第177話 subroutine エスペランザ_チュートリアル①



 それでは謀略のチュートリアルといこう。


 私の専門は『軍略』だ。古代の書物には謀略ぼうりゃくの要素も含まれいたらしいが、昨今の宇宙事情では不要となった要素だ。そもそもZOCに謀略は通用しないし、異星人たちの考え方は理不尽だ。そんなわけで、私は謀略を実践じっせんしたことがない。


 しかし、それはさしたる問題ではない。


 謀略に関する知識は十分以上にたくえているつもりだ。

 宇宙史以前の古代史――惑星地球では実に多くの資料が残っている。


 〝兵法〟と言うそうだ。


 この兵法に付随する歴史書も面白い。政治・軍事にかかわらず、謀略・陰謀の歴史が書き記された〝十八史略〟という書物はまさに名著といえよう。

 勝敗の帰結だけではなく、その後のことも詳しく記されている。興味を引いたのは歴史に名を残す謀将たちの記録だ。

 謀略の常套じょうとう手段ともいえる離間りかん策に始まり、疑心暗鬼におちいらせての同士討ち、大量の偽情報で真実を隠蔽いんぺい、高官を買収して強敵をほうむ謀殺ぼうさつ、策があると見せかける空城計などなど。悪意の手札は数知れない。


 なかでも秀逸しゅういつなのが手紙でライバルを憤死ふんしさせた策略だ。真偽の程は定かではないが、軍務に追われる者ならばあるいは……。


 趣味が高じて蒐集しゅうしゅうした歴史データだが、まさかここで役に立つとは。人生とはわからないものだ。この惑星で蘇生したことに運命を感じた。


 物思いにふける私を現実に引き戻したのは、スレイド大尉だった。

「エスペランザ軍事顧問、出立の準備がととのいました」


 私を蘇生させた大尉が、はやく行けとせっついてくる。まるで子供がそのまま大人になったような男だ。二十代後半だと聞いている、まだ若者だ。血生臭い政治の世界を知るにははやすぎる。それに彼のまっすぐな瞳は、あの世界に向いていない。


 蘇生してくれた恩もある。ここは人生の先達せんだつとして、彼にできるかぎりのことを教えよう。それが人の上に立つ者としての役目だ。


 願わくば、若くして散っていった教え子のようになることなく、実りある人生を謳歌おうかしてほしい。


 やれやれ、私ともあろう者が感傷かんしょうひたるとは……歳はとりたくないものだ。


 着衣をただし、馬に乗る。

「それでは交渉に行ってくる。朗報を約束しよう」


「頼みます」


 ロウシェ伍長、それとラッキーという隊長を筆頭とした数名の部下をともなって、問題の離反に応じない貴族の陣営へ向かう。


 こういう交渉事は夜だと相場が決まっている。日が暮れるまで時間があるのでゆっくりと進んだ。


 暇で仕方ないのか、女伍長が話しかけてきた。

「准将殿は、どういった経歴で惑星調査に加わったのですか?」


 ショートヘアーで目尻の垂れた細い目の女だ。猫みたいな口をしていて何を考えているのか表情から読み取りづらい。苦手なタイプだ。まだ十代だというし狡猾ではなさそうだが……。


 この女性兵、階級が下の者と話すときはくだけた口調なのだが、私の階級を知ってからその態度は堅い。楽に話してくれと通達しているが、まったく聞く素振りはない。まあ、軍人なのだからそうなるだろうが……。


「主に艦隊戦の補佐をしていた。名だたる大戦をいくつか経験している」


「でしょうね。帝国じゃ、名誉准将は帝族か侯爵以上の大貴族、それか優秀な貴族様が多いって聞いてますから」


 知っていて聞いてきたのか? それとも知りたいのは肩書き以外の経歴なのか?


「指揮に関しては自信はあるが、個人の戦闘能力はからっきしだ。そこを踏まえて護衛してくれ」


「当然、そのつもりです。ちなみに白兵戦の指揮のご経験は?」


「ある。三度だ。あれは指揮というより味方の質だな。優秀な部下がいたから勝てた」


「エスペランザ軍事顧問は随分と謙虚けんきょなんですね。普通の佐官、将官なら、『俺の名采配だ』って自慢じまんしますよ」


「私はそこまで自惚うぬぼれ屋ではないし、馬鹿でもない。白兵戦にいたっては指揮官の質よりも兵士の経験・練度だろう」


「そういう経験も積んでいると解釈かいしゃくしてもよろしいんですね」


 ロウシェ伍長にまんまと言質げんちをとられた。私としたことが、してやられたな。存外に優秀な女性兵だ。徴募兵とは思えない、何者だろうか?


「私の経歴は話した。次は伍長の番だ」


「アタシは士官学校出のえない軍人ですよ」


「ん? 士官学校を出ているのであれば少尉からのスタートではないのかね?」


「ヘマをやらかしましてね。そのとばっちりで上等兵に転落しました。それでも手柄を立てて伍長にまでい上がりましたけど」


「まだ十代だろう。退官まで頑張れば佐官くらいにはなれるはずだ」


「それまで生きて入ればの話ですがね。アタシは長生きしたいんですよ。大勢の孫に囲まれるくらいはね」


 なるほど、軍隊社会を熟知しているらしい。下士官以下の軍人の死亡率は高い。伍長であれば、士官のすぐ下の曹長まで二回は昇進が必要だ。それに先任経験がないと尉官にはなれない。トントン拍子に出世しても五年はかかるだろう。尉官になっても安全とは限らない。老後のことを考えるようになるのは佐官からだろう。


 スレイド大尉も、惑星調査で手柄をあげて惑星の居住権に貪欲どんよくだし、ある程度は安全な部署でないとそこまで考えが至らないのが普通だ。

 士官学校を卒業しているというし、凡百の兵士ではないだろう。

 出自が気になる。


「ちなみに生まれは?」


「星民です。地球に住んでいました。大陸……といえばわかりますか?」


「ああ、あの大陸の……」


 大陸――かつて地球の過半数を支配していた大国を指す隠語だ。その国が核戦争を始めたおかげで、地球は汚染された。粒子線除去装置が開発されるまで、長らく地球は人の住めない惑星になっていた。

 そういった過去の大罪があるので、あの国の住人は人口問題が浮上するたびにコロニーへの移住を余儀よぎなくされてきた。


 大罪といっても千年以上昔の話だ。いまでは地球も昔のような緑の星に戻っている。

 彼女もまた大罪による被害者の一人だろう。


 なるほど、どうりで蘇生してから物珍しそうに周囲を見渡さなかったわけだ。惑星育ちなのだからな。


「エスペランザ軍事顧問も星民ですよね」


「ああ、私は火星だ。テラフォーミングに成功した数少ない惑星だが、砂埃すなぼこりが多くてね。窒素濃度が低いから生活にはマスクが必要だった。コロニー育ちの宙民からすれば恵まれた環境なんだろうが、どこへいってもマスクをした者ばかり。おかげで、まったくといっていいほど出会いがなかった」


「でも結婚はしているんでしょう。首からさげているソレ、婚約指輪でしょ」


「…………男でも験担げんかつぎに縁起物えんぎもののネックレスくらいはする」


「嘘は言いっこ無しですよ。アタシ見てましたから、ネックレスに婚約指輪を通してたの」


「……目ざといな」


「斥候も軍人の仕事ですからね。で、奥様は一体どんな方だったんですか?」


「世話好きの家内だ、口うるさい女だった」


「またまたぁー、口うるさい女だった、って随分とキザな言い回しですよねぇ。その手口で奥さん口説いたんですか?」


「…………」


「愛妻家なんでしょう。いまさら隠そうとしても無理ですよ、アタシ見てましから。コールドスリープカプセルから出てきたとき首にかけてたじゃないですか。ほとんどの既婚者はカプセル付属の保管ケースに入れるのに」


「…………」


「気になってたんで覚えていたんですよ。コールドスリープ中も肌身離さず持つって、かなりの愛妻家ですよね。もしかして新婚だったりして?」


 やりずらい女だ。まさか婚約指輪でここまで食い付いてくるとは……。


「軍務・軍歴については話すが、プライベートは駄目だ」


「えー、ケチだなぁ。ところで准将殿」


「なんだ」


「夫婦の営みは週にどれくらいでしたか?」


「…………黙秘する」


「えー、教えてくださいよぉー。話しても減るもんじゃないしぃ」


「減る。それにストレスゲージが増える。精神衛生上、好ましくない。私は健康志向だ、心穏やかに日常を過ごしたいのだ。理解してくれたかね?」


「ちぇっ、ケチンボ。そういうことにしといてあげますよ」


「……上官への口の利き方を知らんようだな」


 一度教育する必要があるな。そう思って、衝撃棍ショックスタッフに手をかけたら、

「不可抗力です。准将から楽にするように許可が下りていますから」


「…………」


 この女、見た目に反して狡猾こうかつだな。

 急遽きゅうきょ浮上した女性伍長の対応を思案していたら、辺りは薄暗くなり始めた。夜の時間だ、闇が降りてくる。


 準備していた松明たいまつに火をつけ、夜道を進む。

 三〇分と経つことなく、問題の貴族の陣地に到着した。


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