第456話 契約変更



「ごめんなさいね、無理を頼んで」


 私は強引に王城に呼び寄せたロウシェ伍長に平謝りしていた。アルバイトから正社員に昇進したのだ。それもこっちの勝手な都合で。


「かまいませんよ。事態が事態ですけらね。……ところで手当は期待してもよろしいんでしょうか?」


 相変わらず抜け目がない。


 こんなことになるのなら、リュール&ブリジットを使節団に組み込まなければよかった。


 マッシモ衛生兵にも声をかけたけど、すげなく断られた。退役をまっさきに名乗り出ただけあって、マッシモ衛生兵の意志は硬い。そのくせ〝十三姉妹〟の腕利きを囲んでいるのだから、意味がわからない。


 あまり強引に迫って関係がこじれるのは困る。医療分野の専門家は彼だけ。本人が嫌だと言っているので無理強いはしなかった。


 そんなわけで、ロウシェ伍長しか頼れる人材がいない。


 しかし、問題だ。まさか離れた第二王都で叛乱を起こされるとは……。


 私の手駒はかなり減った。

 最強のクイーンを残しているものの、ルークが一人。ビショップが二人。ポーンが二(近衛の二五%)。全部ひっくるめても手駒は六つ。

 加えて、相手の手駒が見えないという不利を抱えている。


 ゾクゾクする展開だ。ZOC――コングの投入も視野に入れるべきか?


 そんなことを考えながらも、ロウシェ伍長に餌をちらつかせる。

 瓶詰めされた赤い液体だ。


「エレナ様、なんですかそれ?」


「知らないのなら教えてあげる。最高級のジャンよ。昔、父に連れられて食べに行った中華料理店でレシピを教えてもらったの。それを再現したのがこちら」


「ちなみに、なんて名前の醤ですか?」


「言ったでしょう。最高級の醤、XO醤よ」


 調味料の名前を言うと、ロウシェ伍長の細い眼が大きく開いた。血走った白目から、彼女の熱意がうかがえる。


「XO醤! あの幻の!」


 幻だったのか……奮発しすぎたわね。


「確認が必要でしょう。味見してもいいわよ」


「……そ、それでは一口!」


 ゴクリと喉を鳴らしてから、小皿にとった赤い最高級の醤を指ですくった。その指を口に入れる。

 とたんにロウシェ伍長は動きをとめた。

「………………」


 アレッ? ちがった?!


 しばしの無言のあと、彼女は狂ったように指をちゅぱちゅぱやりだした。


 奇行を繰り返すこと十秒。

 指をしゃぶったまま、空いている手の親指を立てる。

 どうやら正解だったらしい。おどかしてくれる。


「エレナ様、これのレシピが特別手当なんですね」


 恍惚こうこつの表情で、まるでマタタビを与えた猫のようだ。


 手放してもいいけど、なんか勿体ない気がした。


「正確にはレシピの半分ね」


「半分! そんな横暴な!」


「それだけの価値があるレシピよ。だってそうでしょう、中華料理に詳しいあなたでも再現できない調味料なんだから」


「…………」


 ロウシェ伍長が威嚇いかくするような顔をした。


「それって引き延ばしですよね。一度受けたら、そうやってズルズルと引っぱっていく気じゃないんですか?」


 スレイド大尉とちがってやりにくい。もうちょっとチョロい娘だと思っていたのに……。

 まあいい、引き伸ばす手段はこれ以外にも知っている。なので、興奮するネコをなだめることにした。


「私も馬鹿じゃないわ。こんな稚拙ちせつな手をつかうのは今回だけ。疑っているのなら念書を書くけど」


「…………」


「じゃあ、こうしましょう。今回の件が終わってから、一回だけ手助けしてちょうだい。それを約束してくれたらレシピを全部ここで渡す」


 ここで渡すというのがミソだ。

 疑り深いロウシェ伍長は、この機を逃せばレシピのかちをつり上げると踏むだろう。だから即答するはず。


「嘘じゃありませんよね」


「私、基本嘘をつかないタイプなの。嘘つきだと帝室の名に傷がつくじゃない」


「……にわかには信じられませんね」


「そうね。嘘をつかないと言う人ほど、胡散うさん臭い人はいないわ。だからこの場で渡すって言ったんだけどなぁ」


 しぶるロウシェ伍長。この娘、過去に帝族から嫌がらせでも受けたのかしら? 身内を疑う。該当しそうな兄弟が多すぎて、断定できない。


 仕方ない。もう一押ししてみよう。


 侍女を呼びつけ灰皿を用意させる。

 ロウシェ伍長はタバコを吸うものだと思ったらしく距離をとった。

 そこでおもむろに紙をとりだす。レシピの書かれた紙だ。


「結構、細かい分量だったから書くのに苦労したんだけど、不要ならしたかないわね」


「まさか、それを燃やすとか?」


「そうよ。だってもういらないでしょう」


発火パイロ〉の魔法で出した火に、レシピを近づける。


 火が紙に触れようとしたとこで、

「待った! ……受けます。その話お受けします。ですからレシピ下さい」


「いい返事ね。私も悪人じゃないわ。無理を頼むんだから、それなりに色をつけるわ。XO醤の材料も用意するわ。手に入りづらいのがいくつかあるから、そっちの手配込みでね」


「上手くつかわれている気もしますが……いいでしょう」


 こうしてロウシェ伍長は使い切りの鬼札ジョーカーを卒業した。


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