に体長3メルトはあり、彼女が斃した超大型個体は5メルトはあったと言われている。ただしこの個体は森の生態系を破り、中間部へと進出してきたならず者で、じっちゃんも肝を冷やしたそうだ。


 そして最後の最深部だが、この地域は全くの謎に包まれていて、神獣ビャッコ様の神域だから近づくこともままならない、立ち入ったとしても、何らかの現象で深部にまで戻されてしまう、仮に立ち入ったとしても、その者は記憶を失って戻ってくるなどなど、眉唾な噂が錯綜している。


 以上は冒険者ギルドで調べたことだが、いざ果ての知れない広大な森を目の当たりにすると、実地の伴わない知識はなんて脆弱なんだと改めて思い知らされる。


 森の入口には、冒険者を相手どった幾つかの施設があった。解体の苦手な駆け出し冒険者向けの解体屋、簡単な軽食が摂れる簡易休憩所、すぐに動植物などの採取物を現金に変えたい冒険者向けのよろず換金屋、泊まり込みで森を攻略する冒険者向けのテント設営地、そして冒険者ギルドの出張所である。


 ミモ姉に視線を向ければ、屈伸したり首や肩を念入りに回していた。

 普段はアレなミモ姉だけど、仕事に対しては常に慎重で真摯なのだ。なので私もそれに倣って身体をほぐす。


「私はもう大丈夫。いつでも行けるよ」

「いや。まだ一つ大事なことがある」


 と言われて案内されたのはギルド出張所だった。

 何をするのかと尋ねると、真面目な表情を向けて諭すように話し始めた。


「万が一に備えて出張所に名前と目的、帰還予定時刻、同行者を書類に書いて、一人銀貨一枚払って申請しておくんだよ。そうしておけば、予定時刻を一日過ぎても戻らない場合は捜索隊が組まれ探してもらえる、って仕組みなんだが、申請する奴なんかほとんどいないのが実情だ。銀貨一枚ケチったせいで死ぬとか馬鹿馬鹿しくないか?」


 確かにミモ姉の言う通りだと首肯する。薬草が銅貨一枚、つまり十枚の薬草を採取出来れば元は取れる。しかも薬草は森の浅部で充分採取可能なはずなのに、だ。

 にも関わらず、どうしてみんな申請しないんだろう? 銀貨一枚で命を拾える目があるのに。


「理由は色々だ。駆け出しは武器防具、携行品なんかを揃えたらすっからかん、ミアみたいに資料室で調べることすら億劫がって知識が足りない。冒険者になってまで勉強なんてまっぴら御免ってな。そこそこランクの冒険者になると、とかく自信過剰な奴が多くてな。申請なんか面倒臭え俺が死ぬわけねえだろ、とか言いやがる」

「……」

「そもそも冒険者なんて『自己責任』ってのが当たり前の世界だ。しかもタチの悪いことにギルド上層部の裏総意は『死にたきゃ勝手に死ね』だからな。ま、ティグリス支部はそういう意味じゃあ綺麗な方だが」


 自己責任か。私も先日成人の儀を迎えた大人、つまりこれからの自身の行動には責任が伴う。だからミモ姉の言葉はしっかり受け取ろう。


「つまりだ、冒険者たるもの――」

「『侮は驕。驕は等しく身を滅ぼす』だね?」

「あぁ。よし、じゃあサクッと申請してこい!」


 今日はとにかく『冒険者とはどういうものか』を体感させたいのか、一歩引いて私に申請を促す。

 いずれは私一人で来ることもあるだろうしね。いつまでもミモ姉におんぶに抱っこじゃいられない。


 特に問題もなく申請を済ませ、銀貨二枚を支払い、ようやくビャッコの森へと足を踏み入れた。



† † † †



 背の高い木々の隙間から差すわずかな木漏れ日は、ビャッコの森をより暗鬱とさせる。膝ほどに伸びた雑草はしばしば足元を覆い隠し、度々一抹の不安が去来する。とはいえ多くの冒険者が探索しているせいか地面は踏み均されていて、歩きづらいことはなかった。

 だが時折聞こえる動物や鳥の声、草木の匂いは心地よく、いつしか肝心な目的すら忘れがちになってしまう。


「そろそろ開けた場所に着く。そこで小休止。方針も再確認。いいな?」

「了解」


 どうやら探索中は簡潔に情報のみを伝えるものらしい。物音は少なくってことか。これまでもミモ姉の足捌きからはほとんど音もしなかったし、うまく草木も避けているから葉擦れすら起こさないのだ。すごく参考になるな。


 やがてその場所に着くと、ちょっとした広場になっていて、ところどころに冒険者が残したものであろう焚き火の跡が見てとれる。ここで野営したらしき冒険者も数名いて、会釈で挨拶を交わした。


「ここは見通しがいいから、浅部の拠点に利用されてるんだ。ミア、覚えておけよ」

「了解。でもちょっとドキドキしたよ」

「まぁ初めてだからな。私も最初はそんなもんだったぞ……でだ、今日のミアの目的は『テイム』だけど、ここからだと――」


 北上すると動物が集まる水辺、南下すると薬草や果樹の自生地があるという。

 ならば目指すは北だねと返せば、ミモ姉は何故か首を横に振る。


「どうして北じゃだめなの?」

「こういう時はまず仮定を巡らせるんだ。仮に北に行くとして、動物が見つからなかったらどうする? いたとしてもそもそもテイム未経験のミアは、確実にそいつをテイム出来る自信と根拠があるか?」

「……ううん、ない」

「だろ? だったら確実にこなせる『薬草採取』を先に済ませれば、もしテイム出来なくてもさっきの銀貨は取り戻せるし、指定依頼もクリア出来るだろ?」


 そこまで考えて行動するのか冒険者という職業は。こういった『仕事モード』のミモ姉を見るのは初めてで、軽い感動を覚える。

 ありとあらゆる事態を想定して、リスクは極力排除する。今日はこれを知れただけでも充分価値がある。


「私、ちょっとミモ姉のこと見直しちゃった」

「……そっかぁかー。ならもうちょい頑張んないとなー」

「! い、いやちょっとっていうのは言葉のアヤというかなんとい――」

「わかってるよ、皆まで言うな。口うるさく色々言ったけど、先達の老婆心と思ってくれればいいさ……って言うほど私も年寄りじゃないけどな!」


 そう言って、照れ隠しで笑い飛ばすけど。


 ありがとうミモ姉。貴女の言葉は充分届いています。

『侮は驕。驕は等しく身を滅ぼす』これも貴女に教わった金言です。大事に仕舞った心の宝物です。

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