第71話 生きたサンプル②●



 少女にナノマシンを移植した翌日。

 光の刺激から守るため巻いていた包帯を取る。

 さらにもう一日をクーリングタイムにあてて、屋内でまぶた越しの光に慣れさせた。


 治療から三日目、ついに瞼を開く。


「まだ目を開けちゃ駄目だぞ。しばらく光に慣れてからゆっくりと目を開くんだ。いいね」


「はい」


 黒髪金眼の少女は睫毛まつげをプルプルさせながら、ゆっくりと目を開いた。


「………………」


 少女は何も言わない。見ているほうが落ち着かない。もしかして失敗したのか? 完治に至る視界の変化についてよく知らないので、少女の態度から治療の成否が判断できない。声をかけたい衝動に駆られたものの、少女の自主性に委ねることにした。

 治ってほしいと、心のなかで願う。


「…………これが世界! なんて美しいッ!」


 ちゃんと目が治っているのか確認する。


「この色――指の色がわかるか」


 立てた指を近づけると、少女は小首を傾げた。


「……色? すみません色という言葉の意味を知らないので……」


 俺としたことが失念していた。先天性の視力障碍なので、少女に色という概念はない。


「悪い。いまのは忘れてくれ」


 色や形の視覚情報がちゃんと脳に伝達されているか知りたかったのだが、経験や概念がないのでは無理な質問だ。


「当分は明るいところを出るときは帽子をかぶってくれ。強い光は目に悪いからな。絶対に上を向くな」


 手作りの麦わら帽を渡す。


 少女はちいさく、これが帽子、と呟きながら麦わら帽を受け取ってくれた。


「ところでお医者様のご尊名は、差し支えなければ教えていただけませんか」


 目の治療は思わぬ副産物を与えてくれた。トゲのあった少女の口調が柔らかく丁寧になった。好感度が爆上がりしたのをヒシヒシと感じる。でも俺の口調は変わらないけどね。


「俺はラスティ。ラスティ・スレイド。君は?」


「これは失礼を、私の名はマリン・ギゼラ・ガーゼルバッハ」


 名前が三つ。なんとなく偉そうだ。それなりに地位のある家の娘さんなんだろう。ツイてるぞ。


 権力者なら話ははやい。上手くいけば最短ルートで魔族と友好関係を結べる。その前に、なんで村を襲ったか理由を聞いておかないと。


「マリンに聞きたいことがあるんだけどいいかな」


「なんなりと」


 麓の開発村を襲った理由は聞いたら、医者を連れてきたかったのだと告白してくれた。


「大恩ある御方に刃を向けてしまいました。私にできることならば、どのような形であろうとつぐないはさせてもらいます」


「どのような形……」


「私とて命は惜しいです。それ以外であれば甘んじて受ける所存。この身体を求められるのならば差し出します。それとも私の支配するをご所望ですか」


 交渉に来ただけなのに、随分とドロドロした話になってしまった。

 黒髪金眼の少女は言うだけあって、かなりの美人だ。慈愛に満ちたティーレとは真逆で、冷たく陰のある美人だ。

 ……気のせいか、ティーレの視線が痛いような。


 ちらりとティーレを見やると、澄ました顔をしている。


【なあ、フェムト。ティーレの機嫌わかるか】


――わかりますが、個人情報保護法に抵触します――


【そこをなんとか、頼むよ】


――ラスティ、もしかしてティーレの気持ちを踏みにじるのですか?――


 そう来たか! さすがにその言葉を出されるとキツい。


【そんなつもりは……でも、気になって】


――パンドラのはこという話を知っていますか?――


【あれだろう、希望っだったか、だったか、それ以外は匣の外に飛び出したって古代史に出てくる伝承だろう?】


――になってもよろしいのですか?――


 どんな結末だったっけ?


――未来がわかってしまっては、人生はつまらないのでは? ラスティは攻略方法のわかったゲームをしても楽しいですか? 遊びではなく作業になってもよろしいのですか――


 なるほど。ティーレのご機嫌をうかがいながらの人生ってのもつまらないな。そういえばヘルムートも言ってたな。恋愛は駆け引きが一番楽しいって。まあ、結婚は墓場らしいが、その過程――駆け引きが作業だったら嫌だな。


 それにしてもフェムトの奴、やたらティーレの肩を持つよな……。


【そうだな。ティーレの愛情を踏みにじっちゃ駄目だよな。わかった、今後はコソコソしない】


――わかればよいのです、わかれば――


 なんだろう。立場が逆転しているような……。まっ、いいか。


「償いはいらない。麓の一件も人が死んだわけじゃないし、今後は仲良くやっていこう」


「それでは。何卒、お受け取りください」


 うーん、困ったなぁ。ほしいものとかないんだけど……。

 お礼目当てで助けたわけじゃないし。ここは一番価値の無さそうなものにしておくか。


「じゃあ、御言葉に甘えて拳ほどの領土を」


 とたんにマリンは赤面した。ん、何か変なことを言ったか? もしかして、この山じゃ拳ほどの領土でも価値があるとか。そんなわけはないだろう……と思う。


「それより一つ頼みたいことがあるんだ。俺たちはそのためにここまで来た」


「なんでしょうか」


「魔族の人たちと交流を持ちたいと思ってるんだ。今後、争いが起こらないようにね」


「約束したいところですが、難しいですね。まずは我らの王に会ってくれませんか?」


 王? ってことは魔王がいるのか!


 この少女だけでも厄介なのに、その上がいるとは……。魔法障壁の対抗策は考えてきたけど、それ以外の手で来られたらどうにもならないぞ。


 一抹の不安は残るが、これはチャンスだ。魔族の少女の口添くちぞえもあるし、悪いほうへは転がらないだろう。


 みんなのほうを顔を向けると、なんとなく察していたようで、

「あなた様のお好きなように」

「もちろん、王様に会いに行くんだろう。ラスティと一緒にいると退屈しないな」

 ティーレとルチャは賛成だ。


 護衛の二人は不服そうだったが、やれやれといった感じで肩をすくめる。

「ここまで来たのです。ラスティのお好きなように」

「こうなっては俺でも止められまい」

 諦めがついたようだ。


「そうだな。王様と会ってみよう」


「では私がご案内致します」


 こうして俺たちは、マリンの案内で魔族の国に入ることになった。


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