第271話 勝利と現実②




 地下の奥に位置する牢屋。

 そこはとても暗くて、不快な臭いが充満していた。

 それだけはない。不気味な音もが流れている。

 隙間風の吹く音ではない。人の声だ。

 地をうようなうめき声が、風が吹くように絶え間なく流れている。


 目を凝らしてみれば、どこもかしこも死体と見紛みまごう者ばかり。


 マキナ聖王国の連中は、負けを見越して捕虜を始末しようとしていたのだろうか?


 不快な臭いは糞便や死臭の混ざったものだったのだろう。

 従軍経験のある俺ですら、吐きそうになったほどだ。


 ハンカチで口元を覆っているエメリッヒが言う。

「拷問だ。資料で見たことはあるが、ここまで酷いのは初めてだ」


「……拷問、ってことはコレ全部生きているんですか?」


「君の認識でほぼ合っている。。部屋の隅は無視していい。区別するために死体はすみに積んである」


 この場に兵士以外で立っている者はいない。


 拷問のいきを越えている。いくら情報が欲しいとはいえ、人はここまで残酷ざんこくになれるものだろうか? 戦時下だとしても、許されない所業だ。

 あまりにもみにくい悪意に、嘔吐おうとした。


「オゥェッ! ……カッ、……ペッ、ペッ…………。なぜ外に運び出さないのですか?」


「運び出せないのだ。一人外へ出そうとしたのだが、身体に触れた瞬間、悲鳴をあげて死んだ。おそらくショック死だろう」


「星方教会の方に頼んで、癒やしの業をつかってもらえばよいのでは?」


「それも考えたが、王都での救済活動で散り散りになっていて、遣い手が見つからないのだ」


「こんなときに……。そういえばマッシモさんは? あの人、医者でしょう。彼を連れてくれば……」


「負傷者の手当で精一杯だ。野戦病院は満員で、星方教会の者たちもそちらを優先させているようだ。王城の関係者だからと贔屓ひいきはできない」


 だから俺を呼んだのか。


「わかりました。ではいまから一人づつ診ていきましょう。あと、換気をお願いします」


「そっちはメイド二人にやらせている。これでも大分とマシになったほうだ」


「では、清潔な布や煮沸しゃふつにつかうお湯など、手配してください」


「手配済みだ。じきに届く、はやく彼らを診てくれないかね」


「わかりました」


 一人一人慎重に容態ようだいを診たいところだが、数が多い。おまけに憔悴しょうすいしきっていて、時間をかけるのはよろしくない。


 相棒に思念を送る。


【出番だぞ。簡易スキャンでいい、危険度の順位をつけろ】


――延命えんめい可能かどうか……のですか?――


【全員助けたい。癒やしの業を考慮して順位をつけてくれ】


――強欲ですね――


【なんとでも言え、人命優先だ!】


――わかりました。ですが覚えておいてください。ラスティの魔力容量キャパを超えるのは確実です――


【そこはなんとかする。はやく順位をつけろ】


――一刻を争うのであれば光学式スキャンをお勧めします――


【名案だ。それでいこう】


 光学式のスキャナーを取り出して、一気に診察する。


 重傷者は三〇人にも及んだ。死者はさらに多いのだろう。確かめていないが、部屋の隅に積まれている死体の山はどれもそれなりの高さがあった。


 他人事だが涙が出た。


 死してなお、このような劣悪れつあくな環境に放置されているのだ。死後の世界について信じていないが、物言わぬ死体を見ているとあわれでならない。


 感傷かんしょうひたっているひまは無い。はやく生き残った人たちを助けなければ。


 手当を始める。


 まずは脇腹にナイフが突き立っている女性だ。よく見ると手足の腱も斬られていて、指に至っては骨がグシャグシャだ。


 マキナの連中に人の心は無いのか!


 いきどおりながらも、安心させるため、まずは声をかける。


「安心して、もう大丈夫だ。君は助かったんだ。いまから手当をする、いいね」


「…………アタシはもう駄目だ。ほかの人を頼む」


 息も絶え絶えに言うが、フェムトが可能と判断している。助かるはずだ!


 医療キットから錠剤をとりだした。造血と細胞修復に効果のある錠剤だ。せて吐き出さないよう、ゆっくりと飲ませてやる。


「大丈夫、助かる。焦らないで、ゆっくり飲んで」


 それから無針式の麻酔を打って、まずはナイフを抜いた。血がき出る。


「……うぐっ!」


 限界に近かったのだろう。女性はうめくなり気を失った。

 患部を消毒して、癒やしの業をつかう。


【フェムト、癒やしの業だ。傷に手をかざすから再演してくれ】


――了解しました。ただし乱発は禁物です。魔力の消費が激しいので――


【血管だけでいい。あとがつかえているからな】


――賢明な判断です。それでは癒やしの業を再現します――


 柔らかい光が脇腹の傷を照らす。とめどなくあふれていた血が嘘のようにとまった。


 それから何人か重傷者を治していった。


 目をつぶされた者、のどを潰された者、腰骨を折られて歩けない者、生皮なまかわがされた者、残虐非道ざんぎゃくひどう傷痕きずあとはさまざまだ。


 それ以外にも、生爪を剥がされ、指を折れた人が多くいた。

 すべてを治してやりたいが、俺一人では限界がある。なので、人命を最優先させる。


 二〇人ほど診たところで限界を感じた。

 ふらつく自分にかつを入れて、治療を続ける。


 ふと、魔石から魔力をおぎなえるのでは? とひらめいた。


 魔石は、電気のように圧の低いほう流れる習性がある。魔導具はその習性を利用した道具だ。人体を魔導具に見立てれば……。


 心身共に限界が近づいている。駄目元で試してみることにした。


 魔石を握りしめて、自身の身体に魔道具みたいな魔術回路をイメージする。


 魔力が空になりつつある身体に、力が流れこんできた。一方的な流れで制御ができない。

 魔力の回復を実感する。直後、おそろしいまでの疲労感が襲いかかってきた。


「改良の余地ありだな……」


 ふらつく身体に鞭打ち、残り十人に癒やしの業をほどこす。


 延命措置は終わった。手足の腱や目、喉と治療すべきところはまだ残っている。

 これはおいおい治していくとしよう。


 お役御免になったところで、パタリと倒れる。疲れた身体に、床のヒンヤリ感が心地良い。


「……もう無理」


 気絶こそしなかったものの、猛烈もうれつだるい。

 このまま寝たい……。

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