第174話 束の間の休息②



 いつの間にやってきたのか、ロウシェ伍長が横に立っていた。


「酒臭ッ、おまえ真っ昼間から飲んでるのかッ!」


「大丈夫ですよ、今日は休みですから。それよりも大尉も一杯どうですか?」


 ロウシェは手にしている口をつけていないコップを差し出してきた。差し出された指の間に、器用に肉の串をはさんでいる。


 彼女の顔を見るとかなり赤くなっている。もともと垂れ気味の目尻をだらしなく垂らして、気持ちよさそうにほんわかしていた。相当飲んでいるな。呑兵衛のんべえの言葉は流すに限る。


「遠慮しておく」


「酒は人生の伴侶はんりょ、飲めるときに飲んでおかないと」

 クピクピと美味そうにワインを飲む。


「う~ん、美味しい。アタシとしちゃあ、米で仕込んだ酒がいいんですけどね。生憎とここには葡萄ぶどう酒と蒸留じょうりゅう酒しかありませんでしたから」

 米の酒? 米……ライスかッ! そういえばヘルムートのレシピにもあったな。日本酒だっけ? 材料のライスはある。あとは専用の菌さえ手に入れば酒造りが可能だ。


「その日本酒だけど、材料さえ手に入れれば再現できるぞ」


「本当ですかッ!」


「嘘ついてどうするんだよ」


「大尉殿、アタシは一生あんたについていくよ!」

 力強く言って、手つかずのワインを一気に飲み干した。かなりの酒好きだ。アル中……じゃないよな。

 続いて指に挟んでいた肉串をワイルドに食らう。肉食系女子と見た。ボディラインはまずまずで年齢も十代と聞いている。そこそこ美人だが、俺の守備範囲外だ。女として見るのはやめよう。


「パパッ、はやくはやく!」

 ホエルンがまた袖を引っ張り出したので、クレープを買いに行く。


「ホエルンねぇ、これとこれ、それとこれ」


「三つも食べられるのか?」


「ロウシェお姉ちゃんは両手と指に持ってたよ。ワタシもあれするッ!」


 イン・ロウシェ、あれは悪い見本だ。これからはホエルンに近づけないようにしよう。

 結局、五個もクレープを買わされた。店主が気を利かせてくれて大量購入者用の袋に入れてくれたので助かったが、こうも子供じみたことをするとは……。鬼教官は幼児退行しても俺を悩ませてくる。


 ベンチが埋まっていたので、仕方なく噴水の縁に腰をかける。ホエルンもそれにならって、横に座る。そして、そっと寄り添い身体を預けてきた。男として喜ぶべき展開なのだろう。ティーレでないことが悔やまれる。ティーレとイチャイチャしたことすらないのにッ!


 遺憾だ、実に遺憾だ。


 とりあえず荒んだ心を落ち着けるべく、クレープを食べる。男性客の勧めてくれたコキア味だ。


 なるほど、ほのかな苦みがいいアクセントになっている。コキアってのはココアだな。


 言語データの改善請求をフェムトに飛ばした。


――今後は、コキアをココアに変換すればいいのですね――


【そのほうが便利だからな】


――サンプリングしたデータはどうしますか?――


【一応、保存しておいてくれ。改善した使い勝手のいいほうをみんなと共有する】


――了解しました――


【それとホエルン教官のことだけど、いつになったら記憶障害は治るんだ?】


――脳の機能についてですが、九七%まで回復しています――


【物理的には問題ないんだろう。だったら鬼教官だった頃に戻ってもいいはずだ】


――回復の兆しが見える頃ですが……――


【何か問題でもあるのか?】


――物理的には問題はありません。ただニューロンの活動に不具合があるようです――


【と、いうと?】


――ある一定の時期を境に、記憶とのリンクが確立されません――


【いずれ繋がるんだろう? だったら問題ないと思うけど】


――記憶とのリンクがまったく確立されていないのです。これは脳科学的にもおかしな現象です。本来であれば、枝葉の記憶とリンクするのですが、その活動すら検知されていません。無意識下で記憶とのリンクを拒絶している可能性があります。なんらかの後押しが必要だと推測されます――


【心理的ショックが必要だと?】


――それもありますが、本人の意志が必要不可欠でしょう――


【本人の意志?】


――もしも、ある記憶とのリンクを拒んでいるのであれば、その心理的要因を取り除かねばなりません――


【対処できそうか?】


――無理です。そもそもAIにとって、〝心〟という概念は未知の領域です。アクセス方法がわかりません――


 こうやって思念通信しているのが心へのアクセスだと思うんだけどなぁ。AIにはそこまで理解できないか……。それにしても困ったな。フェムトが無理だとすると、どうすりゃいいんだ? エメリッヒは軍事専門らしいし、エレナ事務官はここぞとばかりに利用しそうだし……。


 となると、やっぱり俺がやるしかないのか……ハァ、面倒だ。まさか苦手な鬼教官のために苦労を背負い込むことになるなんて。


 ついでなので、〈奇跡の御業〉の解析状況も確認した。


――まだ時間がかかります――


【なんでそんなに時間がかかるんだ? 魔法のときはもっと速かったじゃないか】


――魔法と〈奇跡の御業〉ではタイプが異なります――


【似たようなもんじゃないのか?】


――とんでもないッ! 魔法は大雑把なエネルギーの解放。〈奇跡の御業〉は細胞を修復する繊細な作業です。より精密な制御を求められます――


【似たような気がするけどなぁ……】


――のようなものです。高圧の電気回路は単純な仕組みですが、電子回路は複雑でしょう? それに使用するエネルギータイプも交流、直流とちがいます。それと同じ理屈りくつだと思ってください――


 そういえば電気と電子はまったくちがう別物だな。電気はぶっといケーブルを引っぱった記憶がある。電子は簡単なユニットやモジュール交換ってイメージだ。


【〈奇跡の御業〉は電子回路と考えていいんだな】


――………………――


 ん? 俺、変なこと言ったか?


――〈奇跡の御業〉を理解するには電子回路的ロジックが求められます――


【悪い、電気の知識とかそれほど詳しくないんだ】


――トリムの外部野に詳しい資料があるので一度目を通しておいてください――


【時間ができたら一度目を通しておく。いまは緊急の事態だ。〈奇跡の御業〉の解析にリソースを割いてくれ。最優先事項だ】


――宇宙軍の離反者ですね。たしかに脅威です。有用な修復理論〈奇跡の御業〉解析に可能な限りすべてのリソースを割り当てましょう――


【頼んだぞフェムト。俺のサポートをしながら解析する。これは第七世代にしかできない重要な任務だ】


――その通りですッ! さすがはラスティ! まさに慧眼けいがんです――


 こいつ絶対に自我を獲得している。まあいい、俺にとってこれ以上の相棒はいない。フェムト無しじゃ、ここまで来れなかった。相棒を信じよう。

 用件がすんだので思念通信を切る。


 クリームでベトベトになったホエルンの口元をハンカチで拭く。残念なことに食べこぼしが俺の膝に落ちていた。こんなことになるのなら、身体を密着させなかったのに……。やましい下心をもった天罰だろう。いや、もしかすると嫉妬しっとしたティーレの呪いかもしれない。


 それにしても、あれもこれも同時進行で管理が面倒だ。

〈奇跡の御業〉の解析、ホエルン教官の幼児退行、エクタナビアの援護、第三王女の安全確保。

 どれもこれも俺の頭を悩ませてくれる。


 これを片付けたら、晴れてティーレとの婚姻が認められる……はずだ。駄目だったことも考えて駆け落ちも視野に入れておこう。


 抱きついてくる鬼教官の頭を撫でながら、今後の身の振り方を考えた。


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