第7話 マルコスとハンス

「ちょ、おいエスト! 速すぎるってお前!」

「急げセレン! おいしいものがたくさん待ってるぞ!」


 デルボラの滝を登るにあたり、俺とセレンはせっかくなので競走をすることになった、いや、競泳か?

 さすがはウォーフメイド、セレンは腕すら使わず、足を動かすだけで激流をすいすいと昇っていくわけだが、俺はそのさらに上、もはや手足を動かす必要すらない。


『滝を登る』そうイメージするだけで、すいすいと身体が上へと浮かんでいく。

 おいしいものという単語に釣られたのか、セレンの瞳が輝き、爆発的に加速する。


「セレン! 最初は何が食べたい?」


 隣に並んだセレンに叫ぶように話しかける。滝の音でほとんど何も聞こえない。


「肉だろ! やっぱ肉だ! 牛以外も食べてみたい!」


 よだれをぬぐいもせず、セレンは上を目指している。ここで牛とすれ違ったら追いかけていきそうだ。


「見えたっ! もうすぐだ!」


 デルボラの滝の半分以上は飛沫のモヤの中に入っている。太陽の光が見えれば、あとは地上までもうすぐだ。

 ここまでくると水の比率が多くなる。最初に滝へ落とされて呼吸ができたのは、たまたま直接飛沫に落ちたからだ。

 水中での呼吸も今となっては造作もない、俺はセレンと手を繋ぎ、同時に水面から飛び出した。


「セレン!」

「あぁ!」

「「地上だ!」」


 ごつごつとした岩場に着地する。この感触も懐かしい、いい思い出ではないけれどね。

 久しぶりに直接太陽の光を浴びる。あまりの眩しさに少し目を細めた、地上ってこんなに明るかったんだな。


「よーし! エスト、肉を食うぞ、牛はどこだ!」


 おそらく初めての地上だというのに、肉のことしか頭にないのか……。そういえば昨日の夜はご飯を抜いていたな、多分そのせいだ。


「落ち着いてよセレン、せっかくだから料理を食べたいと思わない?」

「リョーリ? 何の肉だ?」

「あー、なんていうか、ただ焼いたり塩をかけるんじゃなく、もっとおいしくされた食べ物を料理っていうんだ」


 俺が絵を使って説明してやると、地面にセレンのよだれが小さな水たまりを作る。こいつ……店に連れて行って大丈夫だろうか?


「なんでもいいや、どこに行けば食えるんだ?」

「どこにいけば……やばいよセレン、俺町の方向知らない」


 完全に失念していた。滝は周囲を回るだけでも馬車で数日かかるような大きさだと思う。

 ここを滝沿いに回りつつ街道を見つけても、その先の町までどれだけあるかわからないのだ。

 せっかく地上に出たのに、いきなり何日も野宿生活は嫌だ。最後にベッドで寝たのはいつだろう? 葉っぱの上じゃないところで寝たい……。


「リョーリは……街じゃないと食えないのか?」


 セレンの顔が絶望に染まる。俺は静かに首を縦に振った。


「ごめん、野草も料理の材料に使えたりするんだけど、俺は知識も道具もないから」


 セレンがその場に崩れ落ちる。どうしよう、ここまでの落ち込みは初めてだ……。


「アタシは……死ぬのか?」


 マズい、本気で泣いている。なぜか死ぬことになってるけど、これ料理の話だからね? 俺と君なら動物でもなんでも狩れるからね? 味付けは塩だけだけど。


「お困りですか? どうされました?」


 突然後ろから声がかかり、驚いて振り返る。立っていたのは一人の男性だった。


「すみません、僕たち近くの町へ行きたいんですけど、道が分からなくって」

「なるほど、そういうことでしたら少しお待ちを……おーい! ハンス! ちょっと来てくれ!」


 男性が森へ向かって大きな声で叫ぶ。少ししてまた別の男性がやってきた。

 二人はよく似た服装をしていた。後から来たハンスと呼ばれた人は背が高くて髭が長く、最初の男性は少しふっくらとしている。


「どうしたマルコス? なんだその二人は!?」


 ハンスさんは俺たちに気づくと、驚いて一歩飛びのいた。


「そう驚くなよハンス、迷い人みたいなんだ。次の町まで連れて行ってあげよう」


 マルコスさんは穏やかに説得しようとするが、ハンスさんは木に隠れたままだ。


「バカ野郎マルコス、すぐに離れるんだ。目を見ればわかるだろ、その女は魔物だぞ!」


 マルコスさんはハンスさんの言葉を聞き、馬鹿正直にセレンの目を見た。そして驚いてしりもちをつく。


「落ち着いてくださいマルコスさん! 俺たちは本当に――」


「ガルルルルッ!」


 俺が何とか説得しようとした瞬間、茂みから三頭の魔獣が飛び出してきた。二頭がハンスさんに襲い掛かり、一頭がこちらに向かって吠えている。


「セレン!」

「あいよ!」


 俺はハンスさんを包むように水の壁を出し、セレンはうろたえた二頭を魔法で叩き潰した。残った一頭も俺が同時に倒す。


「エスト、二つ同時に魔法を使うやり方教えてくれよ」

「無理だよ、俺だって教えてもらったわけじゃないんだから」


 倒れた魔獣を放置し、俺とセレンが話しているのを見て、ハンスさんとマルコスさんは口を開けて放心している。

 いや、驚いてるのか? まぁ、突然出てきたし、そりゃびっくりするよね。


「あ、あんたら……今一体何をしたんだ?」


 魔法のせいでびちょぬれになったハンスさんが、腰を抜かしながら聞いてきた。ちなみに濡れたのは俺のせいじゃない、セレンが適当に解除したせいだ。


「あぁ、ごめんなさい、すぐ乾かしますね」


 俺はそう謝って、ハンスさんの服を濡らした水を引き寄せる。これでちゃんと乾いたはずだ。


「違う! いや、乾かしてくれてありがとう、助けてくれたことも本当に感謝する……けどそうじゃなくて、今のは魔法だろ? あんたたち詠唱もせずにどうやって……」


 しまった、完全に忘れてた……。セレンもやっちまったという顔でこっちを見ている。俺はとっさに嘘をついた。


「多分魔獣が吠えたせいで聞こえなかったんですよ。ほら、俺の声って小さいし」


 かなり苦しい言い訳だと思う。そもそも普通の魔法の詠唱なんて聞いたことがないし……。しまった! 服を乾かす時も詠唱なんてしてないじゃん。

 ハンスさんの目はまだ強くこちらを警戒している、全くこちらに近寄ろうとはしない。

 最悪逃げるか? いや、人相書きでも回ったら一大事だ。

 俺とセレンが何も言えずに固まっていると、マルコスさんが助け船を出してくれた。


「……何か事情がおありなんでしょう。私はたった今助けていただけた、それで充分です。私たちの馬車で次の国までお送りしますよ。ハンス、異論はないな?」


 決定権はマルコスさんにあるようだ、ハンスさんは立ち上がって馬車の支度へと向かった。


「あ、ありがとうございます! 助かります!」


 俺が頭を下げると、マルコスさんはとんでもないと体の前で手を振った。


「いえいえ、感謝しなければいけないのはこちらの方です。お二人は相当な使い手のようだ、きっと私たちの目的地も楽しんでもらえるはずです」


 マルコスさんは地図を取り出し、街道を指でなぞる。


「ここです。魔法都市マナトム、世界でも有数の魔法使いが集まる国家ですよ」

「旨いものはあるか!? リョーリはあるのか!?」


 セレンの食いつきがすさまじい、俺は地図に落ちかけたセレンのよだれを、マルコスさんにバレないように逸らした。


「もちろんですとも! 魔法を使った珍しい料理の店がいくつもあるそうですぞ! かくいう私もそれが目当てでしてね、はっはっは」


 いろいろ話を聞くと、マルコスさんは調味料を主に扱う商人らしい。商人ギルドというギルド? にも入っていて、色々と詳しいそうだ。


「お二人はいろいろと知らないことが多い様子、移動がてらお教えしましょう」



 こうして俺とセレンは馬車に乗り込み、マナトムへと向かうことになった。馬車に乗るとき、セレンはじっと馬を見ていた、多分食べたいとか考えてるな、絶対。

 それにしてもマナトム……どこかで聞いたことがあるような、なんだっけ? まぁ、そのうち思い出すだろう。

 揺れ始めた馬車の荷台でそんなことを考える。それが何だったのか、俺はすぐに知ることになったのだった。


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