第23話 旅の終わり①● 改訂2024/06/15



 何かと問題が多い旅だが、この惑星についていろいろ知った。

 魔法に文字、ティーレ限定の一般常識、それに国家勢力などなど。


 それに経験も積んだ。サバイバル術だ。

 昔の偉い人が言っていた『衣食住』の大切さを知った。俺はそれに風呂を付け加えたい。なんせ、汗や汚れで『衣食住』の衣を簡単に汚してくれるんだからな。


 でもまあ、いい経験ではあった。


 ティーレの身体を拭けるというご褒美は……。


 片腕で不憫なティーレの身体を拭いたことは数え切れない。そのつど彼女の素肌を拝めるのはいいのだが、目のやり場に困る。いくら彼女が俺のことを夫だと認めてくれても、卑しい目を向けたくはない。

 たぶん、こんな草食的なところがモテない理由なのだろう。


 しかし、彼女の前では紳士であることを決めた以上はそれを貫き通さねば!


 男として、紳士として、決意を固めてティーレの身体を拭いた。

 鋼の意志で臨んだつもりだ。だけど……。


「あなた様、……恥ずかしいのですが…………」


「ごめんごめん、ちょっと待っててくれ」


 背中は普通に拭くけど、前を拭くときだけは目隠しをする。定番の作業となった目隠しをして、彼女の柔肌に触れる。


【フェムト、サポートを頼む】


――覗き……ですか?――


【ちがう、ティーレの身体を拭く手伝いだ】


――ああ、アレですか。でしたら音響スキャンですね。で、精度はどのくらいにしましょうか?――


 音響式スキャンで位置や形状は把握できる……ん? いかんいかん、味気ない音響スキャンの線分表示ベクトルデータでも覗きは覗きだ。


 取得するのはざっくりとした位置情報だけにしよう。


【身体を拭くだけだ、おおまかでいい。立体情報は絶対に取得するなよッ!】


――了解しました――


 これでいいだろう。目隠しをしたままじゃ不便だけど、紳士でいなければ!


 再度、彼女の身体を拭く。


「胸の下もお願いできますか」


 胸の下だとッ!


 胸の下といえばお腹だ。もしや、そこが恥ずかしいとか? そういえば女性をお腹を気にするって、なんかの雑誌に書いていたな。


 ゆっくりと腹部を拭く。


「アンッ! ちがいます、あなた様ッ」


「す、すす、すまないッ!」


 えっ、でも胸の下って言ったよな?


「私の言い方が悪かったみたいです。胸を持ち上げた下です」


 胸を持ち上げるだってッ! 何それッ、そんなの全然知らないんだけどぉッ!!!


「…………胸の裏側です」


 胸の裏……。


 初めてだらけで頭が混乱する。でも紳士的に接する理性だけは残っていた。

 ティーレの指示に従い、人生初の胸リフトをした。


 そこから、あとのことは覚えていない。

 ただホヨホヨした感触と鼻血が伝う熱い感覚だけは残った。

 紳士要素にこだわり、体験を記録するのを忘れてしまった。勿体ない。


 そんな苦労もあって、臭いが気になるほど不衛生ではない。しかし綺麗好きな俺としては不合格だ。清潔とも言い難い。



◇◇◇



 森を行くこと半月以上、ついに俺たちは開けた場所に出てきた。川だ! やった、これで身体を洗えるぞ!


 長い道のりだった……。〈湧水〉で水は出せるが、生み出せる量は知れている。これまで身体を洗う機会がなかったので、固く絞ったタオルで身体を拭くだけですませていた。


 さすがにここまで来たら、ガーキたちに襲われる心配はないだろう。目の前に川もあることだし、水浴びをしよう。


 魔物に襲われる心配があるので、ドローンで徹底的に周囲を調査した。それから、交代で川に入ることを提案。

 まずはティーレだ。彼女に水浴びを勧める。


「私よりも、あなた様のほうが……」


「気にしなくてもいいから」


「そ、そうですか。では御言葉に甘えて」


 彼女は恥ずかしそうに服を脱ぐと、俺に背を向け川に入った。水浴びをするティーレは美人だった。腹立たしいが、ガーキの評価は正しい。後ろ姿でも美人だとわかる。


 遠目に腕の具合を診る。自己修復は順調で、現在は指を再生中だ。あと少しで、失った右腕が元通りになる。ゴールはすぐそこだ。

 右腕の完治は近い。肩の重荷がおりた気がする。他人事ながら、ほっとしてしまった。


 しげしげと見つめる俺の視線を感じてか、ティーレは恥ずかしそうにタオルで身体を隠した。


 おっと、女性の水浴びを覗くのは紳士のすることじゃないな。


 慌てて後ろを向く。


 見慣れた森は無視して、遠くの空へ目を向ける。

 遙か彼方に、山が見えた。とても長い山脈だ。森の向こうには山脈が水平線まで伸びていて、東の空に城の尖ったてっぺんが見える。

 目指すガンダラクシャはすぐそこだ。

 現在地とガンダラクシャの距離から考えると、旅はあと数日。


 この旅も終わりか。ティーレを送り届けてからどうしよう。何も考えてないや。ティーレはお嬢様だから家族のところに帰っていくんだろうな。俺はこの惑星じゃあ、素性のわからないよそ者だ。彼女みたいな箱入り娘と釣り合わない。精霊様のお告げでも、両親は俺との結婚を反対するだろう。


 軍人の悲しい性か、つい失敗したときのことを考えてしまう。これが軍事行動だったら、無理にでも進むという手もあっただろう。でもまあ、普通の生活で突撃する場面って無いしなぁ……。


 くよくよしても現実は変わらない。ティーレを無事に送り届けられたことを素直に喜ぼう。彼女は平穏な世界に戻るんだ。それでいい。


 考えを切り替える。

 彼女のためにもあと数日、気を抜かないで頑張ろう。


 ティーレの水浴びが終わると、次は俺の番だ。

 人生初の川での水浴び。

 一歩川に足を踏み入れると、目の覚めるような冷たさが襲ってきた。

 氷水のように冷たい。

 長居すると風邪を引きそうだ。


 身体を洗いながら、水質をチェックする。

 水面みなもを指で触れるとき、俺の顔が映りこんだ。

 なかなかワイルドになっていた。なんの変哲も無い小麦色の髪。髭は毎日剃っているのでこざっぱりしているが、髪は伸び放題だ。

 ガンダラクシャについたら髪を切ろう。


【フェムト、この川の水は飲めそうか】


――飲用可能です。若干微生物が混じっていますが、体内のナノマシンで対処できます――


 飲用可能と聞いて安心した。

 手持ちのペットボトルがあと数本なので、ありがたい。〈湧水〉で水をつくれるが、それですべてを賄うとかなり疲れる。川の水は魔物を倒したときの返り血を洗い流すのにつかおう。


 あとで丸めたペットボトルを元の形に復元させて、水の補充だな。


 川から出ると、ティーレがタオルを渡してくれた。気の利く娘だ。


「あなた様、はやく身体を拭かないと風邪を引いてしまいますよ」


「そうだね。ありがとう」


 旅の汚れを落として久々に爽快な気分になると、今度は腹が空いてきた。

 手持ちの食材を確認する。切り詰めて食べてきたつもりだが、旅に出る前に買い溜めた食料は残りわずかだ。このままのペースだと、ガンダラクシャに着く前に食べ尽くしてしまう。フェムトに試算させたところによると一日二日、食事を抜くだけなので問題ないと言われたが、ティーレに不便を強いたくはない。

 どうにかして食料を調達しよう。幸い、目の前には川がある。食べられる物があるかもしれない。


【そうだ。フェムト、この川に食用可能な物はあるか?】


――魚が数種類います。食用に適した大きさのものですと二種類ですね。エビとカニもいますが、小型です。指ほどもない大きさなので、食用に適していません。わざわざ捕獲する必要もないかと――


 エビとカニか……。宇宙では、魚介は肉よりも高い高級食材だ。一度食べたてみたいけど、ちいさいのはなぁ。魚介の高い理由がわかった気がする。


【魚は捕まえられそうか?】


――川の流れが速いので、せきをつくることをお勧めします。スタンが有効です。堰で逃げ場をなくしてから、スタンで気絶させれば生け捕り可能です――


 スタンとはナノマシンの機能の一つだ。暴動鎮圧用で、高電圧で流し込んで相手を気絶させる。威力は無いに等しい。

 接触式の電磁スキャンに比べると格段にコスパは悪いが、暴徒と化した民衆を鎮圧するのに便利だ。


【おまえ、なんでも知ってるな】


――当然です。データの蓄積量がちがいますから――


 水浴びを終えてから、フェムトの助言に従い川に石でつくったC型の囲いをつくる。しばらくすると魚があつまり、そこへスタンをぶちかます。

 実物の魚を見たのは初めてなので、想像していたよりもちいさな成果にがっかりした。無いよりはマシだ。

 ティーレが褒めてくれたのがせめてもの救いだ。


 焚き火用の枝を調達して、魚を刺すのによさそうな枝を選別する。

 塩をふった魚を焼いていると、

――ラスティ、誰か来ます――


【魔物か?】


――いえ、人間のようです。全員で八名。武装している者が二名、あとは非武装です――


 非武装の者がいるということはガーキの手先ではないようだ。しかし、武装している者が二名もいる。油断できない。

 目立たないように、レーザーガンと高周波コンバットナイフを装備する。馬に括りつけた、剣とレーザー式狙撃銃もいつでもつかえるようにした。


 俺の行動に異変を感じたのか、ティーレも腰に吊した短剣の位置を合わせている。


「敵じゃないみたいだけど、気を抜くな」


「はい」


 出会ってからひと月ほどしか経っていないが、ティーレは俺に全幅の信頼を寄せてくれている。おかげでやりやすい。

 上空を飛んでいるドローンにも、一応、攻撃準備させる。


 しばらくすると森からぞろぞろ人が出てきた。

 多くの者が赤黒くなった包帯を巻いている。一行のなかから年配の男が近付いてきた。


「私、ガンダラクシャで商いをしております、ロイ・ホランドと申します。旅の方、ポーションはお持ちですか」


「ポーション?」


「お持ちなら譲っていただけないでしょうか。相場よりも高く買わせていただきますので」


 一行にはちいさな子供もいる。ぐったりとしたままで、大人に抱きかかえられている。その子供へロイが目をやる。


 どうやらポーションは医療品らしい。子供の手当につかうのだろう。


 しかし一体誰にやられたんだ? 魔狼に襲われたようでもないし……。


「ガーキにやられたんですか」


 年配の男――ロイは目を点にした。


「お恥ずかしい話なのですが、実はそうなのです。ジリの街で良からぬ噂を耳にしたので、トーリの街には立ち寄らずに来たのですが、運悪く噂のガーキとばったり出会いまして。通行料を寄こせと言われたのを断ったら、敵だと一方的に襲われました。積み荷ごと馬車を捨てて、命からがら逃げてきたので食料しか持っていません」


 あの男のやりそうなことだ。どうせ通行料を払っても襲っていただろう。


「ポーションは持ってません。ですが医療用の物資なら持っています。ここで出会ったのもなにかの縁、怪我人を診ましょう」


 勿体ない気もしたが医療キットをつかうことにした。人の命には命には替えられない。おそらくさっき見た子供だろう、見捨てることなんてできない。


「お医者様ですか! でしたら治療をお願いいたします。ジョドー、メアリを連れてきなさい」


「はい、旦那様」


 執事然とした初老の男が、ぐったりした子供を運んできた。

 さっき見た子供だ。それも女の子だ。背中を斬られている。


「酷い! あの男は、こんな子供にまで刃を向けたのかッ!」


「お医者様、この子は助かるんでしょうか?」


「治療可能か診てみます」


 傷口はそれほど深くはないが、長い。ガーキから逃げてきた間にかなりの血を流したのだろう。そんな状態で旅をしていたのだ、無事であるはずがない。


「聞こえるかい。いま手当してあげるからね」


「…………」


 昏睡状態の少女は、俺の言葉に反応しない。衰弱が思っていたよりも激しい。


【フェムト、どうすればいい?】


――何を……ですか――


【この子の手当だ】


――状態がわかりません。まずはスキャンしてください――


 傷口の周りを指で触り、接触式の電磁スキャンを試みる。


――中度の刀傷です。標準の治療スプレーの塗布、造血剤の投与をお勧めします――


 傷が内蔵まで達していたらどうしようかと不安だったが、刃傷ならば治療可能だ。問題は血だ。無理をしてここまで来たのだろう。かなりの血を失っている。その証拠に少女の顔は驚くほど青白い。意識も混濁としているようだ。一刻の猶予もない。


 急いで馬に乗せてある医療キットを下ろした。


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