第487話 巷の話
バウディッチ子爵の護衛をギルドに任せて、貴族院跡地を目指す。
ギルドを出たところで、見知った顔を見つけた。『吹き荒ぶ銀閃』の生き残り赤髪剣士のパメラと、『紅蓮の咆哮』の獣人三人組だ。
「おーい、パメラ、バリントン!」
連中は訝しげに眉間に皺を寄せると、次の瞬間、
「「「カマンベール男爵!」」」
そっちで呼ばれるとは……。偽名をつかっていた時間のほうが長かったけど。
まあいい、走ってくる顔見知りの冒険者たちを待つ。
感動の再会と思っていたら、仕事を無心された。
「男爵様、何かいい仕事ありませんか」
「アタイらでもできそうな仕事」
鼻の利くノッカーは鼻をピクピクさせて、物静かなフリートウッドは弓を抱きしめながら、こっちを見つめている。
断れない……。
まあ、人捜しに打って付けの人材と言えるが……。
とりあえず、知らぬ間柄ではないので雇うことにした。
予期せぬ出費が続く。
おかげでさらに大金貨四枚が飛んでいった。
「アンドレニ、例の双子の臭いがする物がないか、エレナ妃陛下に聞いてきてくれないか」
「臭いですか?」
「ああ、ノッカーは鼻が利くんだ」
「わかりました。ただちに聞いてまいります。臭いの残っている物を持ってくれば良いのですな」
「そうだ。あと、貴族院跡地の立ち入り許可と手の空いている近衛を何人か呼んできてくれ」
「はっ!」
一応の根回しはすんだ。
捜査にかかろう。
道草を食ってしまったが、目的地へ向かう。
道すがら、ちょっと前の冒険のことを話していると、パメラが興味津々といった感じにホエルンをチラ見しているのを発見した。
「どうした、俺の奥さん、なんか変か?」
「いえ、そうじゃなくて……男爵も隅に置けませんね」
ん? どういうこと?
視界の端に映る、ホエルンの横顔はなぜか自慢げだ。
女性特有の会話か?
などと考えていたら、パメラが焦れったそうに話を続けた。
「奥さんのことですよ。こんな美人の奥さん以外に五人もいるんでしょう」
「えっ、ああ、うん」
「王女殿下も美人だけど、この人も相当美人よね。噂じゃあ、元帥に魔族のお姫さま、大陸屈指の賢者様までいるとか」
「そ、そうだね」
気のせいか、隣を歩くホエルンが尊大な胸を跳ねさせたような……。もしかしてドヤ顔してる?
目だけを動かして彼女を見る。
ほのかに頬を染めている。その横顔は上機嫌だった。
「それでパメラは何が言いたいんだ」
「何が言いたいって、私はただ、羨ましいなと……」
言葉を濁す赤髪の剣士に代わり、武闘派の女性獣人――バリントンが出てきた。
「旦那がモテモテだってことだよ」
「残念だけど、俺はモテない。モテモテなら、何もしなくても貴族令嬢が言い寄ってくるさ。自慢じゃ無いけど、そういうのは一切なかったからな」
「うっそだぁー」
「本当だって」
本当のことを話すも、信じてもらえない。俺ってもしかして、この惑星じゃチャラ男枠なのか?
俺の答えがおもしろくなかったのか、バリントンはホエルンに矛先を変えた。夫が駄目なら妻を狙うらしい。
「本当なんですか、奥さん」
「そういうことって、案外、本人は気づかないものよ」
ホエルンはさらっと流すも、バリントンは諦めない。
「じゃあ、奥さんはカマンベール男爵のこと、どう思っているんですか?」
「聞かれるまでもないわ。好きよ、愛してる」
凄いよ! この人言い切ったよ! 俺でさえ悩む答えをすっぱりと!
それもホエルンにとって初対面の人たちがいる前で! ストレートな妻に、一瞬、抱かれたいと思った。
それから、バリントンとの会話という形式で、間接的に妻から愛の言葉をいただいた。聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいの。
愛の重さカーラ越えか?
いやいやいや、カーラは包容力がある! ホエルンには……こっちもけっこう包容力あるな。
いつの間にかできてしまった、俺限定のお嫁さんランキングの変動が激しい。やはり俺は優柔不断な男なのだろうか……。
そうではないと思いたいが……。家庭のことは、別の機会にゆっくり考えよう。
妻ランキングを頭の片隅に押しやる。
心を無にして、てくてく歩いた。
貴族街の外れに差しかかると、また顔見知りと出会う。
査問会で進行役を務めていたコルピッツ子爵だ。これといった特徴のない老人。物事に動じない落ち着いた雰囲気は査問会で感じた印象と同じだ。
今日はよく人と会う日だ。
老子爵は、それほど広くない庭に植えている草花に水をやっていた。
プライベートな時間を楽しんでいるのだろう。査問会では見せることのなかった穏やかな笑みを
声をかけようか迷ったが、無視するのもなぁ。挨拶だけしておくことにした。
「コルピッツ子爵、いつぞやはお世話になりました」
「んんッ……おお、これはこれはスレイド殿下! 査問会ぶりですな」
老子爵は手にしていた
かえって気をつかわせたな。
「貴族街の外れにまで足を運ばれるとは、ワシに何か御用ですかな?」
「御用というか、たまたまお姿を見たもので……」
「ふむ、それでいかな用件でこちらに」
と、貴族院に顔をむける。歳の割に鋭い老人だ。いや、この場合は年の功か?
隠すことでもないので、事情を話した。
「なるほど、マスハス家の叛乱に関与した者が、旧貴族院跡地に潜んでいると」
「はい」
「……フレーザー家と申しましたな」
「はい、双子の兄弟が家督を継いだ家だと聞いています」
「あの家は少々、問題のある家でしてな……」
いったん言葉を切って、コルピッツをキョロキョロと周囲に視線を飛ばした。
「ここでは話しにくいので、屋敷のなかへ。殿下の住まいに比べれば小屋のようですが、もてなしには自信があります」
アンドレニが戻ってくるまで時間もあるし、話くらいならいいか。
行き違いにならないように、マニングと冒険者たちを外に待機させて、もてなしを受けることにした。
「悪いけど、待っていてくれ」
「はっ」
てっきりマニングが護衛のことを盾にして、引っ付いてくると思ったが、すんなり引き下がった。
一応、理由を聞く。
「フォーシュルンド教官がご一緒ならば心配無用ですから」
なるほど、ホエルンも上手いこと王城のみんなに溶け込んでいるらしい。美人で強いから当然か。
なぜか、スイーツで人気取りしている自分に嫌悪した。俺も人望欲しい……。
待機組に、手短に指示を出してコルピッツ邸に入る。
この惑星で子爵といえばそこそこの地位だ。しかし、バブリーな生活をするのは伯爵から。世間一般より豊かな生活をしているが、領地運営や貴族としての社交など、貴族生活は何かと金がかかる。
また屋敷の維持や雇用義務も発生するので、思っているほど裕福ではない。
実直な貴族ほど、いざという時のために蓄えているので質素な暮らしをしている者が多い。
コルピッツ子爵もそういった実直な貴族の一人だ。
ホエルンを伴って屋敷に入る。
屋敷の玄関――ホールは狭く、廊下も薄暗い。絨毯もなく、板張りの床が剥き出した。
調度品の類はなかったが、青いバラの描かれた白地の壁紙が落ち着いた上品な雰囲気を醸し出している。
センスはいい。
先行くコルピッツに続く。
応接室とおぼしき部屋に通されると、初老のメイドが紅茶を淹れてくれた。
鬼教官は、妻らしく楚々とした所作で紅茶を受け取り、上品にティーカップに口をつける。
空いている手で、ここぞとばかりに妻という立場を主張する。俺の手に、その手を重ねてくるのだ。
しかし、努力虚しく、コルピッツに気づいた様子はない。メイドも深く突っ込まず。ホエルンの陰謀は
「殿下、しばしお待ちを」
コルピッツは資料を取ってくると部屋を出て行き、待たされる。
ドタバタと足音が部屋にまで響いてくる。
一度は遠退いたそれが戻ってきて、分厚い資料を持ったコルピッツがあらわれた。
「こちらです。いまの当主はバルモア・フレーザー。弟のミーガン・フレーザーと同居していますな」
「聞いた話によると、そうなっています」
「ふむふむ、では話しづらいお話を……」
コルピッツの語るフレーザー家は
もともと武功で成り上がった貴族らしく、人としてあるべきものが欠落した一族だと判明した。
「倫理観……と申しましょうか。あの一族は命を軽んじる傾向にあります。幼き日の双子がそうでした」
「命を軽んじるとは……」
「平民の子供を殺していたのです」
俺の手を重ねているホエルンの手が、キュッと握り締められた。
「……その、貴族特有の、庶民の無礼な行いを
「いえ、ただ単に殺したかっただけとの理由で」
鬼教官が言う。
「快楽殺人者……」
「それがちがうのですよ。奥様の言う快楽を求めて殺しに手を染める輩とちがうのが、厄介なところでして」
「どう厄介なのですか?」
「なんと表現すればいいのでしょうな。そう、朝、顔を洗うように自然体で人を殺めるのです。良心の
「なるほど、悪意のない悪、ですか」
「ええ、ですから当人も何が悪いのか理解していないようでした。成人して鳴りをひそめていたので、まともな倫理観を養っているものだと思っていたのですが……」
コルピッツの話を統合すると、フレーザー兄弟はサイコパスのようだ。貴族社会に馴染めず、〝憂国会〟に
いろいろと物知りなようなので〝憂国会〟のことについて尋ねようとしたら、相棒からの通信が入った。
――ラスティ、迂闊に喋ってはいけません。エレナに釘を刺されているでしょう――
【でも、知っていそうな感じだし……】
――いったん、報告してからにしましょう。逃げる相手でもありませんし――
【そうだな】
フェムトから注意を受けるのは珍しい。それも自発的にだ。〝憂国会〟……AIも警戒する相手か。
派閥争いより根が深そうだし、慎重に行動しよう。
これといった収穫はなかったが、俺の捜しているフレーザー兄弟は油断ならない人物だと判明した。下手な情けは身を滅ぼす。そんな苦言を遠回しに聞かされた感じだ。
話もそこそこに屋敷を出ようとすると、杖をついた老女がやってきた。
「あなた、お客様ですか」
「サリー、寝ていなくても大丈夫か」
老女にコルピッツが駈け寄る。
「こちらの方は?」
「話していたラスティ・スレイド殿下だ。近くを通りかかったので立ち寄ってくれたのだ」
「これは殿下、お越しになっているとは露知らず、出迎えにも出ず、無礼をお許しください」
丁寧に挨拶をしてくれるが、コルピッツ夫人の顔色は悪い。杖をつく足取りは、フラフラとして不安だ。病気でも
査問会で冷静沈着だったコルピッツが、落ち着き無く夫人を見守っている。手助けしたいが躊躇っているようだ。
「あのう、よろしければ診ましょうか。一応、医者なので」
軍の医療キットは重宝しているので、いつも錠剤を持ち歩いている。造血、解毒、神経修復などだ。最近はそれに応急処置用に開発した〝サルファ剤〟や、抗生物質も常備している。
「そんな滅相もない! 王族に診てもらうなど!」
コルピッツ夫婦は診察を固辞した。
「でしたら、一度、王立の施療院に行かれることをお勧めします」
当然のことを口にしたつもりだが、なぜかコルピッツは気難しい顔をした。
老人には馴染みのないシステムだったか? マッシモの運営する王立施療院は、かなり合理的なシステムだ。事前に順番札を取って、待たなければいけない。その慣れないシステムが老人たちを行きづらくしているのだろう。
「なんでしたら、紹介状を書きましょうか? 気持ち程度ですが、順番がはやくなりますよ」
「いえ、そうではなくて……」
言い淀むコルピッツを問い詰めると、思わぬ言葉が飛び出してきた。
「恥ずかしながら、施療院にかかる持ち合わせが……」
浪費家のようには見えないが……。
事情を詳しく聞くと、悪い錬金術師に夫人を診せたせいで、秘薬や護符など法外な値段をふっかけられたらしい。
それで蓄えの多くを失ったと。
「そんな悪い錬金術師がのさばっているのッ!」
珍しくホエルンが怒っている。
「女の敵ね、許せないわ」
あ、そっちね。
豪腕な妻だが、今回に限っては同意だ。病人の不安を
悪い錬金術師を
問題は
意外なことに解決策はホエルンの口から出てきた。
「コルピッツ卿、情報提供ありがとうございました。そのお礼といってはなんだけど、私の診療を受けませんか?」
「ご厚意は嬉しいのですが、査問官を務める身。中立でありたいのです」
「公平のために、誰も頼らないと?」
「はい」
「それは間違っているわ。コルピッツ卿、中立であろうとするなら、病身の妻を治すのが先では? 病身の妻という弱みを抱えたまま中立の審議はできないでしょう」
鬼教官が容赦なく詰め寄る。
「……ですが」
「コルピッツ子爵、あなたは妻を選ぶの、それとも査問官という肩書きを選ぶの?」
「…………」
老子爵はしばらく考え込み、そして重いため息をついた。
「妻です」
攻めの一手のホエルンに、老子爵は敗北宣言した。
「よかったですね、サリー夫人」
「喜びたいところですけど、複雑ですわ」
病身の老夫人が上品に笑って返す。
話がついたので診察開始だ。
俺に代わって、ホエルンが夫人の容態を診る。医者っぽく問診もした。さすがは教官、本物の医者みたいだ。
診察の結果、夫人の病気は脚気だと診断された。
「農業政策で穀物は充実したけど、栄養価の高い野菜はそれほど
妻から、間接的に政策についてダメ出しされた。
その後、ホエルンは自前の錠剤を砕き、紙で包み小分けにした。
「毎食後に一包ずつ飲んでください。あと食事も小麦粉やパンの量を減らして、野菜を多くと摂るように」
「ありがとうございます、スレイド夫人」
「妻として当然のことをしたまでです」
コルピッツはホエルンに礼を述べた後、俺に言う。
「いやはや、さすがはラスティ殿下、夫人も希に見る才媛。軍事において元帥に並び、礼節、威厳も申し分無く、そのうえ医学にも精通しているとは……。美貌だけでも素晴らしいの、まったく非の打ち所のない細君ですな」
べた褒めされたホエルンだが、浮かれることはない。
「それはそちらのサリー夫人も同じでは? お互いに支え合ってきたのでしょう。それこそ非の打ち所のない奥様だと、私は思います」
「左様でございますな。自慢の妻です」
そうこうしている間に、外に待たせている連中が騒がしくなってきた。アンドレニが追いついたようだ。
時間があれば夫婦仲良しの秘訣を教えてもらいたいところだが、外の連中が気になる。
苦情が来ないうちに退散しよう。
「コルピッツ卿、俺たちは用事があるのでこれで。王立の施療院には話を通しておきますので、支払いの心配をなさらず受診してください」
「何から何まで、ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらのほうです。子爵が査問官として公平な審議をしてくれたから、いまの俺があります。子爵のような中立を旨とする査問官に立ち会ってもらえて、運が良かったですよ」
何か言おうとするコルピッツ子爵の袖をサリー夫人が引く。それだけで子爵は黙り込んだ。奥さんには頭が上がらないらしい。
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