第337話 subroutine アデル_心配性の善き王
◇◇◇ アデル視点 ◇◇◇
ベルーガにおいては査問会は重要な意味を持つ。
形式上王政をとっているが、力が及ぶのは中央だけ。ゆえに四方の大都市は王族ゆかりの者に統治を任せるのが通例となっている。
東西南北の大都市はかつて王族と繋がりのある者たちが治めていたのだが、マキナの進行により統治体制にひびが入った。
中央にいた多くの王族は死亡し、南の都市ハンザを治めていた運の悪い王族は最後まで抗戦し戦死した。西のエクタナビは王家の遠戚のオスカー・ロドリアが治めていたが、すでに他界しておりその妻である元帥のカリエッテが統治している。北にあるカヴァロはお世辞にも良い領地とは言えず、そこは代々の忠臣カナベル家の所領となっている。東のガンダラクシャはツェツェーリア――血の繋がりの薄い王家の遠戚がいるものの、あの公爵は気分屋だ。
詰まるところ、王族の支配力が弱まり、威光が衰えかけている。
最大の消費地である王都の復興も終わりが見え、次は王家の威光を取り戻そうとした矢先の出来事だった。
執務室でエレナの宿題である政務を一人でこなしていたら、貴族が尋ねてきた。
かつて王道派を率いていたオズワルド・フレデリックなる老伯爵が、クラレンス、カニンシンと王道派、革新派の両旗頭を引き連れ余の前にあらわれる。
「アデル陛下、南部、西部の貴族を代表して申し上げたき儀がございます」
そう前置きして始まったのは、義兄上の糾弾と処遇だった。
完全に隙を突かれた。
まさか血の繋がりが無いとはいえ、王族をつるし上げるとは……。
いつもは側にいるエレナも今日にかぎっていない。余の愛する妃は義兄上を伴ってマロッツェへ視察に出向いている。
それに相談役として迎えたベリーニ内務卿とロギンス財務系も所用で席を外している。
頼もしい軍事顧問も軍の編制と後進の育成で多忙で、姉と妹も余の手にあまる政務を各々の執務室で手伝ってくれている。
頼れる者のいない、僅かな時間。
偶然の重なった隙を狙って……いや、その隙をつくり、攻め入ってきたのだ。
その証拠に、貴族らの署名や罪状、それに証拠とおぼしき証言をまとめた分厚い調書まで用意している。
査問会を開くに必要な日数は最短で一〇日。オズワルドたちは、その短期間で無実を証明できないほどの証拠を持ってきた。それが何を意味するのか……。
確実に、義兄上を失脚させるつもりだ。
このようなことになることを予見していたのであろう。エレナはロビン・スレイドを残していってくれたのだが……。
「そこにいるのは妃陛下の側仕え、ロビン・スレイド。あの成り上がりと同じスレイド姓、もしやと思いますが、収賄に加担しているということはないであろうな」
白髪白髭の老人が怪光の灯った双眸で、ロビンを睨んだ。
「陛下に捧げた剣にかけて、収賄に関わっていないと誓えます」
これでロビンの疑いが晴れると思っていたら、今度はクラレンス・マスハスが口を開いた。
「本当にそうでしょうか? スレイド侯と仲良く喋っているところを見たと近衛の騎士から聞いています」
この女狐めッ! 性懲りもなく、また義兄上を貶めようというのかッ!
怒りに我を忘れかけるも、妻の言葉を思い出す。
王族たる者、いかなることがあっても冷静に。
肘置きに体重をかけ、立ちあがる寸前だった。
鼻から大きく息を出す。
幾分か気持ちが落ち着いた。
椅子に座り直す余に、オズワルドはもとより、やってきた貴族たちも怪訝な顔をしている。
怒らせるために芝居を打っているのだろう。それに引っかからぬ余を訝しんでいるようだ。
ふんっ、馬鹿にしおって! 余はもう世間知らずの子供ではない!
もし義兄上がいなければこの者たちの悪意の矛先は誰に向いていたであろう。間違いなくエレナだ。血が繋がっていないという理由だけで、余の妻を害しようとしてくるだろう。考えるだけで、この者たちを処断したい衝動に駆られた。
いっそのこと、不敬を理由にこの者たちを処刑しようか?
そんな考えが脳裏をよぎる。
しかし、そんなことをしても愛する妻が悲しむだけ。
優しい妻は、余の暴挙を自身の責任と受けとめるだろう。
あれを泣かせるほど、余は我が儘ではないし、無能でもない。愛する妻のため、喉まで出かかっている言葉を飲み込む。
「罪状は収賄か……して証拠は?」
下問すると、カニンシンが歩み出た。
「資金の出所が怪しゅうございます。スレイド侯は私財を
「義兄上は才能豊かで、特許をいくつも持っていると聞く。出所はそれではないか?」
「それを加味しても多すぎます。まるで国庫を掠め取ったような額」
国に貢献することなく、歳幣を受け取り、権力争いに明け暮れ、私腹を肥やしているだけのお前たちが、それを口にするか!
それが国を代表する大貴族のすることなのか……。
怒りよりも情けなさが勝った。
憤っていた感情が、嘘のように冷めていく。
「…………つづけよ」
話を聞けば聞くほど、馬鹿らしくなってくる。
しかし無視できない事実でもあった。思い当たる節がある、姉のどちらかだろう。もしかすると両方かもしれない。
「王女殿下たちに支払われている歳幣よりも多く、無視することはできません」
「王女たちの歳幣換算だと、どれほどだ」
「ざっと一〇年分。年間の国家予算に近い額だと類推されます」
姉二人で間違いない。カーラ姉は吝嗇なところがあるし、ティーレ姉は質素を好む。二人とも年間の国家予算ほどの蓄えがあったはず。
頭が痛くなってきた。
二人の姉を呼べば問題は解決するだろう。しかし、それで終わるとは思えない。
姉のことが露見すればどうなるか……。
身内の恥を晒すこともある。が、問題はそれだけではない。
この愚かな貴族たちは、義兄上が二人の姉を誑かしていると喧伝してまわるだろう。
醜聞だ。それも国家の威信に関わるほどの。
王家の威光が地に落ちるどころの騒ぎではなくなってしまう。敵を退け、国は守れた。しかし、富は戻っていない。平和ではあるものの、国民の生活は苦しい。そこへ、この醜聞だ。民衆の不満は爆発するだろう。
本当に、この貴族どもは何をしたいのだ? 理解に苦しむ。
もしや、この醜聞を足がかりに、仕えるべき王を引きずり落とすつもりなのか?
己の非でそうなるのであれば受け入れよう。しかし、そうではない。
余なりに知恵を振り絞った。
最悪の事態を避けるべく、あの者に任せることにした。
エスペランザ軍事顧問だ。
あの男は軍事一辺倒だと申しておるが、なかなかに頭が切れる。二人の姉も頭はいいが、義兄上のこととなると感情的になるという欠点がある。
内務卿、外務卿は復帰して日が浅くブランクもある。その力を存分に発揮できないだろう。今回は起用を見送ろう。
「お主らの言い分、しかと聞いた。スレイド侯の身柄を確保しよう。ただし、貴族にはやらせん。捕縛は騎士たちの役目」
「であれば、私オズワルドめが、その場に立ち会いましょう。騎士を率いる者も必要なはず。私ほど打ってつけの人材はおりませぬ」
「ならんッ! 申したであろう。貴族に関与させん」
「では一体誰に? 元帥や名だたる将軍は陛下より爵位を賜っております。まさか王族が!」
「そのようなセコいことはせぬ。まだ叙爵しておらぬ者に任せることにする。派閥や宮廷に染まっていない者にな」
「そのような者、おりましたか?」
「おる、軍事顧問だ」
「「「あッ!」」」
愚か者どもが揃って阿呆面を晒した。
数瞬の間を置いてから、王道派の旗頭クラレンス・マスハスが思い出しかのように口走る。
「し、しかしあの者は、カリエッテ元帥に子爵の地位を賜ったはず」
「左様か? 余は知らぬが」
「間違いありません。手の者にしらべさせました」
「ほう、王である余の知らぬことを知っておきながら報告は無しか……随分と偉くなったものだなマスハス侯」
「こ、これは失礼を……軍事顧問殿の活躍華々しく、周知の事実かと…………早とちりしておりました。お許しを」
まずは愚か者の一人をねじ伏せた。
ほかも片付けたいが、オズワルドは難しい。頑固な老人だ。それに狡賢くもある。焦って揚げ足を取られたら、それこそ問題だ。
ここから先は軍事顧問に任せよう。
エレナも認める男だ。本人は軍事以外は不得手だと言っているが、下問すれば打てば響く鐘のように明瞭な答えを出す。優秀な貴族の高官ですら言葉を濁らせる難題を、独自の切り口で雄弁に語ったのを覚えておる。受け入れづらい異端ともいえる前衛的な手法が多いものの、極めて優秀な人材であるのは疑いのない事実。
また優れた弁士でもある。
あの者に任せれば、間違いは起こらないはず……。
エスペランザ軍事顧問に託した
◇◇◇
その日のうちに悲報が届いた。
ついこの間まで性別を偽っていた元帥アルシエラ・カナベルがやってくれた。
王都奪還前に、エレナの前で失態を演じたと聞き、評価を下げていたことが仇となった。まさか軍事顧問を言い負かすとは……。
これにより、軍部――王城に詰める近衛騎士だけで身柄を拘束するという前提が崩れ、義兄上は敵の手中に落ちてしまった。
しかし余に抜かりはない。
こんなこともあろうかと手は打ってある。
レオナルド伯だ。
一時期とはいえ裏切り者に加担した。その罰として形だけの
レオナルド伯にはよく政務について相談している。憂国の士であり、気心の知れた話し相手だ。それに義兄上とも面識がある。恩義すら感じているらしい。
レオナルド伯にまかせれば。
これで義兄上が暗殺者に襲われることはないだろう。
エレナにこのことを報告すると、褒められた。
「アデル、よく頑張ったわね。上出来よ」
「そうであろうか? 義兄上の身が心配だ」
「そっちは任せておいて、ちゃんと手は打ってあるから」
頼もしい妻である。
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