第328話 カツ丼は出なかった



 執務室に入る前に、一悶着あった。

 エメリッヒとアシェさんだ。


「アシェ、悪いが君は外にいてくれ」


「なぜでしょうか?」


「スレイド侯との付き合いが長いと聞く。いらぬ疑いを持たれたくはない」


「それを言うならエスペランザも同じでは? 聞けば、ラスティと故郷が同じだとか」


「ああ、私の場合は別だ。故郷こそ同じだが、出身地はちがう。それに彼と顔を合わせたのはベルーガに来てからだ。彼との接点といえば、同じ軍に属していたことだけ。その証拠に、お互い名前くらいしか知らなかったからな」


「…………」


「さて、理解していただけたようなので退出願おう」


 信頼の置ける腹心であり、妻でもあるアシェさんを追い出す。

 残念美人がちょっと気の毒になった。


「君たちもだ」


「……我らは同席する義務があります」


 食い下がる近衛に、魔族メイドのミスティが言う。

「ここでの責任はエスペランザ様が請け負うと宣言しています。問題はないはず」


 褐色肌の美人メイドは、金眼を見開き近衛を凝視する。並々ならぬ殺気だ。


「で、であれば、せめて執務室の外で待機させていただきたい。よろしいですか、軍事顧問殿」


「かまわんよ。それで気がすむのならいくらでもやってくれ」


 妻につづけて、近衛の兵も追い出した。

 執務室には、俺とエメリッヒ、魔族メイドであるフローラとミスティの四人となった。


 ミスティが扉の鍵を締め、鍵穴を塞ぐように立つ。フローラは窓辺で外を警戒している。防諜ぼうちょう対策だろう。


 遮音の魔道具をつかえたいいのに。

 そんなことを考えていると、エスペランザは執務机の引き出しをガサゴソやりだした。


「これで落ち着いて話せる。まずは君の質問から聞こう」

 会話の主導権をこちらに寄越すと、紙とペンを取り出して何やら書き始めた。


「どこから聞けばいいのか……ちょっと考えを整理させて下さい」

 聞くべきことは決まっている。しかし、エスペランザの手元が気になって仕方ない。いきなり紙に書き出したのはなんだ?


「はやく喋りたまえ。時間がない」


「……それじゃあ、質問しますね。なぜ俺が収賄の罪に?」


「スレイド大尉は謀略には向かないな」


 初っぱなから、キツい言葉をいただく。


「す、すみません」


「まあいい、順を追って話そう」


「そうしてもらえると助かります」


「まずは陛下の疑いを晴らすとしよう。心優しい御方だ。そして私の雇い主でもある。将来有望な国王陛下の心象を損なわぬよう細心の注意を払わねばな」


「あのう、前置きはいいんで」


「…………空気の読めない男だな」


「すみません」


 話を円滑に進めようとしたら、小言を食らってしまった。


 そのことは置いておいて、エメリッヒから教えられたのは、本当にむかっ腹の立つ内容だった。

 なんでも俺が嵌めた南部の貴族――王道派に属するオズワルド伯が報復してきたのだ。南の都市ハンザでの税収が意図的に減らされたことへの腹いせらしい。


 白髪白髭の伯爵様は、伊達に歳をとっていなかった。

 無所属の貴族たちを巻き込み、俺を糾弾するべく暗躍したのだという。

 平時であれば、新興貴族を煽動するに終わっていたであろう。しかし時期が悪かった。戦後復旧の不安定な時期ゆえ、靡かぬ古参の無所属もそれに加わってしまった。


 火種となったのは、王都周辺の開墾・灌漑事業だ。

 オズワルドは、遠方・辺境の弱小貴族を蔑ろにして、俺が私服を肥やしていると触れてまわったらしい。

 老人らしからぬフットワークであちこちに火種をばらまいてくれたおかげで、弱小ではあるが無視できないほどの貴族から糾弾された。そして王道派、革新派が足並みを揃えたわけだ。


 かくして貴族の過半数からなる嘆願によって、俺の捕縛が決定し、現在に至る。


 さすがのアデル陛下も、国法に則った訴えなので退けることができず、渋々ながら捕縛命令を出したらしい。


 カナベル元帥とのやりとりで「悪手」と漏らしたのは、エメリッヒが極秘裏に捕縛しようとしたのを邪魔されたからだと知る。


「勅命を出した以上、ここから先の自由はない。内内に事を進めるつもりだったが、周知の事実になってしまったからな。しばらく牢屋で静かにしていてもらうぞ」


「…………それならそうと事前に教えてくださいよ。方法ならいくらでもあったでしょう」


 エメリッヒは口元に人さし指を立てた。そして、文字を書き連ねた紙を突き出す。


 書かれていた内容は、驚くべきことだった。

 なんでも外部野――AI以外との意思の疎通――思念通信は魔術師に感知されるとのこと。通信内容までは解読されないが、それもいずれ可能だと示唆している。


 唯一の救いは、所有者とその外部野に限ったAIとのやり取りならば感知されないところだ。


 傍受される仲間との通信は警戒するよう教えられた。


 紙の最後に、アシェさんは外で待機している近衛の注意を引きつけるべく、演技をしてくれているらしい。

 なんとも優しい仲間だ。この借りはきっと返そう。


「どうすれば俺に掛けられた嫌疑を晴らせるんですかねぇ」


「難しい相談だな。もとが根も葉もない噂だ。存在しないものをどうこうできんよ」


「ってことは、このままだと俺は死刑ってオチも?」


「そうならないよう、アデル陛下は私に相談してきたのだがね」


「はぁー、これからどうすりゃいいんだ」


「帝室令嬢に任せればいい。あれでなかなかのやり手だからな」


「となると、俺は牢屋で待機ですか」


「そうなるな。これを機に自分で考える癖をつけるといい」


「……考える癖ね」


 政治やら謀略やらなんて小難しいことと無縁だと思っていたけど、まさかこうなるとはね。あーあ、自由にのんびりと過ごしたいだけなのに、なんで邪魔ばっかり入るかなぁ。

 我ながら、運の無さに呆れかえる。


 でもまあ、エレナ事務官やエメリッヒが対処してくれるので気は楽だ。

 頭の良くない俺がジタバタしてもしょうがない。事態が収まるまで牢屋でじっとしておこう。


 話すことが無くなると、エメリッヒは俺に見せた紙を裂き始めた。


「何してるんですか?」


「こういう謀略にはよくあることだ」


 裂いた紙をコヨリにすると、暖炉の上にある火種入れに収めた。


 そして、メイドに灰皿を用意させて、今度は机から別の紙をとりだす。


 一体何をしたいんだろう?


 そんなことを考えている間にも、エメリッヒは新たに取り出した紙に火をつけた。

「これで証拠隠滅だ」


 ん? ああ、なるほど! 本当の意味での証拠はコヨリにした紙だ。でも、それにどんな意味があるんだろう? 灰になったら読めないのに。


 質問するよりも先に、エメリッヒが言う。

「スレイド大尉、君は釣りをやったことがあるかね?」


「ええ、コロニーで何度か」


「あれは人と魚の知恵比べだ。巧妙な疑似餌、それを操る腕前、落とし込む位置、水面に影が映らぬようにする用心深さ。謀略に通じるものがあるとおもえないかね?」


「そこまで考えたことはありませんね。ですが、いろいろと工夫はします。餌をとられて終わりなんて、おもしろくありませんからね」


「そうだな。この一件が片付いたら、一緒に釣りにいくかね?」


「釣りもいいですけど、奥さんを大切にしてくださいよ。なんせウチの工房の優秀な職人ですから」

 それとなくアシェさんのことを言う。


「そうだな。しかし、妻たちは釣りに興味を持ってくれないのでね。釣り好きの私としては退屈で仕方ないのだよ」


 俺が口にした意味を理解してくれているのかわからない。

 そういえば、エメリッヒは軍事にしか興味を示さない人だったな。


 今後は、アシェさんたちのためにもちょくちょく誘導するよう心がけよう。これで貸し借りは無しだ。


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