第94話 出兵前のコーヒーブレイク●
私の準備は終わったけれど、軍の準備はまだだった。
どうも私の知らないところで
無理もないことだ。ここカヴァロに駐留している兵士は全部で八万。そのうち三万が先の戦いの敗残兵で、負傷兵が二万もいる。実質の兵力は六万といったところだ。そこからさらに一万七千が抜けるわけだから、保身に走る大臣連中はもとより貴族まで、こぞって反対しているのだろう。
本当に馬鹿な連中だ。つかえる兵士を無駄に拘束して有効活用しようとしない。
遷都したカヴァロを守るのも重要だけど、当初の目的を忘れている。王都の奪還だ。
ただ待っているだけでは国土は取り返せない。失地回復のためには攻めなければならない。難しいことだけど、可能性はゼロではない。
ベルーガにとって踏ん張りどころ。平和への道のりは辛いだろうが、明るい未来が待っている。
それなのに、ここの連中は現実を見ようとしない。
いまだに貴族のプライドやマキナを批判するだけで、直面している問題から目を逸らしている。
要するに能力がないくせに、態度だけは一人前。崩れつつある砂山の上で踏ん反り返っているわけだ。
そんな馬鹿どもだけど処断はできない。かつて国に貢献した名家の血筋や、功績を挙げた者もいる。そいつらを感情に任せて処断しようものなら、下にいる貴族たちはどのように受けとめるだろう。冷酷な王、暴君、暗君……etcetc。
そうでなくてもアデルは若い。統治能力を疑われるだろう。もしくは摂政であるカーラが槍玉に挙げられる可能性もある。どちらにせよ、よからぬ結果になるのは目に見えている。
ああ、本当に面倒だ。
私がしゃしゃり出ても問題は解決しないでしょうね。
ここはカーラのお手並み拝見といきましょう。
やることもないので、カヴァロの庭を散歩する。ちいさな湖の脇に暇を潰すのによさそうな
近くにいる侍女を捕まえて、東屋にコーヒーを届けるように頼んだ。
それから申しわけ程度の庭園を歩いて、東屋へ足を向ける。
北の寒冷地だけあって、生息している動物は少ない、それに比例して草花や虫も。それでも色とりどりの花が庭園に植えられている。
私の好きなバラはなかったけど、同じ赤い色の花を見つけた。気に入った一輪を手折り、花弁をクルクル回しながら東屋へ行く。
東屋は寒々しい場所だった。いまの私におあつらえだ。
石造りのテーブルに椅子。ヒンヤリとする椅子に腰かけて、湖を眺めながらタバコを吸う。
北部の秋風は冷ややかだ。肌に染みる。
水鳥のいない寂しい湖を眺めながら紫煙を吐く。吸うたびにチリチリと鳴るタバコだけが、私の相手だ。
しばらくするとコーヒーを持った侍女がやってきた。
物覚えのよい侍女はコーヒーとミルクを置いて、静かに立ち去る。
コーヒーにミルクを垂らすと、いまの私の心境を物語るようにコーヒーカップのちいさな世界に複雑な模様が浮かびあがった。
大人の苦い味を確かめながら、新しいタバコに火を点ける。
短くなったタバコは、石のテーブルでもみ消した。侍女に嫌がらせをしているわけではない。彼女たちの仕事をつくってあげているのだ。貴族にはこのようにして、侍女たちに仕事を与える義務がある。
貴族たる者、侍女たちの必要性を見せつけ安心感を与えなければならない。
くだらないことを考えている間に、三本もタバコを吸ってしまった。
そろそろ執務室へ戻ろうかと腰をあげたところで、アデルがやってきた。
もうしばらく、ここに留まる必要がありそうだ。
アデル付きの侍女に追加のコーヒーを頼む。そうしている間に、アデルは私の横に座った。
「エレナ、時間は大丈夫か?」
「大丈夫よ、陛下」
それからしばらく他愛もない話をした。といっても、どれも私に関する話だけど。
なぜか突然、アデルは黙り込み、引き結んだ唇を波打たせた。
何か言いたいことでもあるのかしら? スリーサイズとか聞いてきたりしないわよね……。
「エレナよ。絶対に生きて帰ってくるのだぞ」
ああ、そういうことか。なんともお優しい王様だ。
「当然よ、私が戻ってくる場所はここしかないわ」
「この東屋か? あまり眺めは良くないようだが」
「いいえ、アデルの隣よ」
甘い声で
「無理をしなくてもよいぞ。敵はかなりの軍勢だと耳にした。エレナが手遅れだと思ったら引き返してくるのだ。余はそのことを責めない」
いざという時のことを考えて、逃げる口実まで用意してくれているとは、なんとも素晴らしい愛ではないかッ!
「それはなりません。陛下のため、私は命を懸けて臨む所存です」
「そこまですることではない」
「そこまですることなのよ、アデル。あなたが立派な王様になるために、私は頑張るの。だからアデルも勉強、頑張ってね」
「……ぜ、善処する。それで、いつになったら帰ってくるのだ」
「わからないわ。三ヶ月かもしれないし、半年かもしれない。もしからしたら一年かかるかも」
「そんなには待てない」
「いいえ、待つのよ。それがあなたの仕事なんだから」
このままだと駄々をこねそうなので、ここで一気に勝負をかけた。
「そうだ。陛下が勉強に打ち込めるようにおまじないをしてあげるわ」
「おまじない?」
「そうよ、効果抜群のおまじない。だから目を
「こ、こうか」
ぎゅっと目を瞑ったアデルは、
額に軽くキスしてあげた。いくら鈍いお子ちゃまでもわかるでしょう。
「もういいわ、目を開けて」
「…………」
アデルは頬を赤らめもじもじしている。どうやらわかって頂けたらしい。
「帰ってきたら、もっといいことしてあげる。だから勉強、頑張るのよ」
「う、うん」
迎えの者が見えたので、ここでアデルとはお別れ。
若者パワーをいただいた。英気も養ったことだし、いっちょ修羅場くぐってきますか。
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