第192話 謎ミルク



 遺憾だ。まことにもって遺憾だ。

 秘策を称えられ謀将と呼ばれるのならばまだいい。

 しかし、なぜ? 直接敵を殺めたことを称賛されるのだ。それも元帥と……。


「閣下、いままでのご無礼をお許しください。まさかノルテ元帥のような武人だったとは……閣下も元帥候補のお一人なのですか?」


 閣下という敬称けいしょうには慣れている。しかし、なぜ武人として評価されるのだろう? やりすぎた敵の死体はふもとに流されたはず。常闇とこやみともいえる新月の真夜中の出来事だ。敵が倒される瞬間を見ることはあるだろう。しかし、戦の折、倒した相手まで確認する余裕はないはずだが……。

 どうやら私のが考えが甘かったようだ。


「挨拶はもうよいでしょう。エスペランザ様は負傷されています。療養が必要なので退室なさい」


「失礼しましたッ!」

 フローラ嬢の厳しい言葉を受けて、砦を守っていた兵長は軍人らしく一礼をした。胸を張り、毅然とした態度で部屋から出て行く。


 規律が守られた良い部隊だ。カリエッテの将帥としての手腕がうかがえる。


 いま私がいるのはエクタナビアの城門付近にある兵舎の一室だ。ベッドの上に寝かされ、過剰な介護を受けている。


 敵は私の水計で大打撃を被った。侵攻のおそれはない。それにカリエッテも兵を進めている。

 男としての尊厳は守られているが、これからどうなることか……。それが一番の不安だ。


 二人っきりになると、フローラ嬢は私の寝ているベッドの横でひざを曲げて、

「サラシの具合はどうでしょうか? 苦しいようであればゆるめますが」


「けっこう、それよりタバコをくれないか」


 思考にふけるのもいいが、そんな気にはなれなかった。なんとなくタバコを吸いたくなった。口寂しさを覚えたのではない、ただなんとなくだ。


「いけません。診察した医師も絶対安静だと言っていました。タバコも酒もお控えください」


「であれば……話し相手になってくれないかね。寝ているだけでは暇なのでね」


「畏まりました。それで何を話せばよろしいのですか? それとも聞いているだけでよろしいのでしょうか?」


 即座に二通りの提案を出してきた。なかなか頭の回転が速い娘だ。これは楽でいい。


 どうでもいいことだが、信頼しているか試すために、カリエッテに尋問されたときの疑問を投げかけた。あの不鮮明な存在についてだ。


「気づいておられたのですか?」


「気のせいかと思ったが、なんとなくね。人ではないようだが何者なのだ?」


「彼女はミスティ、我々の同胞であり魔族でもあります」


 同胞……土着の一族か、それともカリエッテの私兵か。それとも魔族という意味だろうか? となるとフローラ嬢も魔族なのか。


 魔族がどういった種族であるか、詳しくは知らないが、ぼかしているところを見るとあまり深く聞かれたくないらしい。


 必要性を感じられなかったので、個人の素性について触れないことにした。

 さっくりと尋ねる。

「元帥とはどのような関係なのかね」


「言葉では説明できません。カリエッテ様あっての我ら、とお考えいただければよろしいかと」


「なるほど、家族のようなものか」


「……それはちがうような」


「生死をともにするのならば、間違いではないと思うがね」


「やはり、エスペランザ様は注意すべき御仁ですね。カリエッテ様の推察通りの御方です」


「もしかしてだが、最悪の場合は殺せと命じられていなかったか?」


「はい、怪しい動きがあれば、そのようにと命令されております」

 おそろしい女だ。援軍に駆けつけた味方を拘束するだけでなく、その始末も考えていたとは……。

 どうりで砦の残敵掃討の際、フローラ嬢が駆けつけるのが速かったはずだ。警戒されていたのだからな。


 カリエッテなる老女はあなどれない。

 軍の指揮官ならば、しばしば冷酷な判断を迫られる。しかし虜囚りょしゅうの者を処刑するまでにはいたらない。諜報のセオリーにのっとるならば情報を吐かせるべきだろう。それを飛ばして処刑とは……。


 決断の速い、怜悧冷徹れいりれいてつな女元帥に恐怖を覚えた。


「そのことを明かしてくれたということは疑いが晴れたと受け取ってもいいのかね?」


「はい、私はそのように判断しています」


「根拠は?」


「先の夜襲が最たる例です。水攻めの前例はいくつかありますが、籠城側が仕掛けた例はありません。非凡な才能です。それに怪我を押しての交戦。疑う要素が見当たりません」


「演技という可能性は?」


「考えられません。敵の被害は甚大です。仮にエスペランザ様の活躍が演技だとしても、得るものが少なすぎます」


「なるほど、理解した。それで敵の被害は? 兵士、糧秣ともにかなりの打撃を与えたと思うが、どうなっている」


「配下の者の報告によれば、溺死できし、圧死、凍死とおよそ三分の二近くの兵を失った模様もようです。物見の報告によると、敵の残存兵力はおよそ二万三千。内訳はバルコフが八千、マキナ聖王国が一万五千となっております。カリエッテ様が追撃しているので、れた糧秣りょうまつの回収もままならず、落伍らくご兵があとを絶たない状態。我らの勝利は揺るぎないでしょう」


 無謀な追撃さえしなければ問題なさそうだな。あの老女のことだ、したたかに立ち回るだろう。


「なぜ濡れた糧秣を回収しようとしていたのだ?」


「日持ちはしませんが、すぐには腐りません。それに最近、日ののぼる時間も短くなっていますから。おそらく当面のえをしのぐつもりなのでしょう」


「なるほど」


 汚損おそんした食糧を口にするとは……。


 この惑星の携行食糧は、宇宙軍で支給している物とちがってパッケージ化されていない。濡れたら放棄するものだと想定していたのだが、盲点だった。惑星戦は難しい。


 そもそも大量に水をつかう軍事行動は歴史のなかにしか存在しない。あれは貴重な資源の一つだ。それを無尽蔵に消費するのだから、そのようなコスト度外視の軍事作戦は宇宙軍だったら認められないだろう。

 兵站へいたん事情についてもっとしらべなければいけないな。


 改善点を外部野に保存してから、フローラ嬢に尋ねる。

「それで、敵はどこへ逃げようとしているのかね」


「挙げられる候補は二つ。大監獄と王都。大監獄を占拠しているツッペに動きがないので、そちらへ合流する可能性もあります。ですが、糧秣事情を考えると現実的ではありません。おそらく兵をまとめて王都へ向かうものと推測されます」


「反撃の可能性は?」


「ありません。近々同盟国のランズベリーから援軍が到着する予定ですから」


「その大監獄とやらも放棄するとみて問題ないのだな」


「はい、あそこは火口付近にある不便な場所です。害獣が多いせいで病にかかる者が多いとか。兵を留めても士気が下がる一方でしょう」


「火山か……」


 火山は余剰エネルギーの象徴だ。地下熱を利用したジェネレーターを建設できれば、昼夜関係なくエネルギーを生み出せる。水力式のジェネレーターもあるが、あれは生態系が崩れるらしく自然に優しくない。地球では〝温泉〟なる高級リゾート施設として運営されているようだが……。


 次々と構想が浮かぶ。惑星生活は楽しくなりそうだ。


 明るい未来をあれこれ想像していたら、眠たくなってきた。


「話し相手を頼んでおいてすまない。眠くなってきたので寝させてもらうよ」


「畏まりました。ところで食事は?」


「指定できるのであれば、牛乳とステーキを、付け合わせは任せる」


「畏まりました。良い夢を」


 良い夢か……なかなか詩的な表現だな。事後処理は少ないようだし、ゆっくりするとしよう。



◇◇◇



 あとで知ったのだが、この惑星では牧畜はそれほど根付いておらず、牛乳は超がつくほどの高級品らしい。ちなみにエクタナビアにはヤギも生息していない。

 私が口にしたのは一体なんのミルクだったのだろうか……。


 過ぎたことなので、あまり気にしないようにした。こういうことに限って、知ってしまうと不幸になるのはテンプレだ。私は知的好奇心よりも、ささやかな幸せを選んだ。


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