第509話 subroutine ホエルン_良妻
◇◇◇ ホエルン視点 ◇◇◇
ラスティ・スレイド中佐は、ヴェラザード・マスハスという少女の死を切っ掛けに変わってしまった。
いまや、ただの置物――魂の抜け殻だ。
中佐は……ああ、上官の顎を叩き折って降格したから、いまは大尉か。
肩書きなどはどうでもいい。
問題は、彼が立ち直れないことにある。
それは世話好きなツッコミ役、アルチェムの指摘により判明した。
「聖下、食事が進んでいないようですが」
「ちょっとね、食欲が無いんだ」
「大丈夫ですか? 昨夜も食事を摂られていませんが?」
「いろいろあって、ナーバスになっているだけだ。明日には普通に戻ってるよ」
翌日も、彼は何も口にしなかった。
そのくせ私には食べるよう、せっついてくる。
「ホエルンはちゃんと食べないと、治るものも治らない」
生まれたてのヒナにするように、甲斐甲斐しく食事をスプーンで運んでくれた。
「パパはいいの?」
「ああ、外ですませてきた」
嘘だ。ときおり触れる肌の感触から、日に日に痩せていっているのがわかる。いくらナノマシンを移植されているとはいえ限度がある。栄養を摂取させねば。
彼の苦手とする鬼教官を装い、強引に食事を摂らせたが逆効果だった。食べてもその場で
苦しそうな
平素であれば、軍人として心構えがなっていないと怒鳴りつけていただろう。
私の目のことで気を病んでいることもある。責任の一端は私にもある。強くは言えない。
そっとしておくことも考えた。しかし、彼は夫だ。妻として助けなければ。
原因を探るべく、エレナ様に協力を仰いでパパのことをしらべた。軍の個人データだ。
軍にあった個人データから、過去にも、いまのような状態になったことを知る。
心因性反応――いわゆる心の病というやつだ。
パパがこうなってしまった原因を取り除くべく、まずはその起因となっている過去をしらべた。
妹のことだ。
私が知っているのは、妹を亡くしたあとのこと。
妹が死んでからというもの、パパはそれまで仲の良かった家族と距離をとるようになった。本来であれば、家族とのスキンシップで心の傷は癒されるのだが、妹を亡くした負い目からか家族を避けている。
どうりで、女性に甘えたがるわけだ。愛情に飢えているのだから。
以前、ティーレたちの外部野のデータを見せてもらったことがある。妹の死の真相はそのときに知った。それ以外にも秘密があるようで、ディレクトリの最下層に厳重にプロテクトのかけられたデータがあった。内容を知ることはできなかったが、そこに解決の糸口があると思われる。
今回は、エアフリーデという協力者がいる。懺悔という形で、プロテクトに閉ざされた過去の独白を聞いた女性だ。
それらの情報から推測するに、彼は身近な親しい女性を救えなかったことを酷く悔やんでいるようだ。それと同時に、あの優しさが
だから私の目が見えなくなったとき、異様なほどの愛情を示したのだろう。そう考えると、すべての辻褄が合う。
愛する夫は常に自身を責めているのだ。そうとしか思えない。だから罪滅ぼしに弱き者たちに救いの手を差し伸べた。彼が助けた孤児や傷痍軍人がその例だ。
そうすることによって、心のバランスをとっていたと思われる。危うい均衡のもと彼は普通を演じていたのだ。
そのバランスが、ヴェラザードという少女の死を切っ掛けに崩れた。
押さえつけていた罪の意識が暴れだし、パパを苦しめている。
彼を救うにはどうするべきか?
軍人ひと筋の私にはどうすることもできない。こういった症例があることくらいは知っている。しかし、治す術までは知らない。
「ストレスから来る心の病だとは思うんだけど、対処法までは知らなくて」
「頼ってくれたのは嬉しいですが、フォーシュルンド大佐、私は外科医であって、精神科医ではないのですよ」
「でも一般的な療法は知っているんでしょう?」
「気休め程度ですが……」
マッシモが言うには、根本的な治療法は無いとのこと。結局のところ、自身との戦いだという。
命にかかわる重病ではないが、なかなかに厄介な病気だ。
面倒な男と結婚したとは思わないが、安易に厄介ごとを持ってこないで欲しいと思った。
惚れた女の弱みがある。
夫の療養生活に付き合うとしよう。
◇◇◇
ここのところパパは執務室の机についたっきり、ぼうっと一日を過ごしている。
何をするわけでもなく、宙に視線を漂わせているらしく、頭をフラフラさせている。
そうかと思えば、突然に涙するのだから困りもの。
話しかけると普通に受け答えしてくれるけど、重症だ。
そんな彼に付き合う形で、私とホルニッセ、星方教会の純潔騎士が護衛に張りついている。
タバコを吸おうと、ホルニッセを伴って部屋を出る。
廊下を歩いていると、一人の近衛が駈け寄ってきた。
ビクつくような声で話しかけてくる。
「お、お初にお目……お初に声がけします。自分はカリンドゥラ殿下麾下のアンドレニと申します。ホエルン・フォーシュルンド卿……スレイド夫人……どちらでお呼びすればよいのでしょう」
スレイド夫人! 素晴らしい響きだ! そっちで呼んで欲しいのだけど、エレナ様は公私混同するなと口うるさい。
気は進まないけど、フォーシュルンド卿で通そう。
「呼び方はフォーシュルンドで」
「ではフォーシュルンド卿、実は渡したい物がありまして。施療院の院長から手紙を預かっています」
「私宛に?」
「いえ、スレイド閣下宛です。ですが、ここ数日の閣下のご様子を見るに…………」
聞いた話じゃ、
いまの私が手紙を受け取ってもねぇ。音の反響で物体は把握できるけど、目が見えないので文字を読めない。
どうしようかと悩んでいたら、ホルニッセが低い声で言った。
「閣下宛の手紙ならば、閣下に直接届けるのが筋ではないか! それを……貴様、何をしているのかわかっているのか」
騎士ホルニッセの腰の物が音を立てる。
これ以上、パパを悩ませるのはやめてもらいたい。騒ぎになる前に、手紙を受け取った。
「騎士ホルニッセ、読みなさい」
「ですが、奥様……これは閣下へ宛てられた手紙。自分が読むのは」
「妻である私が良いって言ってるの。それに騎士アンドレニは意味もなくこのような手順を踏むとは思えないのだけれど」
「…………わかりました。ですが、このことは閣下に報告します」
「それでいいわ。なんなら私が、無理矢理、手紙を奪ったことにしてくれても、かまわないけど」
「それはいくらなんでも!」
「私はどっちでもかまわないわ。パパは、そんなことで私を遠ざけるような小物じゃないって知ってるし」
「…………」
惚気たつもりなのに、ホルニッセは真面目に受け取った。空気の読めない騎士だ。
そんなことは置いておいて、手紙を読ませた。
医療に関する語句が多い。どうやらパパは、マッシモに調べ物をさせていたらしい。
この惑星では聞かない単語ばかりで、ホルニッセもアンドレニも理解し切れていないようだ。
なんとなく事態が見えてきた。手紙を読み終え、この一件の裏で暗躍する者たちの、さらなる悪意を感じた。
「ホルニッセ、このことはパパには内緒よ」
「奥様ッ! それだけはなりませんッ!」
「なんで?」
「これは然るべき手順を踏んで対応すべき案件です」
「ええ、そうよ。だから私が対応するの。文句ある?」
「…………独断がすぎるのでは?」
「たしかに独断ね。だけど、これだけは私の手で片をつけたいの」
「そこまで仰るのなら、自分は何も言いません」
面倒臭い騎士も黙らせたことだし、この一件の始末をつけにいきましょう。
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