第508話 ヴェラザード②
王都におけるクラレンスの居城――侯爵家の屋敷が燃えていた。
開け放たれた玄関口からは濛々と煙が吐き出されていて、閉じられている窓や屋根の隙間から細い煙が立ちのぼっている。
火元であろう場所からは蛇の舌のように炎がチロチロ覗いている。
敷地に入るなり、カーラ直属の近衛が立ちはだかった。
「閣下、屋敷のなかはすでに火がまわっています」
「なかに人をやりました。こちらでお待ちを」
「…………」
強引に振りきろうとするも、騎士たちは行かせてくれない。
「お下がりください。なかは危険です!」
「閣下の身に何かあれば、王女殿下に申し開きが立ちません。何卒こちらでお待ちを!」
「一体何があったんだ! 誰か事情を説明してくれッ!」
「でしたら自分が……」
メモ帳を持った几帳面な騎士が出てきた。
「何があった。なかにいる者たちは?」
「落ち着いてください。いまから説明しますので」
騎士から説明を受ける。
出火前に、兵士を連れてきたフレデリック家が押しかけてきたらしい。屋敷に入る正当性を主張するためか、クラレンスの馬鹿息子――イスカまで連れてきているそうだ。
屋敷を監視している近衛とかち合い、屋敷に入る入らないの問答をしていたら、屋敷から火の手があがったらしい。
「押し問答をしている間に、何者かが屋敷に侵入して火を放った、てことはないのか?」
「そこは抜かりありません。暗殺者の襲撃にも備えていましたから」
そういえば、カーラ直属の近衛だったな。そこら辺の訓練も受けてそうだ。
いくら侵入に長けた暗殺者でも、日中に忍び込むとは思えない。ましてや、近衛が警備している建物だ。発見されずに侵入するのは至難の業だろう。
「侵入に特化した魔道具を持った奴がいたかもしれないな」
「それも、ほぼ無理です。魔道具対策もしていますので」
対策内容を聞いて納得した。いろいろと魔道具についてもしらべているらしく、俺の知らない知識もあった。野戦基地で起こったカーラ暗殺未遂を切っ掛けに、いろいろ改善されたと知る。
よほど上手く変装しないと近衛の目を欺けないな。
しかし妙だ。なぜ南部に戻ったはずのオズワルドが王都に?
「オズワルドは南部に戻ったんじゃなかったのか?」
「オズワルド・フレデリック伯ではありません。ご子息のガガリオン・フレデリック男爵です」
なるほど息子か。王都に屋敷があるのだ。当主の代理に息子を置いていてもおかしくない。
「そのガガリオンが、なぜマスハス家に?」
「マスハス家は王道派の旗頭を務めていたので、その座を寄越せと催促に来たようです。オズワルド伯も王都に滞在している間、何度かそのことで訪ねてきたとか」
…………おかしなところは無いな。
「それでそいつらは!」
「屋敷に入っていきました。むろん、近衛も一緒です。下手なことはできますまい」
「……ヴェラザードの救出に入ったまま、まだ出てきていないと」
「はい」
それから五分ほどして、屋敷に突入した近衛たちが出てきた。何名か人を背負っている。
その後ろに兵士の一隊が続く。兵士を率いているのは体躯のよい大男だ。たぶん、あの大男がガガリオンだろう。オズワルドとは似ても似つかぬ武人の顔をしている。口周りの髭からは堂々とした力強さと威厳が見えた。
そのガガリオンの後ろに、イスカがいた。
ホエルンを襲おうとした卑怯者は、ちいさな木箱を大切そうに抱えている。その顔は卑猥そのもので、下品に鼻の下を伸ばしている。箱フェチか?
「イスカ、こんなところで何をしているんだ」
声をかけると、イスカの馬鹿はその場で跳び上がった。
「な、成り上がりのスレイド!」
こんな奴に、成り上がりと言われても、どうとも思わない。むしろ、肩書きで呼ばれないほうが、ありがたく思えるのはなぜだろう?
「ヴェラザードを助けに行ったはずじゃなかったのか?」
「ヴェラザード? 聞いたことのない名前だな。そいつがどうした?」
無能だとは知っていたが、ここまでとは……。
「マスハス家の分家筋の娘だ! 家督を継ぐ候補者として王都に来ていたんだぞ! それを知らないって言うのか!」
「何を言うかと思えば、マスハス家を継ぐのはこの私だ! 分家を名乗る野良犬ごときが、由緒あるマスハス家を継げるわけないだろう」
「…………」
あまりにも馬鹿げた発言に、呆れてものが言えない。こいつは知っているのだろうか? 廃嫡されて、マスハス家の跡取りでなくなったことを……、血の繋がりのないアルスが家督を継いだことを……。
「分家筋を名乗る野良犬より、紋章だ。これで私がマスハス家の当主! 思う存分、税を上げられる! 九割まで税を上げて、兵士をバンバン雇って、一流の武具を買いあつめよう。領地も発展させて、それからそれから……忙しくなるぞッ!」
小躍りするイスカの手から、木箱が取り上げられる。
「なっ、何をする! ガガリオン卿!」
「イスカ殿、約束通り王道派の旗頭の地位を譲ってもらうぞ」
「譲る! だから紋章を返せ!」
「おっと、そうはいきません。旗頭の地位を譲る書面には紋章が必要ですからな」
「それが終わったら返すんだぞ!」
「存じております。それと例の件も」
「ああ、頼む。旗頭の座だ、大金貨三〇〇枚は下るまい」
…………こいつ、旗頭の地位を売りやがった。どこまで腐りきっているんだ!
どうでもいいので無視していたら、近衛が報告に来た。
「閣下、申し上げにくいことがありまして……」
どうも歯切れが悪い。何かあったのだろうか? それよりも、いまはヴェラザードのことだ。
「ヴェラザードは無事か?」
「実は……」
「どうした、彼女は火傷でもしているのか?」
「いいえ、そうではありません」
近衛は周囲をきょろきょろしてから、声をひそめて言った。
「スレイド閣下、それも含めて内密の話がありますのでこちらへ」
近衛のあとについていく。
離れた小屋の前に来ると、彼は屋敷のなかで起こった一部始終を話してくれた。
「実は屋敷のなかで〝憂国会〟を名乗る者と交戦しまして……」
近衛は何度も言葉を切って、内容を整理しながら説明してくれた。
屋敷のなかに突入して、二階までガガリオンたちと一緒だったらしい。
そこからクラレンスの部屋へ向かうガガリオン組と、ヴェラザードの部屋へ向かう近衛組に分かれたらしい。
ヴェラザードの部屋へ向かう途中、憂国会を自称する男に襲われていた侍女を発見して、交戦したという。火の手の上がる屋敷のなかだったので、逃がすよりかは、その場で殺すことを選んだとのこと。
その選択に関して、あれこれ言うつもりはない。
「それで手間取ったのか」
「それだけではありません。ヴェラザード様は自室にはおらず、当主だったクラレンス侯の部屋で……」
「クラレンス・マスハスの部屋に逃げ込んでいたんだな。それで肝心のヴェラザードは? 怪我でもしたのか?」
「…………」
「救出したんだろう。屋敷から背負って出てくるのを見たぞ」
騎士はひどく気まずそうに、固く結んだ唇を歪ませた。出てきた言葉は、
「手遅れでした。……すでに自害していました」
「そんな馬鹿な! ありえない!」
「事実です。この目で確認しました。遺体も運び出しております」
「そんな…………」
全身から力が抜けていくのがわかった。
視界に映る地面と自分のブーツを延々と見続ける。
顔を上げる気にはなれなかった。
考えるのが苦しい、行動するのがつらい。すべてを投げ出したくなる衝動に駆られた。
どれくらいの時間、そうしていたのだろう。
唐突に、誰かが俺の手を引いた。
その誰かは、何も言わず手を引いて先を歩いている。
されるがままに歩き、急に立ち止まった。
「いつまでもウダウダ悩んでるんじゃないよ。力を持った者ってのはね。何も考えず弱き者のために力をつかえばいいのさ」
てっきり、手を引いているのはディアナだと思っていた。
「さっさと行きな色男」
オリエさんは俺を突き出した。
動かなくなった少女と再会する。
膝をつき、地面に寝かされたヴェラザードの頬を撫でる。眠っているような貌だった。
その肌はまだ温かく、揺すれば起きそうな気がした。
無意識に彼女を揺する。
「約束通り、来たぞ」
「…………」
なぜか視界がぼやけてきた。俺の手元にだけ雨が降ってくる。
「ああ、そうだ。〈癒やしの業〉なら」
相棒にサポートを頼むことにした。
【フェムト、どこを治せば彼女は目を覚ますんだ?】
――…………――
【つかえない奴だなぁ。さっさとスキャンしろ!】
――…………――
【おい、優秀な第七世代だろう。彼女を助けて、おまえが最高だって教えてくれ】
――……ラスティ、いくら〈癒やしの業〉でも、失われた命は戻りません――
【昔、聞いたことがある。魂の重さはたった数グラムらしい。おまえならなんとかできるだろう】
――死んだ者は生き返らない。それが自然の摂理なのでは?――
【悲しいこと言うなよ相棒……やってみないとわからないだろう】
――…………――
【やらない後悔より、やって後悔したい。お願いだ、サポートを頼む】
――…………失念していました。〈癒やしの業〉のサンプリングがまだ不十分です。追加調査を行いましょう――
俺は可能な限りのすべての力をつかって、〈癒やしの業〉を行使した。
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