第88話 subroutine カーラ_もう一人のツイてない女①●


◇◇◇ カーラ視点 ◇◇◇


 オレが独断で宰相に据えた者。エレナ・スチュアートは実に奇妙で、優秀な女だった。

 遷都したばかりのカヴァロ城内に、突如、鉄の箱が落ちてきたのは記憶に新しい。いまでも鮮明に覚えている。


 兵舎を建てようとしていた空き地に、巨大な鉄の箱が地面に激突することなく緩やかに降りてきたのだから、兵士はもとより城内の貴族や侍女たちまでもが大騒ぎしていた。


 聖王国の魔導遺産レガシーかと噂が飛び交い、対応に追われたものだ。摂政せっしょうという地位にいていたせいで、どいつもこいつもオレに解決を迫ってくる。

 頼るべき大臣や貴族はぼんくらばかりで、手に負えない問題事は全部オレに丸投げだ。日々の激務に加えて、こんな厄介な案件を押しつけられたときは、さすがに腹が立ったのを覚えている。


 あのとき怒りに任せて大臣たちを粛正しゅくせいしなかったことを褒めて欲しい。父や母とまではいかなくても、せめて乳母くらいには……。


 本当にツイてない。無い物ねだりになってしまうが、まともな部下が欲しい。頼りになる者が欲しい。そして、可能であれば甘えることのできる…………。

 最後のは求めすぎか。


 あまりにも城内の者がうるさいので、とりあえずの対策として鉄の箱を兵士たちに囲わせた。



◇◇◇



 半月が過ぎたある日のこと。


 巡察で立ち寄った際に鉄の箱から人が出てきた。

 赤毛の女だ。見たことのないピッチリとした服を着ている。

 どういった身分の者だろう?

 対処の仕方に悩む。


「抵抗しないから乱暴はやめて」


 まっ白な旗を振り、両手をあげて投降の意志を示してきた。

 それなりの作法を心得ているようだが、やけに身綺麗だ。それに振っている旗。手作りであろうそれは恐ろしく白かった。


 兵士が投降する際、たいてい黄ばんだ旗を振る。汚れのない白い旗を振るのは貴族で、女が振っている旗は貴族の振る旗よりも白い。純白といってよいほどだ。

 どこの国の者かはわからないが、かなり身分の高い貴族であることだけはたしかだ。


 兵士たちがざわめくなか、オレは事を荒立てないようにした。


「騒ぐな、ベルーガ王国の第一王女、カリンドゥラ・フィッツ・エーデルハイド・ベルーガの名にかけて、貴女に危害を加えないと約束しよう。皆の者もわかったなッ!」


 久しぶりに大声を出した。最近、書類仕事が多かったので、ろくに人と喋っていない。発声に自信がなかったことを考えると上出来だ。声が上擦らなくてよかった。

 オレとしては名采配だったつもりだが、異論を唱える者がいた。大臣どもと、若手のアルベルト・カナベル元帥だ。


「殿下、このような得体の知れぬ女、ただちに斬り捨てるべきだと」

「怪しい女だ。敵の密偵かもしれませんぞ!」

「聖王国が放った暗殺者かもしれませぬ。殿下、ご用心を」


 どいつもこいつも、頭の悪さを露呈するような進言ばかりだ。仮にそうだとして、なぜ昼間に姿をあらわした? オレなら夜を待って、こっそりと行動に移す。本当に馬鹿ばっかりだ。


 極めつけはカナベル元帥だ。

「素性のわからぬ怪しい女です。ただちに捕らえましょう」


 怪しいのはわかる。しかし、わざわざこの城に目立つ鉄の箱でやってくるだろうか? 訳があるはずだ。それを問いただす前に捕まえるなど滑稽こっけい。女の機嫌を損ねては知りたい情報を聞き出せない。それこそ意味がない。


「おまえたちの言い分もわからんではない。だが王族の名にかけて約束したのだ。それをおまえたちは破れというのか」


 王族や貴族は、その名を出して交わした約束をたがえてはならない。ベルーガだけでなく、どこの国でも通例となっている暗黙の了解だ。それを馬鹿どもはねじ曲げろという。まったく、貴族の誇りはどこへ行ったのだ。


「ですが……」

「しかし……」


 反論できぬ大臣どもは言葉を濁して逃げようとする。追い詰める気はないが、今後の扱いを考えねばなるまい。この国に無能を養う余裕はないのだ。


「殿下の名を出した約束など無効にすればよろしいのでは。見たところ、鉄の箱から出てきたのはあの女は一人だけ。始末しても、外部に漏れません」


 王族が一度約束したことを破るなど言語道断だ。そのような卑劣な行為を勧める臣下など、この国にはいらない。


「卿の名は?」


「外務を勤めておりますベッケス・リンドと申します」


「そうか、ならばベッケス・リンド。其方の任――外務大臣の職を解く」


「なっ、なんですと! いくら王女殿下でも横暴でございます」


「この女が、もし他国の使者だったらどうするつもりだ?」


「そのようなことはありません」


「なぜそう言い切れる」


「わざわざこのような鉄の箱で使者が参るでしょうか?」


「そうだな。だが、もし他国の王族であったとしたら? あのような純白の旗を掲げる者だ。王族か、或いはそれに近い大貴族の可能性がある。それを始末しろだと。貴様、何かあったときの責任をとれるのか?」


「そ、それは殿下の」


「ほう、このオレに責任をとれと……そうか、貴様は私の失脚を望んでいるのだな。ならば造反のとがで処断されても文句は言えまい」


「そのようなつもりで進言したのではなく」


「下がれ」


「殿下、何卒私の言い分を」


「下がれと言っているッ! 聞こえんのかッ!」


「殿下、私の言い分をッ!」


「衛兵、この者をつまみ出せッ!」


 権力の椅子にしがみつく愚か者を退けて、オレは本題に着手することにした。

 あの女との交渉がまだ残っている。これを解決しないことには、城の連中も落ち着かないだろう。この問題を放置したら、オレまで無能呼ばわりされるかもしれない。無力な弟を守るためにも、それだけは回避せねば。


「そこの女、投降を受け入れよう」


「ありがとうございます」


 女は両手をあげたまま近づいて来る。腰に変わった物をぶらさげているものの、武器の類は持っていない。


 近づいてくるにつれて、女の輪郭がハッキリとする。肩ほどまであろうウェーブのかかった赤毛を、頭の後ろで高めに結っている。オレには負けるが、かなりの美人だ。妹を思い起こさせる赤い瞳が印象的だ。


「カナベル元帥。彼女を応接室にお連れしろ。くれぐれも粗相のないように、いいな」


「かしこまりました!」


 女を応接室に待たせている間に、部屋に戻ってワインを一杯やった。気合を入れて女に臨む。


 応接室に入り、女の向かいに腰をおろす。

 オレが向かいに座ったにもかかわらず、女は優雅に紅茶を飲んでいる。オレは王族だぞ。挨拶もしないとは一体どういう神経をしているのだ?


「名前は」


「エレナ・スチュアート。二四歳、独身。趣味はタバコとアルコール。好みのタイプは年下」


 エレナという女は聞いてもいないことをべらべら喋った。口は軽いらしい。扱いやすい相手だ。


「どこの国の者だ」


「この大陸の外から来たの」


「大陸の外? 海の向こうか。なんという名の国だ」


「帝国。私はそこの帝室の娘、といえばわかりやすいかしら?」


 帝国? 聞いたことのない国だ。しかも帝室の娘だという。真偽の程は定かではないが、話が本当ならば王族か、それに連なる高貴な血筋なのだろう。なるほど所作が美しいわけだ。


 しかし解せない。そのような高貴な血筋の者が、護衛も連れずに一人であらわれるとは……。


「なぜここに?」


「あなたたちが鉄の船って呼んでいるアレね。アレが落っこちたの。だから仕方なく出てきたわけ」


「半月も経ってからか。なぜ落ちてきたときに出てこなかった」


「こっちにも事情があるのよ。それより、なんで落ちてきたときに出ないと駄目なの?」


「…………」


「理由は? 教えてちょうだ」


「いや、なんだ。特に意味は無い」


「じゃあ、この話はお終いね」


 見目麗みめうるわしさとちがって、やりづらい女だ。


 それからいくつか下問した。

 その結果、エレナなる女は恐ろしく頭の回転が速い女だと判明した。

 運命を感じた。

 無能な貴族連中を重用するより、エレナに相談を持ちかけたほうが問題ははやく解決する。


 是非とも部下にほしい人材だ。いや、エレナの気性からから考えると、留めるのは無理がある。何か上手い手はないか?

 そうだ、この気性を利用しよう!


 エレナには便宜べんぎをはかると言って、顧問役として迎えた。意見を聞きたいと誘導し、大臣たちとの会議に参加することを約束させた。

 うまくいけば無能どもも間引ける。一石二鳥の企みだ。


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