第226話 subroutine カーラ_ストレスの多い女



 遺憾だ。


 いくら行き遅れとはいえ、未婚の女性の寝室に居座わられるとは……。


「あの男、頭がおかしいのか?」


 無礼を理由に処断しようと思ったのだが、信頼していた近衛に反対された。牢屋へ放り込んだというが疑わしいものだ。


 念のため、乱暴されていないか着衣をしらべる。

 特に目立った乱れはない。


「なおさらおかしい。オレのような美人を目の前に何もしないとは何事だッ!」


 あてつけのつもりだろう。妹のこととなると、だらしないほどに褒めちぎり、誰憚だれはばかることなく愛を口にしていると聞く。以前にも奴の心を〝心眼〟で覗いた。ティーレ、ティーレと妹のことばかり、噂通りの女にだらしない男だ。


 私はティーレの姉だぞ。産みの親はちがうものの、容姿は妹に似ている。それなのにオレを避けるとは……本当に不快な男だ。


「けしからん!」


 苛立ちもそこそこに執務室へおもむこうとしたら、近衛が立ちはだかった。


「殿下、スレイド候のご命令です。療養に専念してください」


「命令される筋合いはない。それに政務をおろそかにする余裕もない。書類にだけでも目を通さねば」


「それがいけないのです。スレイド候の見立てでは、殿下は極度の疲労状態にあるとのこと。殿下はベルーガの柱石、何卒ご自愛を」


「…………とどこおっている政務は誰がやっている」


「アデル陛下とエレナ閣下です」


 弟は微妙だが、エレナならば問題はないだろう。いや、そうではなくて、なぜオレがこんな境遇に?


「オレから政治に関する権限を取り上げるつもりか……」


「何を仰るのですか、陛下も閣下も、カリンドゥラ殿下のことを痛く心配しております」


「それほど心配ならば教会の癒し手を寄越してくれればいいものを、なぜこのように面倒な手順を踏む。理解できん」


「候やマッシモ医師が言うには、ご不調の原因は心にあるのだとか。それゆえ療養に時間がかかると仰っていました」


「物は言い様だな」


「殿下ッ!」


 近衛がここまで抵抗をみせるとは……。ラスティという男にあてられたか。まあいい、政務がつつがなく行われているのであれば問題ない。ここのところ働き詰めだったし、少しばかり休むとしよう。


「まさかとは思うが、おまえたちあの男と通じているわけではないだろうな?」


「そのようなことは……我らはカリンドゥラ殿下麾下きかの近衛騎士、殿下に絶対の忠義を捧げております」


「それならば、なぜラスティのことばかり口にするのだ」


「……優秀な殿方だからでございます」


 優秀か……。それは知っている。あの男は勇敢で頭もまわる。おまけに人望もあり、得がたい人材だ。つかえる駒なのは間違いない。素直にオレの命令を聞いてくれればの話だが。


「どのように優秀なのだ?」


「人望もあり、知勇に秀でております。それに部下を粗末に扱いません。武勲をかぞえ挙げると切りがありません。ティレシミール王女殿下の護衛、北と東を結ぶトンネル事業、魔山デビルマウンテンにいる魔族との国交樹立、戦線での野戦築城、王族暗殺の阻止、エクタナビアへの援軍。目立った功績だけで片手がふさがります。細かいものもあわせると両手では足りません」


 熱弁する近衛のかおが、女のそれになっていた。なるほど、人気があるらしい。密偵からの情報では、女性から言い寄られたことがないとなげいているらしいが、おそらく嘘だろう。あれは相当のだ。


 意地の悪い質問だと思ったが、この際なので尋ねる。

「おまえ、あの男に気があるのか?」


「…………無いと言えば嘘になります」


「あんな、なよなよした男のどこが良いのだ」


「控え目に評価しても、あれ以上の殿方はいないかと」


「質問の仕方が悪かった。優秀な貴族と比べてどうなのだ?」


 ここで近衛の女は笑った。


「比べるまでもありません」


 これが本当ならば驚愕きょうがくの事実だ。エレナ以上の存在ということになる。大人しい弟を勇猛果敢ゆうもうかかんな王に成長させたあの女宰相よりも影響力のある存在。


 キリキリと胃が痛む。


 こういうときは嫌なことを忘れて寝るに限る。


「寝酒を用意しろ。キツい蒸留酒だ」


「なりません。それも禁じられていますゆえ」


「…………!」


 まったくもってけしからんッ! 酒も満足に飲めないとはッ! 

 なぜオレがこんな目に遭わねばならぬのだッ! それもこれもあの男、ラスティのせいだッ!

 怒りを募らせていると、胃がムカムカしてきた。


「もういい下がれ」


 近衛を寝室から追い出して、ベッドに潜り込む。


 なぜかあの男の顔が思い浮かんだ。不快感がこみ上げてくる。こみ上げてきた物質的な不快感を、そばにあった布に吐き出した。


 白い布に赤が落ちる。


 ああ、また血が出てきた。


 不調を示す赤を目にしたとたん、倦怠けんたい感が襲ってくる。

 しゃくに障るが、ここは素直に療養に専念しよう。


 体調さえ戻れば…………。


 そんなことを考えているうちに、ふわふわと心地良い感覚に満たされる。抗い難い誘惑だ。


 どのようにラスティをらしめるか、それすらも考えることもできず眠りに落ちてしまった。


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