第312話 subroutine ガナル_暗殺者の転職事情


◇◇◇ ガナル視点 ◇◇◇


 私は、ある男を始末するために施療院を訪れた。


 月のない夜である。暗殺には持って来いの夜だ。


 王族の後ろ盾を得て建てられた施療院は真新しく、厄介な警護はまだいない。これといった障害もなく、院長を殺すだけの楽な仕事。


 大金貨一〇〇枚、破格の報酬だ。


 この報酬の額から、事後に問題が発生することが予想される。抜かりはない、逃走の準備はととのっている。追っ手が差し向けられる頃には、どこぞの国の国境だろう。戦後復興のごたごたに紛れてドロン。手際よく殺せれば、あとは楽な仕事だ。


 これほどの高額な標的は初めてなので、マッシモという院長に興味が湧いた。標的のいる場所は、新しく、それでいて人の少ない施療院。多少騒いでも支障は出ないだろう。どんな男かたしかめてから殺そう。


 変装のため更衣室から衣装を盗む。

 露出の多いピンク色の衣装だ。そでは短く、スカートのたけも短い。どうやら院長はとんでもない好色家らしい。


 なおさら興味が湧いた。一体どんなクズなのだろう。


 頭に叩き込んだ見取り図をもとに、院長室を目指す。

 驚くほどすんなり人と会わずにたどり着けた。ザルすぎる警備、拍子抜けだ。


 こんな楽な仕事を〝銀輪ぎんりん〟と名高い私に依頼するとは……。

 まあいい、この仕事を最後に引退するのだ。過去のものとなる渾名あだななど、どうでもいい。


 院長室のドアを静かに開ける。

 執務机で書類仕事をしている冴えない男が見えた。


 気取られる前に一気に距離を詰める。

手術オペの準備が終わったのかね」


 顔をあげる男の首筋に、戦輪チャクラムの刃を押しつけた。

「興味がある。質問に答えてくれれば苦しまず楽に死なせてやろう」


「苦しまず楽にか……魅力的なお誘いだな」


「返事は?」


「断る理由はないだろう。叶うのなら、私からも一つ」


「なんだ言ってみろ」


「今夜、あと一件だけ手術がある、殺すのならそれが終わってからにしてもらいたい」


「手術とはなんだ」


「錬金術や癒やしの業で治せない病気を治す行為だ」


 そのような話はいままで聞いたことがない。薬師、錬金術師のつくる薬や教会の癒やしの業で治らぬのならば、諦めるのが普通だ。それを治すとは……。


「いいだろう。その手術とやらが終わるまで待ってやる。ただし逃げる素振りが見えたら……」


「見えたら……」


「皆殺しだ」


 さて、どう出る?


「それは駄目だ。私以外は気絶か怪我程度にとどめてほしい」


 この状況で、そのような発言をされるとは意外だった。どうやら命ほしさの猿芝居ではないようだ。ますます興味が湧いた。


「いいだろう。その手術とやら見せてもらおう」


 しばらくして、私と同じ衣装を着た看護師の女性がやって来た。

「院長、手術の準備がととのい……誰ですかそちらの女性は?」


「そういえば、まだ話してなかった。新しく雇うことになった。血を見ても動じない、看護師に打って付けの人材だ。即決で採用したよ」


「そのような話、聞いていませんが?」


「かつての同僚の勧めでね。ついさっき決まったところだ。見学がてら、彼女にも手術に立ち会ってもらう」


「……わかりました」


「さて、行こうか」


 マッシモはそう言うと、院長室を出た。ゆったりとした足取りで下のフロアに降りる。


 風の出る魔道具で身体についた埃を落とすと、次はアルコールで手を拭く。面倒な手順をいくつか踏んで、手術室に入った。


 部屋の中央にある寝台には一〇代とおぼしき少年が寝ていて、周りには何人も看護師がいた。見たことのない魔道具から伸びている管を少年に貼りつけ、慌ただしくし動きまわっている。


 なんの儀式だ?


 動揺を悟られぬように視野を広げて観察する。


 すると突然、マッシモが少年の身体を切り裂いた。


 驚愕する私を置いてけぼりにして、作業を進める。

 鮮やかな手際だった。

 腹部に刃物を入れ、躊躇なく肉を切っていく。そのくせ血はあまり出ない。血管を避けているのだろう。殺しとは真逆の技だ。


「病巣は大きいぞ。輸血の準備を、それと血液吸引も」


「「はい」」


 マッシモの指示に、まるで訓練された兵士のように看護師たちが動く。


「汗! ……鉗子! 今回の相手は手強いぞ、長期戦だ!」


 迷いなくマッシモの指がおどる。繊細せんさい緻密ちみつな動き、針穴に糸を通すような作業の連続だ。

 そんな目を離せない状況が二時間も続いた。


 恐ろしいを通り越して、信じられない集中力。


 この男、一体何者だ?


「ふぅ、真皮しんぴ縫合ほうごうは終わった。あとは君たちでやってくれ。術後の消毒も忘れずに。感染症にでも罹ったら目も当てられない」

 そう看護師や医師に伝えると、マッシモは戦場――寝台から離れた。


「院長、お帰りになるのであれば馬車を回しましょうか?」


「いらん。部屋で寝る」


「でしたら、空いているベッドで」


「あれは患者の寝る場所だ。私は部屋のソファーで寝る」


「ここのところ泊まり通しです。せめてベッドで寝られては」


「私はあそこで寝るのが好きなんだよ」

 看護師の肩をポンと叩き、下がらせる。


 思い出したように振り返り、

「君の採用書類がまだだったな。すまないが院長室まで来てくれないか」


「はい」


 手術室を出て、院長室に戻った。


「まずはありがとう。おかげで患者の命を救えた。あの子は悪い錬金術師に騙されて粗悪な薬を飲み続けた。憐れな被害者だ。今後はこうなることがないよう、嘆願書を出したところなのだが……。どうやら私が目障りらしい」


「依頼人の名は教えないぞ」



 当たっている。マッシモ暗殺の依頼は、買爵貴族の商人だ。


「ついでだ。もうしばらくつきあってくれないか。君、名前は? 偽名でもいい、教えてくれないか?」


「ガナル……。教えたぞ、今度はこっちだ。手術とやらのことも教えろ」


「ありがとう」


 マッシモは紙に何かを書き記して、大層な印を押した。そして、その紙を鍵のかかった戸棚に入れようとする。


「見せろ」

 私の採用書類だった。


「なぜこのようなことをする」


「仮にも私は医者だ。できることならば、君の命も救いたい。あの戸棚には採用書類が入っている。一部の者しか知らない秘密だ。そこにこの書類を入れておけば、君は疑われないだろう」


「殺し屋にそこまでする義理はないだろう」


「ある。私もかつては軍人だった。多くの人を殺めてきた。負傷した兵士を治しては戦場へ送り返し、治しては送り返し……その繰り返しだ。救った者たちを殺しているのと変わりない。私はね、こう思うのだよ。人を助けるために働いているのではなく、人を殺すために働いていたのでは……とね」


「…………」


「そんな生活を何十年も続けてきた。多くいた同僚たちは自責の念に心を壊し、軍を去っていった。私も心を壊しているかも知れない。いや、もう壊れているのだろう。死を前にして、すごく穏やかな気持ちだ。自分の命さえ、薄っぺらに感じてしまう」


「それでも人を治す理由はなんだ?」


 冴えない男は静かに泣いていた。


「私の話はこれで終わりだ。質問はこれで終わりかね? どうでこれから死ぬのだ。なんでも聞きなさい」


「なぜ私を助けようと思った」


「とても悲しい目をしていた。心を壊した同僚のような目をね。それに……」


「それに?」


「いまならまだ救えるかも知れないと思った。君は若い、いくらでも人生をやり直せる」


「…………無理な話だ。私はこの生き方しか知らない」


「それでもいい。いいかね、君は看護師として血を見ても平然としていられる資質を持っている。これは一種の才能だ。殺し屋から足を洗いたいと思ったら、今日のことを参考にしてほしい」


「…………」


「これで話はすんだろう。さあ、人生の幕を下ろす時間だ。苦しまぬよう楽に殺してくれ」


 わからないことだらけだ。冴えない男は自身のことを狂っていると言うが、とてもそうは見えない。言葉には理知的で強靱きょうじんな意志を感じる。


 謎だらけだ。興味は尽きない。


「最後の質問だ。さっき戸棚に戻した採用書は契約になるのか?」


 重要な質問だ。私たち殺し屋にとって契約は大きな意味を持つ。いわゆる信頼というやつだ。


「仮契約だが、立派な採用契約だ」


「そうか。では明日、また来ることにしよう。興が削がれた、殺すのは日をあらためてからにする」


「私はどちらでもかまわない。当分はこの施療院で寝泊まりしているから、いつでも来なさい」


 暗殺ギルドを通された依頼だが、あの高慢ちきな買爵貴族とは正式な書面を交わしていない。

 手付金も支払われておらず、口約束だけだ。依頼を果たす義理はない。


 ギルドと揉めるだろうが、あそことは手を切る予定。最後の最後で、こんな不義理な依頼を寄越す連中だ、どうでもいい。


 その夜、私は依頼主を殺した。


 おかげで身を隠す必要性が出てきた。

 おあつらえなことに看護師という仕事がある。ほとぼりが冷めるまでそこでやり過ごそう。

 それに殺しの対極にある手術という行為にも興味が出てきた。マッシモという男はまだまだ楽しませてくれそうだ。


 朝日がのぼると同時に、私は施療院へ足をむけた。


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