第9話 勇者グレイ

「さぁ、入りな」


 ギザラさんに連れてこられたのは、マナトムの中心部。周囲の建物は五階建てを超えるものもあり、目の前の宿も四階建ての立派なものだ。

『霊猫の宿』という立派な看板が提げられており、案内板にある一泊の文字の隣には大量のゼロが並んでいる。

 セレンに羽織を着せておいてよかった。貝殻の胸当てのままなら、入り口で追い出されそうだ。


「グレイいる? 最低限アイツだけでいいけど、他は?」

「えーっと……みなさんお揃いです。あっ、シドマさんだけお出かけ中ですね」


 受付の人は帳簿に素早く目を通すと、テキパキと答えた。


「ありがとね〜」


 ギザラさんはヒラヒラと手を振りながら奥へと歩いていった。俺たちもペコリと頭を下げ、早足でついていく。

 階段をのぼり、そのまま最上階へ。四階はそれまでとは違い、フロア全体が一つの部屋になっている。

 階段を上がってすぐに広いスペースがあり、そこには青白く輝く短髪の男性が座っていた。


「あらグレイ、ここにいてくれるなんて話が早くて助かるよ。君の力を借りたいんだ」

「あぁ『知っていた』からね。君たちも座りなよ、エストくん、セレンくん」


 名乗る前から名前で呼ばれ、思わず息を呑む。セレンは驚きより警戒が優先されたようだ。姿勢をスッと落とし、戦闘態勢を取る。

 その様子を見て、ギザラさんがぷっと吹き出した。グレイさんはまたやってしまったという顔で額を抑えている。


「すまない。警戒させるつもりはなかったんだ、敵意はない」

「そうそう、落ち着きなよセレンちゃん。本当に悪意があれば君たちはとっくに死んでるよ」


 そう言いながらギザラさんが手を顔の前でひらひらと振る。そこには見覚えのある貝殻が摘まれていた。


「んなっ! 私の! ……あれ?」


 セレンは顔を真っ赤にして、驚いた顔で反射的に自分の胸を抱く。だが、すぐに違和感に気付いたのか、上着の隙間から胸当てを確認した。


「ふふん、驚いた? 安心してよ、これはただの複製だからさ。俺の能力の一つ、触ったもののコピーを作るってやつ」


 ギザラさんは貝殻を無造作に床に落とすと、カシャンと音を立てて霧散した。

 俺はグレイさんを向いて立っていて、ギザラさんは常に視界の中にいた。けれど、全く俺には見えなかった。そもそも無造作に立っていたようにしか記憶していない。

 一体いつ触ったんだ……? ごくりと喉がなる、これは恐怖だ。けど、同時にイラッとしたのは何故だろう。


「ギザラ、余計なことをするな、話が進まない。とりあえず二人とも座ってくれないか?」


 グレイさんの言葉には有無を言わさない重みがある。俺たちは震えを抑え、静かに従った。



「ほう……これは」


 俺が袋の中身を机に広げると、グレイさんは一眼見ただけで簡単の声を漏らした。


「グレイ、本物だよな?」


 ギザラさんの問いかけに、グレイさんは力強く頷く。


「間違いない『デル=ボラ』の滝へ挑戦した者たちの遺したものだ。セレン、君はあの滝から来たんだね」


 話題に自分が出たというのに、セレンはまるで聞いちゃいない。グレイさんが用意させていた果物に夢中だ。

 二人はセレンを見て数秒沈黙し、諦めたように俺に話を振った。


「エストくん、これらの持ち主と私は面識がある。偽物や盗品じゃないことは保証しよう。どうだろう、これらを私達に譲ってはくれないだろうか? 千チルカ用意しよう」


 千チルカ!? 千ペチカが一チルカだから……百万ペチカだ。あまりの数字に頭がクラクラする。

 お金に変えればこれからがかなり楽になる。けれど、こんな降って湧いたようなお金で楽をするのは何か違う気がした。俺はかなり悩んだが、別の答えを出した。


「これはお譲りします。けど、お金は受け取れません。グレイさんはお金に変える以外の使い道を知ってるはずですから」

「ふむ、謙虚だな。だがそれではこちらの釣り合いが取れない。君たちは冒険者を目指しているのだろう? ここの魔法学校は知っているかね?」


 魔法学校? 追う言えば兄さんが通っていたって……。そうだ! 思い出した! マナトム魔法学園、兄さんが通っていたところだ。


「えっと、兄から聞いたことがあります。ここの生徒だったと」

「なるほど、では君たちさえよければ推薦状を書こう。特待生なら食費も寮費も無料だぞ」


 食費無料の言葉にセレンの手が止まる。グレイさんは分かってて言ったんじゃないだろうか? 頬いっぱいに果物を詰めたまま、輝く目でセレンが俺を見る。

 兄さんと同じ学院へ……、少し前なら心の底から喜べたのに、今は少し複雑だ。

 けど、セレンの目を見て気持ちが穏やかになる。……うん、俺は俺だ。セレンの望む形に答えよう。


「……決まりだね? 冒険者ギルドは木三級から始まるが、学園卒業者なら銅三級、魔法使いギルドなら銅一級から始められる。期間は二年だが悪くないだろう? 学費はこの魔道具分から私が払っておこう」


 なんだかとんとん拍子で話が進んでいく、初めからこうなることが決まっていたかのようだ。

 まぁ魔法の勉強が出来るならそれは嬉しいし、学校や外への憧れはあったからちょうどいい話でもある。いきなり外の世界を回ってもいろいろと大変だろうし……。

 それに、ギルドの木級を飛ばせるのはかなり嬉しい。木級で受けられるクエストは、ほとんど奉仕作業みたいなもので、報酬も安い。

 俺はしばらく考えたが、あまり迷うようなマイナスの余地もない。その話を受けることにした。


「分かりました、ありがたく推薦状をいただこうと思います」


 俺の答えにグレイさんは満足げに立ち上がり、こちらへ向けて手を伸ばした。


「あ、えっと……握手は」

「いや、知っているよ。君の体質は出会った瞬間に分かった。素晴らしい魔法だ」


 ハイコク様に教えられ、全身を薄く水で包むことで問題は解決した。けれど、治療ができるわけじゃないし、やっぱりまだ不安だ。


「私がの望んだんだ、君とはこれから縁があってほしいからね」


 グレイさんはそう言って迷わず俺の手を取り、強引に握手を交わす。

 手はわずかに黒く変わるが、それが変化したそばから元に戻る。魔法を使っているようには見えないのに……何故だろう?


「うむ、もう少しコントロールできるようになるといいな……それも含めて学んできなさい、学ぶことの楽しさを知ることが一番大切だからね」


 相変わらず手を握ったまま、グレイさんは真剣な眼差しで教えてくれた。手のひらから伝わってくる体温に、胸に熱いものがこみ上げる。

 出会ってからの時間などどうでもいい、この人は俺のことを知ったうえで、ここまで真剣になってくれる。そんな経験はなかった。


「あ、ありがとうございます! ……その、なんとお礼を言っていいか」

「お礼なんて要らないさ、君たちからも良い物をもらったしね。それに、また会う時が来るさ、きっとね」


 ギザラさんがそう言い、キザにウインクをして見せた。グレイさんも力強く頷く。俺とセレンは丁寧にお辞儀をして、宿をあとにした。


◇◇◇


「それで? なんでお前たちは隠れてんだよ」


 エストとセレンが帰った後、ギザラは四階ロビーの椅子に座ったまま、扉に向けて声をかけた。ガチャリと個室のドアが開き、中からかなり大柄な男が出てくる。


「仕方ないさ、ツダンの能力じゃエスト少年を乱しかねないからね」


 ツダンは申し訳なさそうに頭を下げる。外見に反してその所作は丁寧で、立ち振る舞いには気品があふれている。


「水を鎧と認識するかは分かリませんでしたから……『鎧剥がし』が発揮されたら私も貴方も無事じゃなかったでしょう?」

「いや、少しくらい平気だろ? なんてったってウチには最高の回復魔法使いがいるんだからさ」


 その言葉にムッとしながら、ツダンの陰から一人の青年が出てくる。髪はエストと違って白いが、その顔はまさに瓜二つだ。


「……会わなくてよかったのか? ライム」


 グレイは優しく声をかける。しかし、ライムは俯いたままぶっきらぼうに返した。


「まだ会うわけにはいかないです、意地悪言わないでくださいよグレイさん」


 拗ねるライムに、グレイは優しく頭を撫でようとする。ライムはさっと一歩離れ、大丈夫ですよ、と唇を尖らせた。


「……まぁ、これでこの町での目的は終わりだな。シドマが戻り次第ここを発つ」

「はっ!」

「分かりました」

「あいよ〜」


 グレイの一言に、ツダンとライムは姿勢を正して返事をする。ギザラだけはソファでだらけたまま、気の抜けた返事をした。


「ギザラ、お前は少し残れ、一週間後に学園の入学試験がある。彼らの様子を見てやってくれ」


 グレイの言葉に、ギザラの態度が急変し、ピリッとした緊張感のある空気に変わる。


「……天啓か?」


 ギザラの眼差しは鋭い、グレイは首を静かに横に振った。


「いや、お節介だ。彼らの魔法のやり方は混乱を招く、上手く誤魔化してやってくれ」


 天啓を否定した瞬間、ギザラは再び態度を崩す。


「詠唱の偽装かぁ、面倒だなぁ……というか教えてやればよかったじゃん、賢そうだし理解できただろ多分。グレイ、なんで彼らにこだわるわけ?」


 ギザラの問いに、グレイはこの日初めてふっと笑った。


「彼はライムの弟だ、私の弟のようなものだよ。それに、あの力はきっと我々の役に立ってくれる」


 ギザラはへいへいと言いながら立ち上がり、潜入の準備のため宿を出ようと、階段へと歩き出す。

 その背中を見送りながら、グレイは小さく呟いた。


「『蠱毒の因子』か……全く、ふざけた呪いだな」

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