第107話 偽書②●



 インクを受け取ると、それを指にとって蜜蝋みつろうった。今度は、その蜜蝋で紙に押印おういんする。


「ほら、ここ。アデルの持っている国王の印だったら、ここが欠けているはず。それがない」


「本当ですね。私も何度か書類を見たことがあるので知っています。なんでも王都から逃げ出す際、どこかにぶつけて欠けたのだとか。陛下直属ではないのですっかり忘れていました」


 有能な側付きにも、うっかりがあったのに驚きだ。ということは筆跡はかなり本物に近いらしい。


 M2がいなかったら私も騙されていたわ。危ない危ない。


「指輪のきずを知っている人は?」


「信頼できる側近にしか漏らしていないはず。……もしかして我々を疑っているのですか?」


「密偵を除いての話よ。だって、あなたたち命がけで陛下を守ってきたんでしょう。いまさら裏切ったって意味ないことくらいわかってるわよ」


「……いまさらとは聞き捨てなりません。若い密偵が聞いたら怒りますよ」


「言葉が悪かったわね。あなたたちようなことしないでしょう」


「疑いが晴れたと受け取ってよろしいのですか」


「疑うもなにも、あなたならそんな回りくどいことをしないで私を暗殺するでしょうに」


「引っかかるところはありますが…………そうですね」


「で、国王の印について誰と誰が知ってるの」


「カリンドゥラ殿下、リッシュ・ラモンドや大臣たちくらいでしょう」


 予想通りだ。だけど嬉しくない。ただでさえリッシュという政敵がいるのに、また増えたなんて! あー、カヴァロに戻りたくないなぁ。そのうち毒とか盛られそう。


「伝令の人って、まだ砦にいる?」


「執務室に待たせています。なんでも返事を待って帰るとか」


「なるほどね。返事を書かせて、それを元に私の文字を真似るつもりね。どうせ証拠の勅命が入っていた筒も返せとか言ってくるんじゃない」


「なぜそのことを!」


「大体の察しはつくわ、証拠しょうこ隠滅いんめつよ。勅命自体をなかったことにして、私を命令違反で処断するつもりでしょう。あと考えられるのは、返事を書きに執務室に行ったら襲ってくるくらいかしら。もしくは怪しまれたときに襲ってくるとか」


「いますぐにでも捕縛ほばくしますか」


「やめておきましょう。逃げられると厄介だわ」


「では、どのように対処なされるので」


「襲いかかってきたところをつかまえるわ。今日はツェリが来る予定だから、それまで待たせておいて。待たせる理由は……そうね、率いている兵の大半がガンダラクシャの兵だから、調整や打ち合わせが必要ってことにしておいてくれる。返事はそのあとってことで」


「かしこまりました。では、そのように対処しておきます」


 運の良いことに、ツェリはトベラと一緒にやって来た。ツェリの部下である騎士団の団長――男爵も引き連れている。


 証人は揃った。では曲者退治といきましょうか。


 ツェリたちにはこのことを伏せておき、件の伝令を待たせている執務室まで同行してもらう。


 執務室に入ると、来客用のソファーに座ってもらった。私は返事を書くために執務机に腰かける。伝令の後ろにはロビンが控えている。いい位置取りだ。


 舞台は完璧。いまから始まる寸劇が楽しみだ。


「ところであなたの名前は」


 まずは伝令の身元確認からだ。


「ガスコーニュと申します。カリンドゥラ王女殿下に仕える騎士の一人です」


「ああ、だったらも持って来てくれているはずよね」


「例の物?」


「とぼけなくてもいいわ。って知ってるでしょう。さあ、カーラから預かっている茶葉を頂戴」


 嘘だ。私は食後とタバコを吸うときだけコーヒーを飲む。カーラの部下なら知っているはずだ。あの女、女性らしからぬところがあるけど、そういう気配りはできている。当然、カーラの部下は私の相手をする機会が多いので、そういった日常的な習慣は知っているはず。


「そうでしたね。おられましたね。ですが、急を要する勅命なので、今回は茶葉を預かる余裕はありませんでした」


 これも嘘だ。そもそもあの女、私に茶葉など届けない。届けるとしたら酒かタバコだろう。


 これらのことから推測するに、黒幕は酷く頭の悪い人間だ。おまけにカーラの部下とも接触していない。となると、日頃からカーラと接触していない敵対派閥ということになる。もしくはカヴァロ外部の者……。

 もう少し探りを入れたいところだけど、このあたりが限界かな。


 それでは勝負を仕掛けましょう。


「あなたの雇い主は誰?」


「な、なんですかいきなり。カリンドゥラ王女殿下に決まっているではありませんか」


「嘘ね。この勅令もまっ赤な偽物。あなたわかってるの、国王の印を偽造したら極刑――死刑になるのよ」


「……ち、ちがいます。その印は本物です」


 ツェリたちは気づいたようで、ソファから立ちあがる。


 それを失敗と受け取ったガスコーニュは、懐からナイフを取りだし、飛びかかってきた。

 身体をひねって刺突を避ける。がら空きになったガスコーニュの腹にキツい一撃をお見舞いした。


 ロビンが取り押さえ、ツェリが喉元に剣を突きつける。

「貴様、勅令を偽造するとは極刑ものだぞ!」


「毒を飲ませないように注意して!」


 私が指示を出すのと、ガスコーニュが何かを飲み込むのは同時だった。


「ロビン、吐き出させてッ!」


 優秀な側付きは、すかさずガスコーニュの口に指を突っ込む。間一髪で毒を吐き出させるのに成功した。

 舌をかみ切って自決しなように猿ぐつわを噛ませてから、丁重に拷問部屋へご招待。


 さて、無駄な仕事を増やしてくれたお礼をしないと。


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